連載
新しい観光の芽 探検隊🔍~5年先の旅のカタチを探る~
【第18回】「治療では遅すぎる」の著者・武部貴則さんに聞く、5年先の旅のカタチ
「病を診ずして、人をみよ」をポリシーに、従来の医療の枠を超えた取り組みを行う武部貴則先生が語る「コミュニケーション」の本質とは。
本コラムでは、今後の観光や旅行のトレンドの把握と、変化の兆し(=新しい観光の芽)を捉えることを目的に、 旅行分野にとどまらない様々な分野の第一人者への「探検記(=インタビューの様子)」をお届けします。
今回は、最先端の再生医療研究を行う一方、医療を日常生活の中に融合させるアイデア・デザインの力で、病院や研究機関の枠を超えたstreet medicalという取り組みを行う武部貴則先生にお話を伺いました。
Profile
武部貴則 さん

1986年神奈川県横浜市生まれ。横浜市立大学医学部卒業。2013年にiPS 細胞から血管構造を持つヒト肝臓原基(ミニ肝臓)をつくり出すことに世界で初めて成功。大阪大学 大学院医学系研究科 ゲノム生物学講座 器官システム創生学 教授 (栄誉教授)。東京科学大学 総合研究院。シンシナティ小児病院 オルガノイド医療研究センター 副センター長/准教授。横浜市立大学 コミュニケーション・デザイン・センター センター長/特別教授
「治療では遅すぎる」という考えに至る思い
探検隊
武部さん
曾祖父の代まで見ても皆文系で会社勤めやアルバイトをしていました。ちょっと変わったところがあるとすれば、父方と母方の祖父が、今で言うスタートアップのようなことをやっていました。母方の祖父は、車のディーラーをゼロから創業し、父方の祖父はアメリカで売る商社的な仕事をしていたと聞いています。
この二人の祖父は、今の僕の働き方に近いアイデンティティを持っていたかもしれません。ただ、理系や医者は家系にはいません。
探検隊
武部さん
ちょっと隙間から見ると、もう別人のようでした。以前はふくよかだった父が、ひどく痩せていて、ひげも伸び放題で見たこともない顔つき、しかも意識も虚ろな状態で、その時の光景はとても衝撃的でした。そこから結果的には普通に回復し、社会復帰もできました。それはとても低い確率だったそうですが、本当に助かってよかったと思いました。
父のことで、仕事関係者や家族、親族など、皆が大きなインパクトを受けました。もしものことがあったら、中学卒業後すぐに働いていたかもしれないし、高校や大学も諦めていたかもしれません。一人の命が助かることで、人生が大きく変わることを実感しました。
探検隊
武部さん
医学部で学んでも、治せる病気については「この薬を出しましょう」「この外科治療でやりましょう」とパターンを教えられるのですが、そもそも従来治療の対象としていない症状が出る前の状態については、対処方法を十分に学ぶことはできませんでした。つまり、父のように発症していないが明らかにリスクが高い状態の時に何をすべきか、ということは解決策を十分に学ぶことができません。もちろん、糖尿病ならこれくらいの確率で悪化する、という統計的なリスクは学びますが、タバコが悪いと分かっていてもやめることはそう簡単ではないように、分かっていても実際にはどうすればいいのか、という手段がなかった。そこを考えたいと強く思うようになりました。
それは父だけでなく、高齢化社会やデジタル化社会の中で、医療の範囲外で問題解決が必要な人がたくさんいるのに、誰も取り組んでいない現状に疑問を持つようになったからです。そこから、一般生活で実践できる技術分野は何かと考え、デザインやクリエイティブ領域の考え方が武器になると思い始めました。それが今のstreet medicalの活動や、まちづくりの考え方にもつながっています。

