連載 新しい観光の芽 探検隊🔍~5年先の旅のカタチを探る~

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新しい観光の芽 探検隊🔍~5年先の旅のカタチを探る~

【第16回】生物学者・小林武彦さんに聞く、5年先の旅のカタチ

旅することで人は「幸せ」になれるのか?生物学者として幅広く活躍する小林さんが「死」から考える、これからの生き方とは?

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本コラムでは、今後の観光や旅行のトレンドの把握と、変化の兆し(=新しい観光の芽)を捉えることを目的に、旅行分野にとどまらない様々な分野の第一人者への「探検記(=インタビューの様子)」をお届けします。
 今回は、生物学者として寿命や老化の研究を行い、生物の死、ヒトの老い、ヒトの幸せなどについて幅広く発信し続ける小林武彦さんにお話を伺いました。


Profile

小林武彦 さん

小林武彦 さん

 
1963年神奈川県生まれ。神奈川県立外語短期大学付属高校(現横浜国際高校)卒業、九州大学大学院修了(理学博士)、基礎生物学研究所、米国ロシュ分子生物学研究所、米国国立衛生研究所、国立遺伝学研究所を経て、東京大学定量生命科学研究所教授(生命動態研究センター ゲノム再生研究分野)。日本遺伝学会会長、生物科学学会連合の代表を歴任。現在、日本学術会議会員。生命の連続性を支えるゲノムの再生(若返り)機構を解き明かすべく日夜研究に励む。海と演劇をこよなく愛する。
著書にベストセラー『生物はなぜ死ぬのか』(講談社現代新書)、『DNAの98%は謎』(ブルーバックス)近著に『なぜヒトだけが幸せになれないのか』(講談社現代新書)など。
 

遺伝子に組み込まれた「死のプログラム」を発見するまで

探検隊

小林さんは現在、どのような研究に取り組まれているのでしょうか。

小林さん

生物学を専門として寿命や老化の研究をしています。例えば亀は60年、鶴は40年だとか、生き物の種類によって寿命がだいたい決まっているんですよ。寿命を決めている遺伝子はどういうものなのか、その遺伝子の性質や働き方が分かると、ヒトの寿命を延ばすことができるかもしれませんね。社会的な目標としては人口が減少する中でヒトの健康寿命を延ばしていきたいです。個人的には生物が好きだから色んなことを調べています(笑)。

探検隊

高齢化社会において人が少しでも元気に生きるために非常に重要な研究ですね。そもそも小林さんはなぜ生物学者の道を目指されたのでしょうか。

小林さん

元々は完全に生きものオタクです。昆虫少年でもありました。今でもヤドカリなどの海の潮溜まりにいる生きものを獲ってきては一週間位観察するのが趣味です。一緒に生活していると彼らの思想や生き様が分かってくるんですよ。生物学というのは基本的にヒト以外の生物を扱っている研究者が多いのですが、私は「生物の一つである”ヒト”」というような観点でヒトを含めて生物学を研究しています。そうすると他の生物との共通点や特殊性から、”ヒト”というものが分かるんですよね。最初は生きものが大好きでヒト以外の生きものだけを研究していたのですが、生物を研究すればするほど、ヒトはなんでこうなのかな?と気になって、段々興味がヒトだとか、ヒトの老いだとか、ヒトの幸せになっていき、考えて、調べて、発信するようになりましたね。

探検隊

元々はヒト以外の生物への興味から研究が始まっていたのですね。最初に気付いたヒトとそれ以外の生物の共通点や相違点は何だったのでしょうか。

小林さん

私はDNA、遺伝子の研究をしています。DNAが傷ついたら癌になるとか、傷が溜まっていくと老化するとかを研究していて、一番使っていた材料は酵母菌です。ブドウやイチゴの表面には必ずといっていいほど酵母菌がいて、ワインやパン、しょうゆを作るときの発酵にも使われています。一般的な単細胞の生物は栄養さえあれば無限に分裂するので寿命はないことが多いのですが、酵母菌は単細胞生物なのに寿命があるんですよ。20回位分裂したら死んでしまいます。2日間位の命です。研究ではハツカネズミを使うこともありますが、寿命が約2年あるため結果がわかるのは2年後になってしまいます。寿命が短く結果がすぐわかる酵母菌は、老化研究に最適なんです。以前、酵母菌の傷ついたDNAを治す研究をしていたところ、ある遺伝子が壊れた変異体で寿命がやたらと長くなるのがいました。遺伝子が壊れて寿命が延びるんだったら、最初からその遺伝子を持っていなければ長生きできるのに、なぜ長生きを阻む遺伝子をわざわざ持っているのか疑問に思い調べてみました。酵母菌は全部で6000個の遺伝子があるのですが、不思議なことにそのうち200個くらいは潰すとかえって長生きになるんですよ。酵母菌と同じようにマウスにもヒトにも寿命を制限する遺伝子があることが分かりました。寿命が長い方が子供をたくさん作れるし、よさそうじゃないですか。それは単なる人の想像であって、実はちゃんと決められた「老化して死ぬ」という「死のプログラム」が遺伝子に組み込まれているということに気付き始めたんです。

