ツーリズム構造変革の12年間を振り返る

2001年6月21日、株式会社ツーリズム・マーケティング研究所が設立された。それから十年あまり、社会の変化と共にツーリズムの構造や社会における位置づけが大きく変わるのを眺めつつ、当社は歩みを進めてきた。 本稿では、2000年から2011年までのツーリズム分野の変化を、以下の10の視点で概観してみたい。

髙松 正人

髙松 正人 客員研究員
観光レジリエンス研究所 代表

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目次

  1. 社会・経済の変化
    日本の人口構成の変化と、グローバル化の中で、日本の経済、雇用、所得などが変化してきた。
  2. 政策としての観光促進
    製造業を中心とした経済成長が期待しにくい一方で、経済波及効果と雇用創出力の大きいツーリズムにスポットライトが当たり始め、ツーリズムを促進する様々な政策が計画・実施された。
  3. 危機に翻弄された世界と日本のツーリズム
    この十年は、自然災害やテロ、伝染病によって世界や我が国のツーリズムが何度となく危機に見舞われることになった。
  4. 訪日観光分野の成長
    この十年の我が国の観光で、最も成長した分野は訪日外国人旅行、すなわちインバウンド旅行である。訪日外国人旅行は国の観光政策の中心であり、外国人観光客誘致のために、さまざまなプロモーション、キャンペーンが展開された。
  5. 交通アクセスの整備とツーリズム
    地方空港の開港と新たな航空会社の就航、国際空港の整備・拡張、新幹線網の延伸などの交通アクセスの整備が、ツーリズムの動きを変えた十年でもあった。
  6. 苦悩する航空会社
    空の安全確保の為の多額の 投資や航空燃料の高騰、航空会社間の運賃競争などの厳しい経営環境下で既存航空会社が苦戦を強いられる中、新たなビジネスモデルを持つLCCが急速に成長してきた。
  7. 日本の観光資源:世界遺産からテーマパークまで
    「世界遺産」への観光がブームとなり、各地域でも、ご当地の観光資源を世界遺産登録するための運動がさかんに行われるようになった。また、日本の観光魅力 としてこの十年間にその存在感をより高めたのはテーマパークである。
  8. インターネットが変えた旅行流通
    インターネットの普及はめざましく、旅行の流通や観光情報の提供・収集のチャネルもインターネットに大きくシフト、旅行流通の構造が大きく変わった。
  9. 旅行業の構造改革
    旅行市場と流通の構造が大きく変化するなかで、旅行会社は既存のビジネスモデルの見直しを進めてきた。また、従来の旅行業の枠を超えて、観光・ツーリズム全体のなかで新たなビジネスモデルを探る動きも顕著になった。これまで「鎖国」状態であった日本の旅行市場に外国資本が参入し、旅行業のボーダーレス化は今や現実のものとなった。
  10. 宿泊産業の光と影
    宿泊施設もこの十年間の市場の変化に翻弄されてきた。経営に行き詰る施設が多いなか、これらを再生して今までとは異なるビジネスモデルで運営する事例が全国で見られるようになった。一方で、全般的な低価格指向の中で、高付加価値の宿泊施設も増えてきた。

社会・経済の変化

世紀の変わり目を機に、日本は本格的な低成長の時代に入った。この十年の間に、日本の人口はピークを迎え、明治時代以降初めて総人口の減少を経験した。高齢化はますます進み、65歳以上の高齢者人口が増加する一方で、15歳から64歳の生産年齢人口はこの先さらに減ることが確実である。

新興国の台頭により、これまで日本のお家芸であった製造業はコスト競争力が低下し、企業は新たな市場と低コストの生産拠点を求めて海外進出を加速した。国内の事業者は、非正規雇用従業員の割合を増やし、雇用の調整弁とするとともに人件費の抑制を図った。新卒採用も減少し、若者が高校や大学を卒業後、正規雇用を得られない状況が拡大した。その結果、勤労者の平均所得は減少し、消費者の価格志向がより顕著になってきた。この傾向は、日本人の観光行動や観光支出における価値観の変化にも影響を与えている。

