食文化への注目と地域活性の可能性

「和食」は地域でつくられてきた「日常の食」の積み重ねである。戦後70年の日本人の食生活の変化や消費者ニーズが変化するなかで、地域の食文化に注目する動きも顕在化してきた。右肩上がりの成長期における日本の食生活から現在までを振り返り、その上で食を通じた地域活性の可能性について考察する。

斎藤 薫

斎藤 薫 主任研究員

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目次

世界で注目を集める和食

「和食」は、2013年12月「和食:日本人の伝統的な食文化」としてユネスコの無形文化遺産に登録された。日本は小さな国にも関わらず、気候風土や歴史の違いにより各地域に多種多様な食文化を持ち、そうした地域ごとに異なる「食の多様性」の魅力が評価されたのである。

世界で注目を集める「和食」だが、「和食」は地域でつくられてきた「日常の食」の積み重ねである。身近な存在であるがゆえに、地域の多様性や自国の食文化の豊かさを、わたしたち日本人はあまり自覚しないまま、洋風化を享受し、和食は“手間がかかる”、“子どもに人気がない”と敬遠され、消えゆくものも少なくない。一方で、この10数年あまり、日本人が地域の食文化に注目する動きも顕在化してきた。これは戦後70年の日本人の食生活の変化や消費者ニーズが変化するなかで現れてきた必然的な動きと考えられる。

本コラムでは、右肩上がりの成長期における日本の食生活から現在までを振り返り、その上で食を通じた地域活性の可能性について触れることとする。

戦後進んだ食の画一化と、最近の食の地域性を見直す動き

振り返れば戦後の日本の食文化の歩みは画一化の歴史だった。
終戦後の日本は、必要十分な食料を国民に広く安定的に届けることが社会的な課題となっていたため、それに応えるべく、全国的な大手食品メーカーは大規模工場で味噌などの加工食品を大量生産する体制を構築・充実させた。と同時に、食品スーパーを中心に大量生産されたものを安く大量に流通し、大量販売へとつなげる社会的な仕組みができあがった。この仕組みが、日本人の食生活を豊かにすることに大いに貢献したのである。

ただ、一方ではこうした仕組みは効率性を重視したものであったため、食の画一化、地域の食文化の軽視につながったことも否めない。例えば、かつて醤油の製造元は全国に6000社以上存在していたものが、今や1/4程度に減少している。こうした食の生産・流通システムの変化により、日本の食卓から地域性が著しく失われることとなった。また、人々の暮しが忙しくなる中で、手間のかかる和食は敬遠されていく。同時に、食の洋風化もいっそう進み、バブル経済の頃には、健康的と世界から注目を集める「日本型食生活」は過去のものになりつつあった。

そうした日本人の食生活を見直そうとする動きが活発化したのはバブルが崩壊したころだろうか。行き過ぎた低価格志向や簡便化志向や健康への危惧が問題視されるようになり、また、2000年以降、安全性に問題のある食料品の輸入や産地偽装等の問題が起きたことで、食材の産地や地域の食への関心が消費者の間で顕在化するようになってきた。

また低成長経済のなかで、身のまわりの暮しに目を向ける風潮も見られ、人々の間に効率重視の大量生産されたものではない多様性のある「地域の食」への見直し機運が高まってきた。ただし、それは以前のような「日常(毎日の食卓)=ケ」の場ではなく、何らかの「非日常=ハレ」の場で「地域の食」が登場することとなった。それは、旅先で刺身やステーキなど、どこででも口にできるごちそうではなく、素朴な山菜でもその土地の恵みを味わうことへのこだわりといった行動へとつながっている。さらに、家庭の食卓でも、休日に久々の料理を楽しむ時、友人を招いた時、あるいはお月見や節分など季節の変化をめでる時など、お取り寄せをした柚子胡椒やかんずりなど地域独自の調味料や地域の食材を使い、ハレ感のある食を楽しむ人も増えている。このように、旅先の地域でも、都心部の食卓でも伝統的で多様な食の魅力が人々の生活を豊かに彩ることが見直されており、地域の食の復活を後押ししている。

都市部の企業が先導する地域の食の見直し機運

こうした消費者ニーズを敏感に捉えて、食品小売の現場でも、失われてきた食の「地域性」をもう一度再発見、再評価しようという動きが生まれつつある。

東京の都市部では、食品などの地域産品を販売する自治体のアンテナショップが増えている。1990年以降、店舗数は右肩上がりに増加し、現在都内に50数店舗を数え、そのおよそ半分は年商1億円に上る。こうした地域活性に取り組む自治体の展開に加えて、近年は企業の動きが活発化している。百貨店の人気企画である「地域物産展」はもちろんだが、近年は、コンビニエンスストアチェーンも「地域の食」に積極的に取り組んでいる。例えばファミリーマートでは、2010年から「リージョナルマーケティング」として、地域有名店とのタイアップなどを通じ、地域顧客の味覚、嗜好にあった商品開発を推進している。また、JR東日本は「地域再発見プロジェクト」を立ち上げ、鉄道網を活かして各地から商品を集め、都内での展開を加速化させている。今や「地域の食」が「ハレ(非日常)」の食になったことで、企業はビジネスチャンスと捉えているのである。

食文化と地域活性の方向性

こうした地域の食に対する、日本人のニーズの高まりの受け皿として企業の果たす役割は大きくなっているが、やはりそれだけでは成り立たない。当たり前だが、地域の食はそこで暮らす地域の人々の生活の中から育まれてきた、貴重な生活文化資源である。昔のように日常的な営みではなくなったことであっても、地域の人々がその価値に気がつき、丁寧に継承していかなければ、いくら企業がビジネスチャンスと捉えて、「地域の食」や食文化を活用した取組を後押ししようと思っても、素材となる資源が消滅していては取り組むことは容易でない。日本人だけでなく今や海外からの関心も高まるなかで、地域の多様な食文化の魅力を開花させるためには、地域自身で取り組むべきことがたくさんある。

ここでは3つほど例をあげてみたい。
1つめは、宮崎県西米良村の「おがわ作小屋」を舞台にした、伝統的な生活の仕組みを活かしながら、提供する食については伝統食をデザインして観光客に提供した取組の例があげられる。看板メニューは季節の食材を使った16品の地元食材による小皿盛りの「おがわ四季御膳」であり、平成の桃源郷をめざす西米良特有の「作小屋」の魅力とともに人気を集めている。地域の食だけにとどまらず、地域の暮らしぶりや食文化を再評価し、現在のニーズに対応した取組のひとつである。

2つ目は、福井県小浜市のように、朝廷に食料を献上した御食国(みつけくに)の誇りを胸に独自の食育基本法を作り、地域をあげて次世代の子ども達に「わがまち“おばま”の魚食」を継承すべく、小さなこどもたちも魚をおろすことができるような食育活動を積極的に行う取組を行っている。こうした地道な取組の継続は、長い目で見たときに、食文化で地域を活性化させる原動力になるはずである。

3つ目は、急速にその存在感を増すインバウンド観光客の目線を意識した取組の可能性である。例えば今年9月8日にサントリーが発売したビール(モルツ)は、“UMAMI”を訴求した商品として注目したい。うま味は日本人にとっては身近な存在だが、今や海外でも“UMAMI”として国際的に認知された言葉であり、特に欧米の料理人の間では熱い視線を注ぐ対象となっている。地域の食は、だしや麹、魚醤などうま味の宝庫である。こうした外国人観光客の目を意識した「和食」への新たなアプローチで、地域の食を盛り上げ、交流の促進につなげる模索も、これからは必要になるであろう。