 

 

生物学者の視点で考える「生物はなぜ死ぬのか」

探検隊

死ぬことが最初からプログラムされているというのは具体的にどういうことなのでしょうか。

小林さん

赤ちゃんが歩き始める、言葉を発し始める、第二次性徴が起こる、声変わりをするというのは民族、男女関係なく、みんな大体同じタイミングで成長(変化)します。それと同じように30歳を過ぎても加齢変容が起こるんですよ。老化というのは、ものが壊れていくようなイメージがあると思いますが、遺伝子発現のプロファイルを見ていくと、44歳と60歳のときに男女関係なく発現する遺伝子もあって、ヒトが成長するときの発生と一緒なんですよ。老化は明らかに発生の延長であり、ものが壊れていくようなものではないんですね。最終的にその生物を死なすという遺伝子が発現して人生が終わる。つまり死ぬまでプログラムされているんだと考えると、生きることに関して考え方が変わってきます。抗うことが出来ない人生のゴールを見定めながら生きていくということが、私たちの正しい生き方なんだろうなということを酵母菌から教わりました。生物の進化的にも死ぬようにプログラムされている方がおそらく有利だったんですよ。僕らは個人としてはどんどん老化していきます。でも赤ちゃんは親の年齢に関係なく0歳から始まるじゃないですか。全ての生物は世代交代のときにリセット、つまり若返りが起こる訳です。この若返りが生命の連続性を支えている「肝」です。そして死にもちゃんと意味があって、進化のために死ななければならなかった。死があるものだけが進化して今ここに存在するんだということが分かります。

探検隊

老化は遺伝子が壊れていくことではなかったのですね。遺伝子のプログラムは何歳位まで組み込まれているのでしょうか。

小林さん

実のところ本来のヒトの死なないプログラムは55歳くらいで終わっているんですよ。それまでは進化の過程で多くの人は病気もしないし、死なないようになっています。若いときに子供を産み、育てるまではほとんどの人は死なないんです。これはヒトの親戚であるチンパンジーやゴリラも同じです。ヒトだけは両親だけでは子育てが出来ないので、55歳よりも長い寿命のおじいちゃん、おばあちゃんの年まで、進化的に守られています。そしていわゆる健康寿命を過ぎると揺らぎの中で生きている感じですね。個人の努力や運に相当の影響を受けるんだと思います。ちなみに日本で一番寿命が短いグループは独身男性で平均寿命は約67歳ですね。遺伝子としては既婚のグループと変わらないので生活習慣などに原因があるんでしょう。探検隊の皆さんも気を付けてくださいね(笑)。あくまで生物学的な話でございます。僕らは何とかして健康寿命を延ばしたいと考えています。

探検隊

生活習慣は気を付けないといけないですね(笑)。現在、地球上には多くの生物が存在し、共存しています。ヒトが進化していく上で、他の生物の進化や多様性も必要なものだったのでしょうか。

小林さん

生物というのは自身が生きている理由はほぼないです。要するに自分が生きている意味や存在意義を探しても、生物学的には偶然存在しているだけで、自分がヒトであることも、女性や男性であることも偶然です。でも他のヒトにとって自分は必要なんですよ。誰かの親だったり、生殖のパートナーだったり、グループの仲間だったり、誰かの餌だったり、絶対に必要なんです。つまり「相互に利他的な存在」ということです。多様性が私たちの存在の源になっていて、色んな生物がお互いを必要としています。関係ないと思われる生物でも巡り巡って自分たちの食べ物の餌になっているかもしれないし、住処かもしれない。だから、多様性は大事にしなければなりません。

 

 

生物学以外の視点で考える「死」とは何か

探検隊

「相互に利他的な生き物」という言葉にはとても納得出来ました。ここまでは生物学視点で「死」についてお話を伺いました。生物学的には脳や肉体の死を「死」と捉えると思うのですが、例えば「文化の死」のようなものを含めると、「死」とは何なのでしょうか。

小林さん

難しい質問ですね。生物学的には心臓が止まって、脳波がゼロになったときに肉体的には死んだと言えます。先程お話したように生物は「相互に利他的な存在」ですよ。なので周りの人が色々考えたり、意思を継いで何かをしていて、その人は死んでないと思ったらその存在は死んでいないかもしれないですね。「死」というのは本当はそのときに判定出来ないんです。後から考えると、あのときに死んでいたんだなと思える。「肉体的な死」と「文化的な死」の折り合いをつけるとすると、「死」は後からそのときだったんだなと思うのが一つの考え方としてあるのかなと思います。