政策としての観光促進

製造業を中心とした経済成長が期待しにくい一方で、経済波及効果と雇用創出力の大きいツーリズムにスポットライトが当たり始めたのもこの十年間である。2002年、小泉首相は歴代首相で初めて、施政方針演説のなかで「観光促進」を取り上げた。これを皮切りに、政府は観光を重要政策として位置付け、訪日外国人倍増を実現するため、訪日観光ビザの要件緩和やビザ免除、「ビジット・ジャパン・キャンペーン」の一環としての海外市場における観光プロモーションの強化など、さまざまな政策が矢継ぎ早に実施された。

観光行政を強化するため、2007年に観光立国推進基本法が施行され、それにもとづく観光立国推進基本計画が閣議決定された。翌2008年には、国土交通省の外局として観光庁が設置され、訪日外国人誘致や観光による地域の活性化の施策が強化された。行政改革とそれに伴う行政機関の整理統合が進められる中で、観光庁の新設を断行したのは、日本政府の観光に対する思いと期待の強さの表れであるといえよう。

観光庁は、国際観光振興機構(JNTO、対外呼称「日本政府観光局」)と連携して、訪日外国人誘致をさらに強力に推し進めた。国内では、広域地域連携による観光受入体制の強化を通じて地域の活性化を図るため、各地に「観光圏」を指定するとともに、エコツーリズムやグリーンツーリズム、産業観光など、従来の物見遊山的な観光とは異なる新しい観光の形態を「ニューツーリズム」と総称し、これらの普及に努めている。従来は主に大手旅行会社等が消費地で旅行商品の開発、流通・販売を行っていたものを、着地(観光地域)において地域をよく知っている地元の人々が中心となって商品を作り、直接、旅行者(消費者)に販売する「着地型観光」を拡大することも、観光庁の主要な施策のひとつとなっている。経済産業省、総務省、農林水産省、環境省、外務省、文部科学省、内閣府等、観光庁以外の府省でも、それぞれの立場から観光を促進する政策を推進するようになってきた。これも、政府が観光に本腰を入れ始めた2002年以降の動きである。

このように、行政が観光を積極的に推進してきた一方で、経済界もこの十年間、これまでになく観光に注目し、経済波及や雇用創出力の大きい産業として、その振興を図ろうとしてきた。2001年、日本ツーリズム産業団体連合会(TIJ、現在は日本観光協会と合同し、日本観光振興協会となっている)が設立され、2004年には、日本経団連に観光委員会が設置された。20世紀には、産業として顧みられることの稀だった観光が、今や主要産業のひとつとして認知され期待されているのは、この十年間の大きな変化である。

危機に翻弄された世界と日本のツーリズム

この十年は、自然災害やテロ、伝染病によって世界や我が国のツーリズムが何度となく危機に見舞われた。2000年に伊豆諸島で地震が連続し、その年の秋には鳥取西部で地震が起きた。これらの地域では地震活動が沈静化した後も、風評のために観光客数が減少し、観光関連産業に大きな影響が出た。翌2001年9月には、米国で同時多発テロが勃発し、航空を利用した世界の観光の動きが一時的に止まった。テロによる航空旅客の激減は、航空会社の経営を揺るがし、アンセット・オーストラリア航空、スイス航空、サベナ・ベルギー航空が相次いで経営破たんした。

世界のツーリズム産業が、9.11テロの後遺症からようやく立ち直ったと思われた2003年、アジアから発生したSARSが世界的に広まり、感染を防止するため世界中で国際間の移動が抑制された。感染者の多かった香港は、事実上の鎖国により感染の拡大を阻止した。これにイラクでの戦争勃発が重なったため、この年、世界のツーリズムは停滞した。
SARSの感染拡大が止まり、再び人々が観光に戻り始めた2004年、日本では新潟県中越地震が発生し、新潟県を中心とする北陸地方の観光に大きな影響が出た。その年の12月には、インドネシア・スマトラ島でマグニチュード9の巨大地震が発生、インド洋に面したアジア、アフリカ諸国に大津波が押し寄せ、住民や観光客に数十万人の犠牲者が出た。日本人に人気のビーチリゾートであるタイのプーケット島やモルジブでも津波による大きな被害が生じ、犠牲者の中には日本人観光客も含まれていた。