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健康と幸せの本質
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武部さん
現代の本当に忙しい情報社会の中では、自然体であることが一番大事だと思います。その根底には、自分自身が「生きている心地がする」、つまりハッピーであることがあると思います。ハッピーな状態が自然に体現されていることが一番大事ですね。実はハッピーとヘルシーは同じではなく、僕はやっぱり「ハッピーであること」が先に来るべきだと思っています。
探検隊
武部さん
一方、非日常、例えば観光では、予想外のことがたくさんあることが大切です。幸せのトリガーとして、予想外のイベントは強いと言われています。旅行も、すべてが細かく決まっているとワクワク感が薄れます。僕は、予想外の出来事や美しい景色に感動するなど、予想していなかった体験に面白さを感じます。旅のハプニングやワクワク感を大切にしたいですね。
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武部さん
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インベンションとイノベーション
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武部さん
融合が本当に必要なのは、どちらかというとイノベーションのフェーズのものです。最初に面白いインサイトや、「これは誰も考えていないな」という発見がベースにしっかりないと、コラボレーションもうまくいかないと思います。最初のきっかけになる考え方や核となるものがしっかりしていることが大事です。
まず具体的な案があって、そこにコラボレーターが加わると議論が深まり、意味のあるものになりやすい。それは概念でもいいし、具体的なものでもいいと思いますが、コラボレーターにとって目新しい要素や、「これは考えたことがなかった」という視点がないと、うまくいかないのですね。なんでもコラボレーションやオープンイノベーションといっても、ただ集まるだけではうまくいかない、大学などがよく失敗する構造もそこにある気がします。
探検隊
武部さん
イノベーションは理性的にデザインを考えたり、細かなリスク算定ができる、バランスをもってとりくめる、ある意味保守的な人が多い気がします。日本にはそういうタイプが多いと思います。
もしかするとアメリカなどでは、そういう人材をスタートアップ文化でカバーしてきたのかもしれません。ただ、スタートアップが社会実装まで全部やるというのは、本当に限られた事例しか存在せず、多くの場合は、様々なステークホルダーを巻き込みながら、バトンを渡していくような活動が重要だと思います。医薬業界では、スタートアップが開発したものを大企業が買収して社会実装する、というモデルが一般的です。大きな企業では、そういった人材を自社で抱えることが難しいので、スタートアップを買収することでインベンションとイノベーションをつなげるエコシステムができているんですね。
日本では、そのスタートアップの出発点が少ないので、大企業が自社の余力の中でちょっとやってみる、ということが最近ようやく始まってきた感じです。
探検隊
武部さん
アイデアを思いついて「これいけるかな?」と思ったら、まず動きます。そのあとで調べる。本も苦手です。だから自分で本を書いても、ほとんど読み返さないですね。長文も苦手で、国語も中学の時は壊滅的でした(笑)。やりながら覚えていく、そういうサイクルでやっています。
探検隊
武部さん
だから、誰もやっていないことで世の中に新しい風を起こさないと、本当に成功するものは出てこない。事例が出てきて、それがものすごく広まっていなければ、それはダメなアイデアだと判断します。誰も考えていないことが、一つのベンチマークですね。
AIで調べられることは、あくまでも今の世界にあるものだけです。ないものをAIで作ろうとしても、現段階では優れたものは出てきません。新しいものを生み出すには、「ここだ!」というポイントを自分で見つけていくことが大切です。
たとえば「イネーブリングシティ」という、街の感情を集めてビジュアル化する、みたいなことも考えています。食べログのように地図に店が紐付いていても、その時々の感情や体験の喜びは共有されていません。ハピネスのSNSみたいなものはまだないよね、という話になって、今それを作りたいなと思っています。
イギリスには「ヘルシーストリートインデックス」というものがあって、道ごとに健康度をヒートマップで表示したり、オランダやヨーロッパにはメンタル系のポジティブエモーションを地図化するようなものもあります。でも、どれもユースケースが限られていて、もっといろんなパターンがあってもいいのでは、と考えています。
同じ街や地域でも、60代・70代の人と若い人では体験が全然違いますし、注目するポイントも違うはずです。同じ場所でも見える景色や感じ方が違うので、そういう違いが交錯したり、リンクしたりするトリガーができるツールがあったら、みんな使うんじゃないかなと考えています。

旅の嗜好・体験の多様性
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武部さん
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武部さん
みんなで一緒にお祝いしたのですが、「これはもう二度と体験できないだろうな」と思いながら、とても楽しくて、今でも強く印象に残っています。

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武部さん
そういう目的性のない中での喜びが、僕にとっては旅をする理由かなと思います。でも、これはある意味で「怠け者」だからかもしれません。プランを立てるのが本当に苦手で、調べ始めると「これもいい、あれもいい」と決められなくなるんです。
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武部さん
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武部さん
旅行における「ハッピー」と非日常の価値
探検隊
武部さん
選択肢が増えたとき、ハピネスの力点がどこに置かれるかも変わってくるでしょう。
旅行で予定していなかった出会いや、思いがけない体験があることが一つのハッピーだと思います。もう一つは、完全に日常の世界から遮断される時間を持てることです。
これは、今の時代だからこそ重要性が増しているポイントだと思います。例えば、メールって感情がポジティブになることってほとんどないですよね。必ず何かを求められているし、毎日大量に届くので、アンハッピーのトリガーになりやすい。
でも、旅に出ると、そういったものから遮断されやすい。あるいは「旅先なので返信できませんでした」と許される状況もある。僕が今後の旅に求めたいのは、電波が届かないとか、意図的に「引き算」できる時間です。
今後はそういう時間の価値がさらに高まる気がします。
探検隊
武部さん
最近、アニメの「チ。」が流行っていますが、そのチの意味のように「知の創造」が重要なのだと思います。AI時代に入った今こそ、人間にとって本質的に大切なのは、こうした「知の活動」だと思います。
旅は、クリエイティビティを刺激するための最高のきっかけになるのかもしれません。
探検隊
武部さん
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今回の探検で見つけた「芽」
武部さんとのお話を通じて、旅は、単なる移動や観光ではなく、五感を駆使し、自らの身体で世界を体感する、身体性を持った「知の活動」であることを再認識しました。AI時代に生きる私たちは、それらを活用しながらも、既存のデータにはない偶発的な出会い、予期せぬ感動、そしてそれらを身体で感じ、咀嚼して得られる知恵を得たいと思い、旅に出るようになるのではないでしょうか。(ROR)