災害からの観光復興

2016年4月14日夜に始まった一連の「平成28年熊本地震」は、4月16日未明の「本震」を含む無数の余震の震源となった熊本・大分両県に、大きな被害をもたらしました。建物や道路、鉄道施設などの被害、土砂崩れ等による農業・製造業などへの影響は大きく、地元経済に大きな打撃となりました。同時に、地震による観光客の減少は九州全体の観光産業に大きな影響を与えています。本コラムでは、今後の観光復興を進める上でのポイントについて考えます。

髙松 正人

髙松 正人 客員研究員
観光レジリエンス研究所 代表

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目次

熊本地震の観光への影響

鯱や瓦のすっかりおちた熊本城や倒壊した阿蘇神社の映像は、今回の地震の象徴となり、何百回となく繰り返し報道された。これらの観光施設の復興には相当な時間と資金がかかることであろう。こうした目に見える被害も大きかったが、同時に地震による観光客の減少は九州全体の観光産業に大きな影響を与えている。地震の震源となった熊本・大分両県の観光地だけでなく、長崎県や鹿児島県など地震の揺れがそれほど大きくなかった地域でも、最初の地震の翌日から宿泊予約のキャンセルの連絡が相次いだ。とりわけ影響が大きかったのは修学旅行である。阿蘇山、熊本城という修学旅行の目玉となる観光地が大きな被害を受けたため、九州への修学旅行を予定していた多くの学校が、沖縄や山口県など他の地域に旅行先を変更したのである。そのために、地震による直接的な被害のなかった長崎市内や鹿児島の旅館・ホテルでも、大量の修学旅行の予約取り消しが発生した。中には、1万人以上の取消が発生し、経営上の重大な危機に直面している宿泊施設もある。

大分県では、4月28日に比較的大きな余震が発生したのち、大きな地震の揺れはないが、ゴールデンウィーク期間中に少し客足が戻ったものの、その後の観光客の入込は例年に比べて極端に少なく、県内の観光事業者は「いつになったら客足が戻るのだろう」と不安にかられている。とりわけ資金力のない中小零細の観光事業者は、すでに資金繰りが厳しい状態に追い込まれており、事業の存続の岐路に立たされている。影響はこれらの観光関連企業で働く従業員にも出ている。売上が激減し経営危機に直面した企業は、最大のコストである人件費の抑制策として、パート・アルバイトの削減から始まり、最終的には正社員の雇用に手を付けざるを得なくなってきている。

風評被害と実際のリスク

観光は風評被害を受けやすい産業である。観光の風評被害とは、ある地域で災害が発生した際に、その情報に接した多くの人が、その地域へ旅行することが実際よりも危険度やリスクが高いと認識し、そのために旅行を手控えたり、予定していた旅行を取りやめたりすることにより、観光関連産業が有形(経済的損失)、無形(ブランドイメージの低下など)の損失を被ることと定義される。また災害が発生した地域の周辺地域が、実際には災害の影響がないにもかかわらず、影響のある地域と同一視されることにより、周辺地域への旅行者が減少して観光関連産業が損失を被ることも風評被害である。

したがって、災害後の観光の事業継続においては迅速で正確な情報発信が生命線となる。マスコミ報道やインターネット上の情報は被害の大きかった場所に焦点を当てるが、それだけだとあたかもその地域全体が災害による大きな被害を受け、観光どころではないような印象を視聴者に与える。ところが実際は、同じ熊本県や大分県内でも、地震による被害はほとんどなく、観光施設や宿泊施設が通常営業を続けていた地区が多くあったにもかかわらず、その情報が伝わらないのだ。それが観光の「風評被害」を引き起こす原因となる。

ここで注意しなければならないのは、風評と実際のリスクがある状態を混同してはならないということ。特に実際のリスクが存在する観光地自らが、「これは風評被害だ」ということは絶対に避けるべきだということだ。今回の地震のケースでは、6月1日現在で気象庁が「最大震度6の余震に十分警戒すべき」と警告している熊本県・大分県には、実際のリスクがある。このような状況であるにもかかわらず、「もう地震の心配はないから、風評など気にせずに大分県に来てください」などと宣伝しようものなら、たちまち世論から厳しく叩かれてしまうだろう。「何を根拠にそのようなことを言うのだ。もし気象庁の警告するように大きな余震が発生して、旅行中に被災したら誰の責任だ」と。