2005年には、ロンドンで同時爆破のテロが起き、航空機爆破の未遂事件も発生した。この事件を機に、航空機内への液体の持ち込みが厳しく制限されたため、酒類や化粧品等の免税品販売が大きく落ち込んだ。2006年にはインドネシア・ジャワ島で、2007年には能登半島と新潟県中越沖で大きな地震が発生し、復活しかけた観光に再び水が差された。2008年、中国四川省で大地震が発生、人気の観光地九寨溝などの観光地への交通が途絶え、日本から中国への観光、中国からの訪日観光の双方向に影響が出た。日本では、それに引き続いて、岩手・宮城内陸地震が発生し、東北のツーリズムが大きなダメージを受けた。

2009年、メキシコで発生した新型インフルエンザ(H1N1)は、グローバルな人流に乗って短期間に世界に広まり、世界保健機関(WHO)は「パンデミック(世界的大流行)」を宣言した。海外旅行の帰国者から日本に侵入したウィルスは、瞬く間に全国に蔓延し、修学旅行や各地でのイベントが中止され、ツーリズム関連産業には大きな打撃となった。 2011年、アイスランドの火山噴火は、ヨーロッパ全域に火山灰を降らせ、長期間にわたって欧州各国の航空輸送を寸断した。日本から欧州へのツアーはその多くが中止され、成田空港には日本から欧州への航空便が運休となり、帰国できなくなった旅行者が多く滞留した。2月にはニュージーランド南島で起きた地震のため、多数の日本人留学生が犠牲となった。

2011年3月11日、宮城県沖で発生したM9の巨大地震は、10m以上の大津波を発生させ、東北を中心に北海道から関東までの沿岸部に壊滅的な被害をもたらした。津波は沿岸に立地した原子力発電所をも襲い、原子炉冷却装置の電源が破壊された福島第一原子力発電所では、炉心の融解とそれに伴う大規模な放射能漏れが起きた。これにより、東北のみならず日本に対する「安心・安全な観光地」のイメージが根底から揺らぎ、歴史的な円高と相まって、この十年間伸びてきた訪日観光にブレーキとなった。

自然災害や伝染病の流行に加えて、国家間の政治的な問題もツーリズムにマイナスの影響をもたらしてきた。訪日観光客の1、2位を占める韓国と中国では、竹島(韓国名「独島」)、尖閣諸島の領有権問題や、日本の歴史教科書等の記述内容の問題などが引き金となった抗日運動やデモにより、双方向の観光交流が妨げられることが繰り返されている。また、中国製の食品が原因となった食品汚染の事件により、食の安全に不安を抱いた日本人が中国への旅行を避けるなどの影響も出た。

こうして十余年の観光の歴史を振り返るだけでも、旅先での「安全・安心」がツーリズムにとってこれまで以上に非常に重要な要素となってきたことがわかる。観光に対するさまざまな危機の際に国や地域、観光関連産業がどのように対処するかを予め計画しておくことによって、危機後の観光の回復とそれに伴う地域経済の復興に大きな差が生じることも学んだ。

訪日観光分野の成長

この十年の我が国の観光で、最も成長した分野は訪日外国人旅行、すなわちインバウンド旅行である。前述のように、訪日外国人旅行は国の観光政策の中心であり、外国人観光客誘致のために、さまざまなプロモーション、キャンペーンが展開された。その中心は、国土交通省の「グローバル戦略」に基づき2003年より開始された「ビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)」で、誘致の対象となった海外市場は、韓国、中国、香港、台湾といった近隣諸国から、タイ、シンガポール、マレーシア、インドネシア、インドなどのアジア諸国、北米、ヨーロッパ各国、ロシア、オセアニアと世界中に広がっている。国の動きに連動して、日本各地でも自治体や地域の観光関連団体が訪日プロモーションを展開し、国を挙げての取り組みとなった。

