中国人の訪日個人観光旅行は爆発する?~発給要件緩和から3カ月~

月刊JTMレポート : 2010年10月号

カテゴリ : 訪日旅行

執筆 : 小林千里(客員研究員) 

訪日観光ビザの要件緩和から丸3カ月が経過した。中国人観光客増加に大きな期待を抱く日本側と、これを送り出す中国側双方の状況と、将来に向けての課題を探ってみた。

~日本側の期待と現地旅行社側のギャップ~

2010年7月に中国人に対する訪日観光ビザ要件が緩和され、個人観光ビザの発給対象者が一挙に10倍の規模となった。日本経済の救世主のごとく各地で高級品や土産物を大量買いする中国人観光客の姿が、連日、いささか過熱気味に報道されている。「一刻も早く誘客合戦に参加しないと負けてしまう」と考える日本側の流通・小売業者や地方自治体の方々から弊社への誘客戦略に関する問い合わせも多い。

一方、日本側の期待とは裏腹に、日本へ旅行者を送り出す中国側では、多くの顧客や支店を持つ大手旅行社ほど今回の個人観光ビザには慎重な姿勢だ。その最大の理由は、従来と同様に、自社で取り扱った旅行者の中から「失跡者」が出た場合、旅行社にペナルティが科され、数ヶ月間の営業停止処分を受けるからである。大手旅行社の日本担当部門は、多くの訪日専門のスタッフを抱えており、営業停止ともなればかなり経営を圧迫することになる。また、監督官庁のサイトにも行政処分が公示され、旅行社自体のブランド・信用にも傷がつく。

~個人観光ビザの影響は?~

「長い間、中国人の観光目的の訪日旅行は団体旅行に限定され、昨年解禁された個人観光もビザの発給要件が厳しすぎた。今回の個人観光ビザの要件緩和で、多くの人々により自由な個人旅行の門戸が開かれ、今後爆発的に個人客が増加する」と、日本側では多くの人が信じて疑わない。平和な社会情勢が続き、ビザ発給要件がより緩和され、訪日観光の対象となる人の数が増えれば、訪日中国人観光客は大幅に増加するだろうと考えるのは無理もない。

しかし、それはまだ先の話である。現在の中国で海外旅行購買層となりうるのは、全人口の22~23%程度(2008年度・中国社会科学院推計値)を占めると言われる中間層以上である。そのほんの一部であるおよそ100.6万人(2009年度・JNTO発表数値)が日本へ来ているに過ぎない。
7月以降順調に個人観光ビザが発給されているとの報道もあるが、中国大手旅行社数社へのヒアリングによると、結局は言葉の問題から個人旅行ではなく、団体観光旅行を申し込む人が多いという。実際には、過去に出張等で日本へ来た事がある人や、日本に友人がいる人など、ある程度日本の土地勘があり、細かい日本の情報を事前入手出来るようなごく少数の層の人が個人観光ビザを申請しているようだ。

~訪日団体観光の解禁と中国政府の消費者保護政策~

2000年の訪日団体観光旅行解禁から丸10年が経過した。中国は計画的に観光目的の「出国旅行」(日本における「海外旅行」という言葉は、四方を海に囲まれていない中国では「出境旅游」又は「出国旅游」と呼ばれており、当稿では中国側の「海外旅行」に相当する言葉は「出国旅行」と表記した。)を発展させている国であり、この10年は訪日旅行の黎明期であったといえる。日本への観光旅行商品の企画・販売とビザ手続きは指定旅行社に限定され、その旅行形態も、ライセンスを持った中国側添乗員と日本側添乗員の2名が同行する団体旅行が基本であった。規制でがんじがらめの旅行のように感じられるが、中国において「出国旅行」は発展途上の段階であり、旅慣れていない中国人の安全を国が法令により保護している面もある。日本への団体観光旅行が解禁された当時、中国政府は、消費者保護と出国旅行業務の健全発展を目指して法令を整備した(注)。