こうした時には、事実を正確に伝えることが一番だ。たとえば、「別府では、何月何日以降、震度3以上の地震は発生していません。別府市内の観光施設、宿泊施設は、すべて通常営業を行っています。」という情報は事実なので、積極的に発信して差し支えない。その情報を見て、自分の判断で「もう別府は地震の心配がないから行ってみよう」と思ってくれる人もいるだろう。しかし、情報発信がなされなければ、そうした市場の動きもなかなか出てこない。

観光復興計画

今、九州の各地域では、民間や国、県、市町村の各レベルの行政が、それぞれ地震後に落ち込んだ観光客の入込を取り戻すため、さまざまな誘客の取り組みを始めている。しかし、それらの動きが十分に相互連携できていないため、せっかく労力とお金をかけていろいろなことをやっても、散発的かつ一時的な反応に終わってしまう恐れがある。やるべきことは、県全体として、あるいは九州全体としての観光復興にむけたマーケティング計画を作り、それを確実に実行していくことである。

計画に盛り込む要素は、いつ(When)、どの市場(Where)のどのような層に対して(Whom)、各県や九州の観光のどのような点(What)をアピールするのか。そして、それらをどのような情報チャネルを使ってどのように(How)伝えるのか、という4W1Hだ。同時に、そのために必要な資金をだれが、どのように調達するのかも計画する必要がある。

問題になってくるであろうことは、だれがその計画を取りまとめるのか、いつ計画を策定するのかがなかなか決まらないことだろう。これに対する答えは、県でも、九州観光機構でも、九経連のような民間団体でも、とにかくリーダーシップをとれる組織が取りまとめるべきだ。しかも1日でも早く。余震の収束宣言が出てから計画を作っていたのでは、観光復興はさらに1か月も2か月も遅れてしまうだろう。

2003年にSARSにより観光が大打撃を受けた香港では、世界保健機構が香港のSARSの収束宣言を出して1週間もたたないうちに、世界的な規模の観光復興キャンペーンを開始し、その後の短い期間でSARS禍の前の水準まで観光客数を戻すことに成功した。これは、SARS患者数がまだ増え続けている段階から、特別チームが観光復興に向けた準備を開始し、そのための予算も獲得できていたからであり、それゆえに収束宣言後、直ちに観光復興計画に従って大々的なキャンペーンを実施できた。

観光復興のポイント

観光復興のためのマーケティング計画のポイントは、以下の通り。

  • 九州内の観光地は、ほとんどが通常の状態に戻っており、訪れた観光客は、観光を楽しんでいることを市場に確実に伝える。
  • 災害後に、戻ってきやすい市場やセグメントから始めて、観光客の賑わいが戻るのに合わせて、徐々に他の市場にマーケティングを広げる。
  • 九州の観光に「思い入れ」のあるリピーター層への働きかけに重点を置く。
  • 予約を取り消したお客様に、「○○はもうだいじょうぶ」というメッセージを伝えて来訪をうながす。
  • 先(夏以降)の予約がこれ以上落ちないよう、現在予約があるお客様に安心情報を提供する。
  • 第三者的な立場にあるマスコミや旅行会社を通じて、九州の観光の回復を発信することで、情報の信頼性を高める。
  • 旅行会社の企画・販売スタッフに県内の様子を実際に見てもらう機会を作る。
  • 実際に九州に来訪した観光客が感じたことを、来訪をためらっている層に伝える。
  • 各県、各地域の取り組みを、九州全体の観光回復の取り組みの中に位置づける。

将来の災害・危機に備えて

今回の震災への対応を見る限り、九州の各県、各観光地の観光危機への備えは必ずしも十分でなかったようだ。しかし、地震だけでなく観光客や観光事業者にマイナス影響を及ぼす災害や危機は、今後も発生するであろうことは間違いない。観光立国を推進する我が国にとって、観光分野の危機への備えを強化することは、日本の各地を訪れて下さる観光客に対する責任でもあり、また経済の主要な柱となってきた観光産業を危機に対して強靭化することは、行政や経済界の大きな課題である。

沖縄県では、2014年に県の観光危機管理基本計画を、2015年に観光危機管理実行計画を策定し、それを県内のすべての市町村と観光関連団体・事業者に展開しつつある。海外に目を向けると、ハワイやオーストラリア、タイなど観光産業への依存度が高い国や地域では、総合的な観光危機管理計画とそれを実行するための体制が整っている。

2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、日本の各地で観光がさらに活性化してくるだろう。それまでに、日本をより安全で安心できる観光デスティネーションにすべく、危機・災害への備えを進めていきたいものだ。