なかでも中国に対する取り組みは顕著だった。2000年に45名の中国人観光団体が日本を訪れたのを皮切りに、日本を訪れる中国人観光客は増加の一途をたどった。2004年には、訪日修学旅行の生徒に対する査証を免除、翌2005年には銀聯カードを日本に導入することにより、中国人観光客の日本国内における消費拡大が図られた。日中両政府は、2006年を「日中観光交流年」と定め、両国で記念イベントや大規模プロモーションを実施して、相互の観光交流の拡大を進めた。政府は、中国人富裕者層の訪日観光を促進するため、2007年に「家族観光ビザ」、2008年に「個人観光ビザ」の発給を開始、2010年には個人観光ビザの発給要件を緩和した。2011年には沖縄への訪問を条件とした「個人数次ビザ」の発給を開始した。
訪日ビザの要件緩和や免除は、中国以外の訪日観光客に対しても実施され、香港、台湾、韓国からの短期滞在にはビザが不要となり、訪日旅行促進の大きな要因となった。

交通アクセスの整備とツーリズム

交通アクセスの整備が、ツーリズムの動きを変えた十年でもあった。この間、能登空港(2004年)、中部国際空港(2005年)、神戸空港、新北九州空港(2006年)、静岡富士山空港(2009年)、茨城空港(2010年)が開港し、それに伴ってスターフライヤー(北九州)、フジ・ドリームエアラインズ(静岡)など、地方空港をベースとした航空会社が運航を開始した。地元の期待を担って華々しく開港したこれらの地方空港ではあるが、航空会社の不採算路線見直しによって発着便数が削減される傾向にあり、地元自治体では空港対策課などを設置するなどして路線の維持のためさまざまな施策を講じている。

国際空港の整備・拡張も進んだ。前述の中部国際空港の開港に加え、2007年には関西国際空港の第2滑走路が供用を開始し、日本初の24時間空港が誕生した。また、2001年に定期チャーター便の運航が開始されたのをきっかけに、成田空港開港以来、国内線専用空港として位置付けられていた羽田空港を再び国際空港とする動きが始まった。当初、ソウル金浦線のみだった羽田発着路線も、上海、台北松山、北京線が加わり、香港線の深夜・早朝便も運航を開始した。2010年、羽田空港に新国際線ターミナルがオープンし、羽田空港が本格的に国際空港としての運用を開始した。

このような羽田空港の動きに対抗するように、成田空港も機能の拡張を進めている。2002年に二番目のB滑走路(暫定並行滑走路)が供用を始めたことで、成田空港の発着枠が大幅に拡大、それまで発着枠を獲得できず成田空港に乗り入れることのできなかった航空会社が、これを機に成田からの路線を新設し、首都圏からの国際線ネットワークが広がった。2010年には、B滑走路の延長工事が完成し、二本の滑走路での同時発着ができるようになったことで、年間発着枠が30万回に拡大し、中東をはじめとする航空会社の新規乗り入れが実現した。このように羽田・成田が競い合うことにより、日本を出発する国際線旅客の60%が首都圏の二空港を利用するという首都圏への一極集中が起こっている。その一方で、関西、中部、福岡からの国際線供給が減り、東京以外の発着の海外旅行商品の造成が以前よりも難しくなってきている。

国内の新幹線網の整備も進んだ。2004年に部分開通した九州新幹線が2011年に全線開業し、その前年に新青森まで延伸した東北新幹線と合わせて、本州最北端の青森から、九州南端の鹿児島まで新幹線がつながった。新幹線の開業は沿線地域への観光客の増加につながったが、沿線から外れた地域にとっては、新幹線の延伸が観光誘致の上で不利に働くという厳しい現実もあった。