 

旅を通じてヒトは「幸せ」になれるのか

探検隊

そのように考えると「死」のタイミングは人それぞれなのかもしれませんね。ここからは少し話題を変えて旅に関連したお話を伺っていこうと思います。小林さんは普段旅をされますか。

小林さん

旅行は大好きです。実験系の研究者なのでラボに張り付いていることが多いのですが、出張の際には乗り継ぎの隙間時間などを利用して色んなところに立ち寄ります。例えばルーブル美術館を60分で周り、モナ・リザを30秒で観たという経験もあります。逆に短時間の方が集中して見ることが出来るかもしれません(笑)。普段の旅行は観光地を周るというよりはイベントに出たり、人に会いに行ったりすることが多いです。訪問先で色々な生きものを見るのも好きです。動物園、植物園は必ずいきます。

探検隊

生きもの好きとしては訪問先で色々な生物を発見することも面白いですよね。生物学的に考えた場合、旅はヒトにとって必要なものなのでしょうか。小林さんの著書『なぜヒトだけが幸せになれないのか』では、「幸せ」を「死からの距離が保てている状態」と定義していたと思います。旅は自分の居場所を離れて新たな場所へ行く、つまりリスクを伴い、死を近づけてしまうという考え方も出来るかと思いますがいかがでしょうか。

小林さん

全く逆だと思います。旅をした方が死からの距離は遠のくと思います。人類は移動しながらサルからヒトになっていったので、移動したり、仲間で助け合ったりする生活サイクルに最適化されています。なので同じ場所に留まる方が死からの距離は縮まっているのかもしれません。同じ場所に留まるリスクと移動したときのリスクを比べて、どちらのリスクが高いかは一概には言えませんが、ヒトのこれまでの選択は移動して新しい環境に適応してきたんですよ。その中で好奇心と知恵を使いながら生き残ってきました。ヒトが定住を始めてから1~2万年の間に脳の大脳皮質は5~10%小さくなったと言われています。おそらく定住によってサバイブするような環境に遭遇しなくなり、考える、生き延びるという能力が下がってきたのではないかと思います。テクノロジーに支えられ、それがないと自力で生存不可能なレベルにまでなっています。自分が慣れていない環境に適応しようと思うと普段使っていない脳や身体能力が活性化されるので、旅は生きていく上でも大切と思います。

探検隊

旅を通じて脳や体を活性化することは死からの距離を遠ざけ、幸せに近づくということですね。このような状況がある中で、5年先の旅はどのようになっていくと思いますか。

小林さん

まず海外旅行については、最近インターネットやストリートビューの情報で見られてしまいますよね。昔は絵葉書くや本くらいしかなかったのでそれらをイントロダクションとして見て、夢を膨らませ実際に行って、リアルで見て感動することが出来ました。今はイントロダクションを通り越して本編が見えてしまうので以前ほどエキサイティングではないんです。昔みたいな人の好奇心はなくなってきていて、どちらかというと人に会いに行くとか、現地の風習や考え方に触れるような体験型の旅行が必要になっていくと思います。自動翻訳機でコミュニケーションが容易になったので、ただ見るだけじゃなくて参加する、語り合う、関係性を繋げるみたいな文化の交流を少しずつ増やしていくとよいのかなと思います。国内旅行については、今後地域や色んなコミュニティが重要になると思っています。ヒトも「相互に利他的な存在」であり、生物学的には主体としての価値はほぼないと先ほど述べたように、人に頼られながら生きていくものです。だからこそ、どうやって人との関係を維持するかがこれからは重要になると思います。居住地以外のコミュニティに属するのもよいと思うし、自分の実家でもよいです。心の拠り所になるような「もう1つの棲家」を見つける旅もよいと思います。ここに来ると自分は安心するという場所にリピーターとして旅してみて、コミュニティに属せるくらい地域の人と関係性を築いていく。そして、第二のふるさととして、ここで死んでもいいかも思える場所を見つけられたら、長い老後を迎えるにあたっては幸せかなと思います。

 

 


今回の探検で見つけた「芽」

今回の探検で発見したのは、死ぬことから考える”幸せ”でした。「死」は決してネガティブなことではなく、生物学的に見ると進化の過程で必要とされているものでした。私たちは誰かのために生き、死ぬ。その中で私たちヒトが”幸せ”になるために出来ることの一つとして旅があります。忙しく過ごす日々の中で少し手を止めて生きること(=死に向かって歩むこと)、そして幸せになる生き方を考えてみてはいかがでしょうか。(YVR)