Make a good choice

現在、日本では地域創生のキーファクターとして観光に期待がかかっている。ほぼ初めて観光振興に取り組むといってもいい日本の地域も少なくないが、その姿は当時の新生クロアチアの観光振興を思い起こさせる。2007年から東アジアにおけるクロアチア政府観光局の準備に従事し、2015年まで代表を務めた筆者の経験を通じて、日本の‘Make a good choice’ について考察したい。

エドワード トゥリプコヴィッチ 片山

エドワード トゥリプコヴィッチ 片山 客員研究員

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目次

はじめに

クロアチアはローマ時代に遡る古い文化と伝統そして自然を持つ、ヨーロッパの美しい国の1つであるが、ユーゴスラビアの分裂で91年に独立した新しい国でもある。ユーゴ紛争が終わる95年当時、経済は著しく停滞し、訪れる人も激減していた。従来からある資源を活かすことのできる観光振興は、国の復興に重要な役割を担ってきたが、それは過去からの継続というより、全く新しいスタートだったといえるだろう。

筆者は2007年から東アジアにおけるクロアチア政府観光局の準備に従事し、2015年まで代表を務めた。その間、新しいデスティネーションとしてクロアチアが認知され、日本人旅行者は2006年の6.4万人から2015年の16万人まで倍増した。

現在、日本では地域創生のキーファクターとして観光に期待がかかる。ほぼ初めて観光振興に取り組むといってもいい日本の地域も少なくないが、その姿は当時の新生クロアチアの観光振興を思い起こさせる。筆者の経験を通じて、日本の‘Make a good choice’ について考察したい。

Tourism Related

6月末の国民投票によるイギリスのEU離脱(Brexit)の決定に世界中で衝撃が走り、域内および世界の政治、経済の動向に目が離せない状況が続く。

ところで、連日続く深刻なニュースの一方で、ヨーロッパで行われている2つの大きなスポーツ大会が注目を浴びている。ウィンブルドンテニス大会とフランスで開催されているサッカーUEFA欧州選手権(UEFA EURO 2016™)だ。クロアチアはもともと球技が強い国である。ウィンブルトンではチリッチがベスト8まで進み、UEFA欧州選手権ではクロアチアチームは惜しくもベスト16で敗退してしまったが、アスリートたちが国際大会で活躍するということは国の知名度をあげる為には非常に大きな意味がある。

ウィンブルトンや2016年のUEFA欧州選手権の開催国、イギリスとフランスは既に歴史ある観光先進国である。独立後のクロアチアの新しい観光振興において参考にしたのは、観光大国の英仏ではなく、イタリアやギリシャという地中海の国々だ。ただし英国政府観光庁(visit Britain)による長年の分析ときめ細やかで戦略的なマーケティングの上手さは当時から注目していた。イギリスの観光戦略について少し触れてみたい。

British style

イギリスと日本は近年の観光において共通点がいくつかある。共に社会経済が成熟した国であり、共に2000年以降のオリンピックパラリンピック競技会の開催国であること。そして、共に2020年までに外国人旅行者数の目標を4000万人としている点だ。現在2000万人の外国人旅行者が訪れる日本は20年の五輪開催年がゴールになり、イギリスは12年の五輪開催から8年間で4000万人になることが目標である。が、既にイギリスは2011年の目標設定時点で3000万人の観光客が訪れている。

ロンドンは2000年以降の五輪開催都市の中で、外国人旅行者数が開催年および翌年と連続して増加した唯一の都市である。2005年に正式に開催が決まってから、Visit Britainは他の関係機関と連携し、綿密な情報分析に基づく戦略を策定し、開催前年の2011年から15年までの5年におよぶ世界共通のキャンペーン「GREATキャンペーン・英国へようこそ」を開始した。2015年はラグビーワールドカップイギリス大会の年で、日本代表の活躍で日本でも話題になったのは記憶に新しい。ロンドン五輪は成功裏に終わり、その結果2013年のイギリスの観光産業はGDPの9%(日本5.2%)を占め、雇用も9.6%(日本6.5%)で約17万人が新しい職を得た。世界経済フォーラムの観光競争力ランキングでイギリスは2009年の11位から2015年には5位にランクアップし、現在に至る。

イギリスへの旅行者が増加するとともに地方部への訪問者も増加しているが(表)、ロンドンへの訪問者が群を抜いて多いのが現状だ。日本同様地方部へ観光客を呼び込むことが課題といえる。

(表)イギリス都市別訪問人数
2011年から2015年までのイギリス都市別訪問人数

Croatian style

現在のクロアチアは、人口426万人、面積は九州の約1.5倍に相当する。ユーゴスラビアの時代からヨーロッパを中心に観光客は一定数あったが、ユーゴ紛争で激減した。本格的に観光復興が始まったのは、紛争終了後の1995年以降である。現在は人口の3倍の外国人旅行者が訪れ、観光産業はGDPの20%を占める主要産業になり、国際的に、魅力的な旅行のデスティネーションとして知られるようになった(図)。本章ではクロアチアの観光振興におけるポイントを紹介したい。

(図) クロアチアを訪れる海外観光客数の推移
2000年~2015年までのクロアチアを訪れる海外観光客数の推移

●ヨーロッパ市場から世界市場へ

新しいクロアチアの観光振興における大きな転換は、市場をヨーロッパから世界に広げることだった。
日本においては、1993年に駐日クロアチア共和国大使館が開設され、観光関連業務も担っていた。筆者は2002年から担当となった。2005年に6か月にわたり開催された愛知万博にクロアチア館をオープンさせたことが大きなPRとなり、2006年にクロアチアを訪問した日本人観光客は前年の二倍になった。2007年にJTBと日本航空利用がチャーター便の商品を企画し、販売開始から15分後にはジャンボ1機分が完売した。