苦悩する航空会社

空港の整備・拡充は進んだが、航空会社の経営環境はより厳しくなった。2001年の米国同時多発テロをきっかけに、空の安全を確保するための設備や警備に多額の投資やコストが航空会社にのしかかってきた。さらに、中東での紛争や、中国など新興国の経済成長に伴う石油需要の急激な増大は、石油製品の需給バランスを崩し、航空燃料の高騰を招いた。それに加えて、世界中でローコストキャリア(LCC)が台頭し、航空会社間の運賃競争が激化した。世界の航空会社は、さまざまな手法で経営合理化を図るとともに、2005年、新たに燃油価格の変動に連動した「燃油サーチャージ」を導入、運賃に加算して徴収することとなった。燃油相場によっては、燃油サーチャージが運賃とほぼ同額となる場合もあり、海外旅行市場に水を差す要因ともなっている。

経営合理化をめざして、2004年に日本エアシステムと経営統合した日本航空は、その後も収益を回復することができず、2010年会社更生法の適用を申請、現在も再建途上にある。経営合理化、経営再建の過程で、収益率の悪い海外レジャー路線からの撤退や減便、機材の小型化などが進められたため、ハワイ、グアム、サイパンなどの主要な海外デスティネーションへの航空座席供給が縮小され、これらの地域における日本人観光客の減少につながった。国内でも、神戸空港、県営名古屋空港、静岡空港などからの撤退や、ローカル路線での減便、機材小型化が進められ、JAL自体の企業収益の回復にはつながるものの、観光客誘致の点では大きな課題となっている。外国航空会社でも、米国のコンチネンタル航空とユナイテッド航空、ノースウェスト航空とデルタ航空が経営統合したほか、アリタリア、スイス・インターナショナル、ヴァリグ・ブラジル、メヒカーナ、アロハ航空など世界の各国を代表する航空会社が相次いで経営破綻した。

苦しむ既存航空会社とは対照的に、新たなビジネスモデルを持つLCCが国内外で誕生し、急速に成長してきた。北米や欧州ではサウスウェスト航空やライアン・エアなどのLCCが、すでにメジャーな航空会社となっているが、アジア・太平洋地域でも、エア・アジアグループが路線とシェアを急速に拡大している他、各国に新たなLCCが生まれた。カンタスグループのLCCであるジェットスターやエア・アジアX、中国の春秋航空、韓国の済州航空等は、すでに日本路線を開設している。国内でも、スカイマーク・エアラインが低運賃を武器に路線を拡大している他、日本航空とジェットスターがジェットスター・ジャパンを、全日空とエア・アジアがエア・アジア・ジャパンを、またこれとは別に全日空グループがピーチ・エアラインを設立し、運航開始に向けて準備を始めている。LCCの拡大は、これまで高い航空運賃がネックで旅行に行くのをためらっていた層を旅行に動機づけるきっかけになるものと期待されている。

日本の観光資源:世界遺産からテーマパークまで

2004年「紀伊山地の霊場と参詣道」が文化遺産に、翌2005年「知床」が日本で3番目の自然遺産として登録されたことをきっかけに、「世界遺産」への観光がブームとなった。その後、「石見銀山遺跡とその文化的背景」(2007年)、「平泉」、「小笠原諸島」(2011年)と登録が続き注目された。すでに登録された世界遺産の他、国内には「富士山」、「鎌倉」、「彦根城」、「長崎の教会群」、「富岡製糸場」など、世界遺産暫定リストに掲載されている観光資源があり、これらの観光地を訪れる観光客は多い。また、各地域でも、ご当地の観光資源を世界遺産登録するための運動がさかんに行われている。 華やかな世界遺産とは対照的に、B級グルメや「ゆるキャラ」がその庶民的な親しみやすさで観光客を集めたのが、この十年間である。富士宮の焼きそばや宇都宮の餃子、甲府の鳥もつ煮、佐世保バーガー、讃岐うどん等は、年間何万人もの観光客を惹きつける観光資源となっている。各地の自治体や観光協会では、その土地の特徴を表した「ゆるキャラ」をデザインし、観光プロモーションなどで大いに活躍している。奈良の「せんとくん」、彦根の「ひこにゃん」などのゆるキャラは、タレント並みの人気を集め、観光客誘致に大きく貢献した。