訪日旅行の取扱いは指定旅行社に限定されているというと、日本の感覚からすると、自由競争のない不公平さを感じるが、これも消費者保護のためである。指定旅行社となるには過去の法令違反や消費者からのクレーム、経営状態など厳しく審査される。中国では登記をしていない多くの非合法旅行社もどきや個人代理店が存在し、大手旅行社の代理店のなりすまし詐欺やツアー自体の丸ごとの転売など事故が後を絶たない。中国側行政は各地に観光専門の取締隊まで設置し摘発しているが、旅行業者の皮を被った悪徳業者とのいたちごっこが続いている。旅行社に対するクレームは、消費者から直接、監督官庁が受ける体制が整えられており、契約や手配上の不備などが旅行社側にあれば、罰金や営業停止処分等の行政処分が科される。

~13億人が動き出す?~

「中国は、社会環境が日本とあまり変わらないのに、ビザ要件が厳しく規制されているので、訪日観光客が思ったほど増加しない。ビザ要件がさらに緩和されれば13億人の国民が一挙に動き出す」というような、日本側の中国人観光客への誤った期待や報道もある。しかし、中国社会における出国旅行はごく一部の人々のレジャーであり、中国人の訪日は、現在の日本人の海外旅行とは比べ物にならない程煩雑な手続きが必要である。日本の物価から考えれば訪日ツアーの価格は激安でも、中国側の物価からみれば、日本への旅行は距離が近いわりに高い。さらに、中国人が自由に個人旅行をしようにも、日本の中国個人観光客受入体制はまだまだ整っていると言いがたい状況で、せっかく個人観光ビザを取得して来日した中国人も、言葉の壁が高いために、自分の足で自由に歩いて、日本観光を十分に楽しむことができないのではと懸念される。

~中国人誘客に出遅れる?~

今後も中国社会の発展と出国旅行市場の成熟、さらに日中両国政府間の規制緩和にともなって、日本を訪れる中国人観光客が増え、徐々に個人旅行者の割合が高くなることは間違いない。中国社会がより成熟し、出国旅行完全自由化や日本ノービザ化が実現すれば、中国人訪日観光客はさらに大きく伸びるだろう。その時こそ、本当の誘客の勝負となる。日本の約25倍の面積に56の民族、およそ13億人の人口を有する中国の「旅行市場」は、成熟すればするほどニーズや嗜好も多様になり、それぞれの市場セグメントごとにきめ細かい誘致戦略が必要となってくる。市場の成長・変化とともに、中国人を有効に誘客する戦略・戦術も変化する。中国社会の発展と成熟度を見極め、常に走り続けながら考えてゆかねばならない。
  
「今」は中国人にほとんど知られていないゴールデンルート以外の地域やショップでも、
決して誘客に出遅れていると考える必要はない。中国人の訪日旅行市場はまだ初期段階であり、ツアー客の立ち寄りを目的とした受動的な誘客戦略に偏る必要は無く、能動的に選ばれる為の仕掛けをすべき時である。具体的には受入れ体制についての現状の自己分析を行い、ソフト面では地域や施設でのおもてなし戦略の策定や見直しによるサービスレベルのアップ、ハード面では施設や多言語表示、二次交通等のインフラ整備を徹底して行なう事が将来的に持続した誘客につながってゆく。それから発展途上の訪日旅行市場へ参入しても遅くはない。

(注)
1996年 旅行社に対し「旅行社管理条例」を発布
1997年 消費者(出国旅行者)に対して「中国公民自費出国旅游管理暫行弁法」を発布
2002年 消費者(出国旅行者)に対して改正法である「中国公民出国旅游管理弁法」を発布
さらに出国旅行に同行する添乗員に対しては「出境旅游領隊人員管理弁法」を発布し、添乗員ライセンスに関しての細かい規定を定めている
2009年 「旅行社管理条例」を「旅行社条例」としてより市場発展に合わせて改正

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