クロアチア政府観光局の東京事務所は2008年に開設された。筆者は局長として15年まで日本、韓国、台湾、香港を担当した。

日本マーケットへの最初のアプローチは、1.旅行業、2.メディア、3.一般市民と対象を分けてスタートした。事務所を開設してすぐ行ったことは、旅行会社へのアプローチである。開設早々に日本旅行業協会(JATA)に年次総会をクロアチアで開催してもらうよう依頼し、11月に実現し、幹部がクロアチアを訪問した。翌年JATAでワーキンググループが発足し、クロアチア旅行のためのさまざまなプログラムが検討された。直行便がないなど個人では行きにくく、旅行先として新しい国で何があるか知られていない中で、日本人の好みや特徴を良く知っている旅行会社の企画による商品化は効力があった。また、顧客の不満足は旅行会社への不満足につながるため、初めてのデスティネーションについては‘質’を意識するため、政府観光局からみるととても信頼がおけた。メディア、一般市民については“ハートフル・クロアチア”に記載したい。

●プロモーション対象国の文化や伝統、そして‘人’を知る

アジア全体の戦略やプロモーションを考える中で、対象となる国の文化や伝統、旅行者の習慣や興味の対象を知ることは重要なことだった。日本人については「安全ではない国」という誤解の払拭と共に、世界遺産、グルメ、ワインや文化に焦点をあてた。台湾人は国立公園やアドリア海を好む傾向から、自然や風景に注目し、韓国はセレブリティやテレビ番組の活用に重点を置いた。クロアチアで撮影した韓国の有名人の番組は韓国人の興味を上げ、瞬く間に多くの韓国人が訪問するヨーロッパ有数のデスティネーションになり、現在は日本の2倍の30万人がクロアチアを訪れている。

●最初は1つの都市・テーマを集中的にアピール

まだ知られていない地域を紹介するために大切なことは、まずは首都や象徴的な存在の観光地の紹介に絞ることが効果的である。そこから波及して、旅行者は他の都市や地域に対する興味が自然に広がっていくようになる。クロアチアの場合は、「アドリア海の真珠」と呼ばれ、毎年数百万人訪れる古都ドゥブロヴニクが観光地として最も知られている。国や自治体はなんでも平等にアピールしなければいけないと思ってしまうが、あれもこれも一度に伝えるのはかえって印象を薄くする。世界遺産ドゥブロヴニクが象徴的だったクロアチアも、次第に他の地域への関心が高まり、後述するような人気観光地も登場している。

テラシュチツァの空撮図

テラシュチツァ島 出典:クロアチア政府観光局/Ivo Pervan撮影

●究極のキャッチコピー、和製英語を使った‘ハートフル クロアチア’

日本人にとって、クロアチアは地理的な位置も知られていないどころか、ユーゴ紛争から10年がたっても依然、「危険」、「戦時下」、「冷酷」、「共産主義」などの印象を持たれていた。最初のアプローチの目的は、クロアチアの知識を深めてもらうことが第一であったが、次第に優先的に解決すべき課題は理解しやすい言葉に置き換えるスローガンによりクロアチアの第一印象を変えることだった。またスローガンの選定はコンセプトや戦略を策定する上で非常に重要である。私たちは日本でプロモーションするにあたり、和製英語の“ハートフル”と言う言葉を使い“ハートフル クロアチア”というスローガンをつくった。この和製英語は日本人にとってもともと親近感があり、また温かみがあり、愛らしいものになじむ言葉である。多くのプロモーションで“クロアチア=ハートフル”となるように心がけた。多くのテレビ番組、雑誌や新聞などメディアを対象にクロアチアへのファムトリップを企画し、にクロアチアの魅力を目で見て肌で感じてもらうことで、結果として、ハートフルなデスティネーションと表現してくれるようになり、「安全ではない国」から“ハートフル”なイメージへとシフトしていった。

●クロアチア国内で観光業界だけではなく、すべての人々を巻き込むためのしくみづくり

先ごろ「EUROPEAN BEST DESTINATIONS」というヨーロッパの文化や観光を内外に広める活動組織が、「2016年に訪れたいヨーロッパの街のランキング」を発表した。1位には、著名な観光地のアテネやパリ、クロアチアの世界遺産のドゥブロヴニクを差し置いて、ザダルという街が選ばれた。この快挙は世界水準で満足度の高い観光インフラの整備やイベントの実施だけではなく、‘人’による貢献が限りなく大きい。

ザダルの空撮図

ザダルの街 出典:クロアチア政府観光局/Ivo Pervan撮影

クロアチアでは2003年から‘People, the key of success’ 賞がもうけられ、25のカテゴリー(ベスト旅行会社、警官、シェフ、ウェイター、ホテルの受付、ビーチ監視員など)で観光産業に直接/間接的に携わる多様な人々に賞が贈られている。この賞は観光産業界では大変栄誉ある賞であり、成功モデルの1つとなっている。

もう1つ、‘Flower ’賞を紹介したい。これは街の中にある様々な庭、一般家庭、病院、美術館などの美しく飾られた庭を表彰する制度で、すべての街が賞の対象である。街の景観や美化にまちぐるみで貢献できると同時に、子供たちに地元を大切にすることを伝えることのできるしくみとして、日本でも参考になるのではないかと考える。

人が与える印象やふるまいはその土地のイメージをよくすることにとても重要である。観光振興を考えるにあたり、観光関連産業だけではなく多くの人びとを巻き込むことはクロアチアでも日本でも今後さらに重要になるといえるだろう。