日本の観光魅力としてこの十年間にその存在感をより高めたのはテーマパークである。2001年3月、大阪にユニバーサル・スタジオ・ジャパン(R)(USJ)が、9月には、浦安に東京ディズニー・シー(R)(TDS)が相次いでオープンした。TDSと東京ディズニーランド(R)(TDL)と合わせると年間2,500万人の入場者を集める、世界でも最大規模のテーマパークとなった。これらのテーマパークの周辺には、数多くのホテルが立ち並び、パークに隣接したショッピングモールでの物販や飲食と合わせると、その地域にきわめて大きな経済波及と新たな雇用をもたらした。

東京ディズニーリゾート(R)(TDR)やUSJ、長崎のハウステンボスは、訪日外国人観光客にとっても外すことのできない観光魅力であり、日本観光の象徴ともなっている。東日本大震災後、電力不足が懸念されながらも、東京ディズニーリゾート(R)を比較的早期に再開させた背景には、今日の日本の観光の象徴でもあるTDRが営業しているということが、日本の観光も復活していることの世界に対する最大のメッセージになりうる、という判断があったということだ。

インターネットが変えた旅行流通

2000年以降、インターネットの普及はめざましく、2000年に34%であったインターネット利用率が、2001年には60%に急上昇し、2010年には国民の94%が家庭か職場でインターネットを利用するようになった。旅行の流通や観光情報の提供・収集のチャネルもインターネットに大きくシフトしてきた。インターネットの普及により、旅行流通の構造が大きく変わったのがこの十年間である。
1995年に「ホテルの窓口」として開設された宿泊予約サイト「旅の窓口」(現在の楽天トラベル)は、2000年に会員数が100万人を超えた。「旅の窓口」のビジネスモデルは、宿泊施設から提供された客室を旅行会社が販売する従来モデルと異なり、インターネット上の宿泊予約サイトに、宿泊施設が売りたい部屋を売りたい価格で掲載し、それを消費者が予約・購入するという「場貨し(マーケットプレイス)」モデルである。インターネットに接続さえできれば、いつでも、どこでも宿泊予約ができる「旅の窓口」は、出張の多いビジネスマンに支持され、急速に成長した。宿泊施設側も、全体の販売状況を見ながら、提供客室と販売価格を自由にコントロールでき、しかも旅行会社に比べて利用料(手数料)が安くて済む「旅の窓口」への提供客室数を次第に増やしていった。同じ頃、リクルートは、宿泊施設を紹介する雑誌「じゃらん」をインターネット予約サイト「じゃらんネット」に発展させ、旅館やペンション、リゾートホテルなどの予約サービスを開始した。

2003年、インターネット商店街事業で急成長した楽天は、「旅の窓口」を運営するマイトリップネット社を323億円で買収し注目を浴びた。翌2004年、楽天トラベルと旅の窓口を合併し、現在の楽天トラベルに至っている。楽天トラベルのビジネスモデルは、旅行取引だけで事業を完結せず、楽天モールで販売するひとつの強力なコンテンツとして旅行を位置づけ、楽天トラベルで旅行を買った顧客に楽天モールで他の商品の購買を促すことで、シナジーを期待するものである。
大手旅行会社も、インターネット販売サイトを立ち上げ、楽天トラベルとじゃらんネットに対抗したが、インターネット専業の二つの予約サイトは後発の追随を許さず、国内の宿泊販売額ではJTBグループを凌駕するまでになった。さらに楽天トラベルは全日空と連携してダイナミックパッケージ「ANA楽パック」の販売を開始し、ダイナミックパッケージという新しい商品形態を国内市場に定着させた。

