連載
「線」と出会う旅への視点
現代の「旅人さん」が「地域」とつくるつながりとは。
旅行者の日常と非日常の間にある「線」に着目し、「旅」への捉え方や視点を考える企画。第2回で取り上げるのは、新しい関係人口の創出に、5年前から挑戦している奈良県吉野町。「旅人さん」と「地域住民」の関わりが地域にどのような変化をもたらしているのか、筆者自ら現地で体験してきました。
第2回では、旅人が地域住民と関わる滞在体験を提供し、人とのつながりを創出する、いわば新しい関係人口の創出に挑戦している奈良県吉野町を紹介する。この取り組みを始めてから5年が経った今、地域にどのような変化が起きているのか、これまでの経緯と現状を考察する。
Profile
奈良県吉野郡吉野町
奈良県の中央部、吉野郡の北部に位置。町域の一部は吉野熊野国立公園、吉野川・津風呂県立自然公園に指定されており、吉野山の桜で有名。古くは古事記、日本書紀、万葉集にも記述があるほど歴史も古く、林業も盛ん。吉野町への移住を目的とした、定住促進事業を継続して行っている。
TENJIKUとは
奈良県吉野町で耳にする「旅人さん」とは?
「関係人口」という言葉を耳にする場面が増えたと感じている人も多いだろう。その内容は、実際に移住に至る人から、訪問したことがなくともふるさと納税をするだけの関係までとても広い。ゆえに関係人口創出の取り組みは、成果の可視化がしづらくもある。
そんな中、移住・定住促進を考えていた奈良県吉野町が2019年から取り組み始めたことは、旅人に関わるベンチャー企業である(株)SAGOJOと共に、旅人が地域住民と深く関わる滞在体験を提供し、人とのつながりを創出する、いわば新しい関係人口の創出である。
TENJIKUと呼ばれるこの仕組みでは、旅人は地域の困りごと・課題解決のためのミッションに取り組むことで、無料で宿泊し地域に滞在できる。
SAGOJOでは2015年の創業以来、「旅人が社会の役に立つ仕組み」をつくりたいと、旅人のスキルと旅先のニーズをマッチングする事業を提供していた。その中で、お金を報酬とする仕事だけではなく、旅先で旅人でなければできないことを気軽にやってもらい、観光でもビジネスでもない視点と立場で来てもらうことが、関係人口創出につながるのでは、と生まれたアイデアだという。2019年7月、移住促進事業を行っていた吉野町との縁によって、TENJIKU吉野が誕生した。その後、吉野町では植樹、清掃、地域食堂やお祭りの手伝いなど、季節やタイミングによって様々なミッションが提供されてきた。
旅人の受け入れを始めてから5年、「旅人さん」という言葉が少しずつ町内の住民にも定着し始めたという吉野町。当初は「誰やろう?」と遠くから見ていた住民たちの反応が、今では「今回の旅人さんですか?」と話しかける人が増え、自己紹介する人まで現れているという。
今回は筆者自ら「旅人さん」として参加しながら吉野町に滞在し、関係する人たちに話を聞いた。
旅人が地域の入り口で出会う関係案内人
この取り組みで、旅人が最初に接点を持つのは「関係案内人」と呼ばれる人たちである。「旅人と地域をつなげる」コーディネーターとして、受け入れ準備やミッションの調整を行う、旅人にとって心強い存在だ。吉野町の場合、町の臨時職員である菊地さんがその役を担っている。また菊地さん自身も2018年に神奈川県から吉野町にやってきた移住者である。
関係案内人の目的は、体験、滞在を通じて、吉野を知ってもらいファンになってもらうこと。旅人から申込があり受け入れが可能な場合、まず関係案内人が事前にオンラインで説明の機会を設け、その中で本人の希望をヒアリングし、そのときニーズのあるミッションのうち、どれをお願いするか、地域のだれを紹介するか考え、滞在はつくられている。
菊地さんが心がけていることは、旅人のやりたいことへのサポートをしたり、ヒントを出したりするが、旅人をお客さん扱いしすぎないこと。ミッションを労働や義務感を感じさせないよう、あくまで楽しくできる範囲の仕事にすることや、事前の期待値調整も大切にしているという。
旅人は先入観なく地域に入り、つないでいく
当初は、ミッションを通した旅人と地域住民の関係性創出が想定されていたが、受け入れを重ねるうちに面白いことが起きているという。ミッションに取り組む時間以外での、町の散策や人との出会いを通して、関係案内人や町役場の人すら知らない地域住民に旅人が出会ったり、知らないことを体験したりするなどして、「今日はこんな人に会って、こんなことをしてきました」と報告してもらうことが起き始めたのだ。
また既に関係性ができている旅人が、地域の人に事前に連絡すると「ごはん会でもやろうか」と地域住民が集まる機会が自然に生まれたり、旅人の持ち込み企画でワークショップやイベントを実施したり、自身の友人知人に吉野の魅力を伝え、実際に連れてきて案内する人までいるのだという。
「旅人は先入観なく、地域の人と人を混ぜてくれる。旅人がハブとなり、地域住民同士すらつないでくれる。それによって私たちも気づくことも多い。世代や地区の境界も越えていく存在。」と菊地さんは話してくれた。
さらに頻繁に吉野に通うようになり、地域住民と良好な関係を築いている旅人の中から4名を「案内人公式サポーター」として任命した。周囲の人に吉野の魅力を直接伝え、吉野を訪れる人を増やしてくれているほか、関係案内人の菊地さんの不在時に、案内人役を代理で担っている。サポーターの活動により、関係人口という縁でつながった人が次の縁を呼び込み、より多くの旅人を受け入れることが可能になっている。