インターネットの普及は、販売力の弱い中小規模の宿泊施設や、市中の航空券販売を旅行会社に頼っていた航空会社に、旅行会社を通さず消費者に直接販売する機会をもたらした。航空会社の国内線個人客は、現在8割以上がインターネット販売となっており、旅行会社への依存度は急激に低下した。宿泊施設もインターネット予約サイトの活用に加えて、自社のホームページにさまざまな付加価値をつけた宿泊商品を掲出し、そこから直接予約できる仕組みを整えてきている。

旅行業の構造改革

このように旅行市場と流通の構造が大きく変化するなかで、旅行会社は既存のビジネスモデルの見直しを進めてきた。これまで販売の主体であった店舗は、専門化と軽量化を図っている。各旅行会社は、高額旅行商品の専門店や海外ウェディングの専門店など、専門性が高く高付加価値の旅行を主に扱う店舗を設置、そこに販売スキルの高い社員を配置して、高収益の店舗営業にチャレンジしている。その一方、近畿日本ツーリストは、店頭営業部門をKNTツーリストに移管、JTBは、各地域の支店とJTBトラべランド店の運営管理を一体化し、トラべランド店をモデルに小回りの利く固定コストの低い店舗づくりをめざしている。

従来の旅行業の枠を超えて、観光・ツーリズム全体のなかで新たなビジネスモデルを探る動きも顕著になった。JTBの地域交流ビジネス、KNTのMICEへの取り組み、クラブツーリズムや阪急交通社の旅行を通じた地域活性化などはその一端である。さらに、H.I.S.やJTBグループは、旅行市場が大きく成長することが見込まれる新興国市場に、日本の旅行業ノウハウを持って進出する「グローバル展開」にも力を入れてきている。楽天トラベルは、海外のホテルを日本市場で販売するだけでなく、サイトの多言語展開を進めて、日本の旅館・ホテルの海外市場での販売拡大を図っている。

日本の旅行会社が市場の変化への対応を急いでいる十年間に、これまで「鎖国」状態であった日本の旅行市場に外国資本が参入してきた。今や世界のオンライン旅行会社の雄となったExpediaは、日本法人を立ち上げ、最初は海外ホテル予約のみだったが、短期間に航空券からダイナミックパッケージまで販売するようになった。さらに、グローバルなホテル仕入れ力を生かして、日本の旅行会社にホテル客室を卸売りする事業にまで発展してきている。韓国最大の旅行会社ハナツアーは、日本法人ハナ・ジャパンを設立し、韓国人の日本旅行のランドオペレーションのみならず、中国の旅行会社に営業をかけ、中国人の訪日旅行まで大々的に取り扱っている。旅行分野における日本の鎖国状態は、外国資本によって開国されつつある。旅行業のボーダーレス化は今や現実のものとなった。

宿泊産業の光と影

旅行業と並んで、市場の変化に翻弄されてきたのは宿泊施設である。日本の宿泊施設は、1980年代後半から1990年初頭のバブル期に大きな投資を行い、バブル崩壊後、それが足かせになって経営に行き詰るところが多かった。2000年以降、自らも経営の危機に直面した金融機関は、こうした宿泊施設に対する融資の回収に動き出したが、バブル期の団体旅行を前提とした設備投資は、その後の個人化し価格志向の強まった観光市場では収益につながりにくく、宿泊施設に対する融資は不良債権化していった。さまざまな方法で宿泊施設の再生策が講じられたが、それにもかかわらず運転資金に行き詰り倒産する宿泊施設は後を絶たなかった。

経営破綻した宿泊施設を投資家やファンドが買い取り、それを施設運営のプロであるオペレーターに運営させ、事業再生を図るケースも多く見られたが、破綻後の買い手がつかず、廃墟と化してしまった宿泊施設も各地に存在する。こうした施設は、閉鎖した建物の取り壊しさえできずに残り、その観光地全体の雰囲気を損なうので、地域としてもその対応にいまなお苦慮している。破綻した旅館を安く買い取り、今までとは全く異なるビジネスモデルで運営する事例が全国でみられるようになってきた。大江戸温泉物語、伊東園ホテル、湯快リゾートなどである。これらに共通するのは、旅館でありながら人的サービスを絞り込み、コストを徹底的に抑えることによって、これまで考えもつかなかったような格安の宿泊料金を提供することである。休前日の料金を高く設定するという旅館の「常識」に反して、通年、1泊一人7,800円均一のような破格値で1泊2食を提供している(湯快リゾート)。食事も夕、朝ともにバイキング方式にし、客室でのお茶出しを省略したり、チェックイン前から布団を敷いておくなどにより、スタッフの作業を効率化し、人件費を抑制している。

これまでになかった宿泊サービスの形態だが、温泉に入って、旅館の部屋でゆっくりできれば、特別に贅沢な食事などいらない、という層の人気が高く、高い稼働率を保っているということである。市場ニーズの変化にあわせて、これまでにない旅館商品を開発し、提供したことが成功の要因であろう。
ホテル業界にも大きな変化が現れた。宴会や結婚式などの需要が伸び悩み、シティホテルが苦戦する中で、地方都市まで含めて宿泊特化型のビジネスホテルが急速に店舗を増やしていった。東横イン、スーパーホテル、アパホテル、ドーミーインなどである。定型のデザインでホテルを建設し、備品等も大量調達するため減価償却費を低く抑えることができる。また、出張者の宿泊に必要な設備やサービスは十分に提供しつつ、それ以外のホテルサービスを徹底的に切り捨て、効率を追求したオペレーションを行うことにより、安い宿泊料金を提供するというモデルである。企業の経費削減の一環として出張時の宿泊料金が抑えられるなかで、これら宿泊特化型ホテルはシェアを伸ばしていった。観光目的の旅行者も、宿泊特化型ホテルを利用することが次第に増えてきた。温泉地への旅行でさえ、宿泊はビジネスホテルを利用し、夕食は地元の飲食店、温泉は日帰り入浴施設で楽しむという、新しい旅行スタイルが生まれ、拡大しつつある。

全般的な低価格志向の中で、高付加価値の宿泊施設も増えてきたのがこの十年間である。全国的に旅館が厳しい状況にある中で、部屋数を絞った高級旅館の人気が高まってきた。全室が離れで、客室数が10室以下、最高のおもてなしと高品質の食事を提供することを売り物にした旅館が、1泊2食3~5万円台という高額にもかかわらず高稼働を保っている。長野県の星野リゾートや北海道の鶴賀グループは、経営破綻した宿泊施設を買い取り、大幅な改装を加えて高級旅館として甦らせることに成功している。ホテル業界でも、2000年以降、ペニンシュラ、マンダリン・オリエンタル、リッツ・カールトン、フォーシーズンズ、シャングリ・ラ、コンラッド等、ハイエンドの国際的なホテルブランドが相次いで東京に進出した。これらのホテルは、外資系企業の幹部などが日本出張の際の宿泊に利用するため、1室5万円以上の高単価でありながら、着実に顧客を増やしてきた。しかしながら、需要の半分以上を海外法人市場に頼っていたため、2009年のリーマンショック以降の世界的な経済不況や2011年の東日本大震災などで、海外出張者が急激に減少すると、稼働が急落してその穴を国内市場で埋めきれないという脆弱性も垣間見られた。

以上、この十年余りのツーリズム分野での変化をざっとご紹介したが、各論については、株式会社ツーリズム・マーケティング研究所の研究員が、それぞれ得意分野のテーマで小論を準備している。これらについてもご一読いただけば、21世紀のツーリズムの方向性と課題が、より具体的に理解いただけるものと思う。