その案内人サポーターの一人に話を聞くことができた。京都から月1回ほど、3年近く吉野町に来ている彼女は、リモートワークが可能な個人事業主。会社員だったころから多拠点居住に興味があり、会社を辞めたタイミングでTENJIKUを利用して各地を訪問したという。その中でも、京都での生活を崩さずに約2時間の移動で行けること、興味のあった山岳信仰、伝統文化、林業があり、そして出会った地域の人々が吉野を好む理由になったとのこと。
「この仕組みを使うことで、適度な距離感ながら地域住民と交流ができる。旅とは違う、住むとも違うユニークさがあり、お手伝いして終わりではなく、ごはんや交流を通してつながりができていく。吉野にはチャレンジを応援してくれる人たちがいると感じていて、その面白さを話しているうちに、自然に行ってみたいという周囲の人が増え、今の流れになっている。」と彼女は語ってくれた。
旅人と地域がWin-Winであること
この取り組みにおいて、もう一つ大切にされていることは、旅人と地域がWin-Winであることである。菊地さんによると、取り組みを始めた当初、旅人の希望に合わせてコーディネートしていたが、関わってくれる人たちが吉野町の中でも一部の地域や人に偏っていたり、地域の困りごとを手伝うのではなく、わざわざミッションをつくってもらう場面があり、これではWin-Winにならないと思う場面があったという。
そこで原点に戻り、地域をよく知るために、吉野町役場の職員と地域ごとにあいさつに行き、直接説明をする機会を設けた。地域の困りごとが自然に相談されるような関係性づくりを目指して動き続けたところ、地域内の認識も変わってきたという。同時に旅人の受け入れについては、依頼があった際に内容をカレンダーで表示するようにし、仕事がないときに無理に受け入れを行わないように変更している。まさにマニュアルのない中、試行錯誤の上で根付いてきた仕組みと言える。
また旅人が長い時間を過ごすことになる滞在拠点もポイントである。吉野町の場合2016年10月にできたゲストハウス三奇楼の敷地内にある離れ(三奇楼デッキon下)が拠点になっている。
この宿のオーナーであり、地域の工務店の2代目社長である南さんは、先代の時代から吉野へのお返し、地域に役に立つということを大切にしてきたという。そして2014年、自身が社長になってから、町内の空き家や、高齢化、人口減少などの課題に触れることが日常的にあった中、元料亭の空き家に出会う。
ゲストハウスという概念自体知らなかった南さんは、先入観なくこの場所を地域のためにどう活用するか考える中で、様々な人との出会いがあり、どんな使い方ができるか試行錯誤したという。結果として、ゲストハウスを軸になんでも受け入れる今の形にたどりつき、観光やビジネス、里帰りなどの宿泊に加え、地域の人たちの飲み会、コワーキング利用、サテライトオフィスにコンサートまで、そこにTENJIKUの旅人が入り、日常的に様々な越境、化学反応が起きる場になっているという。
南さんにこの5年間について聞いた。「地域における『旅人さん』の浸透を感じる。さまざまな時間の共有、いろんなつながりが誕生している。コロナ禍はあったが5年経てよい基礎ができ、いい流れが生まれようとしている実感がある。何度も来てくれる人を増やしたいし、吉野のファン・関係人口の伝染が嬉しい。町も人も変われることを実感している。まだまだおもしろいことが起きるといいな。」と。
旅人と地域が相互に交換するもの
最後にこのような旅人と地域が関わる仕組みを考え、最初に導入した吉野町とつくり上げてきた(株)SAGOJOの新さんにも話を聞いた。
この仕組みはお金が直接発生しないからこそ、旅人も地域もお互いよい交流にすることに自然に焦点があたっていて、相互に未知との出会いによる刺激と変化が起き、まるで仲間のような人と人とのつながりができているように感じるという。
旅人は同じ地域に来ても、ミッションの内容や場所が違い、出会う人が広がるなど、様々な視点で地域に触れることができる。実際、旅人としての滞在をきっかけに移住した人も現れており、通っているうちに地域の人を知り、リアルな情報が入り、場合によっては家や仕事まで関係性の中から得たケースもあるという。
そして地域側にとっては、旅人が自分たちの地域を好きになって何度も来てくれる、喜んでくれることで誇りが醸成され、地域内の再発見につながり、希望にもなっているのではと。
「地方には課題が多いとよく言われるが、課題があること自体が問題ではなく“そこに取り組む意欲や希望があるか否かが問題”だと感じるようになった。」と新さんは言う。課題が見えていても「忙しいから」「できる人がいないから」とできない理由を探してしまっていた地域が、旅人という新しい仲間ができたことで、「次の旅人が来た時にやろう」、「地域内にいなくても、スキルのある旅人に来てもらってチャレンジしよう」とポジティブになっている場面を見ることも増えたという。
旅人にとっては「やりたいことを応援してくれる人たちのいる地域」、地域住民にとっては「自分たちの町のために力を貸してくれる人たち」。双方にとって“あの人たちと一緒ならできるのかも”と思える関係性。これが今、吉野町で生まれている関係人口の在り方なのかもしれないと、筆者は感じた。
「線」の観察者の一言
越境者である旅人が、情報あふれる現代で果たす役割の可能性には何があるのか。情報伝達から一歩先のアイデア、視点、スキル、労力、そしてつながり自体が価値、地域にとっての活力になり得るのかもしれない。また先入観なく、まっさらに地域に入り、地域に触れ、地域の人とつながっていく旅人は、世代や地区の境界も越え、地域外と地域、そして地域住民同士すら混ぜる媒介者としての可能性も秘めているように感じた。それは事前に、デジタルで大量の情報を調べ、効率性、確実性、即効性を求めがちな人たちとは違った、偶然や不確実な未知を楽しむ発見者なのかもしれない。
今回の線の観察者:研究員 中尾 有希