連載 「線」と出会う旅への視点

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「線」と出会う旅への視点

肉体を超え、距離を超え、人と人が出会う旅【前編】

旅行者の日常と非日常の間にある「線」に着目し、「旅」への捉え方や視点を考える企画。第4回で取り上げるのは、株式会社オリィ研究所が開発した分身ロボット「OriHime(オリヒメ)」。AIではなく人間が遠隔で操作するこの“分身”ロボットにより、人と人との新しい交流が広がっている。

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 旅とは、物理的にどこか遠くへ行くことだろうか?ツーリズムとは、「日常生活圏を離れたところに出かけること」と定義されている。つまり「旅先の出会い」とは、必ずしも肉体の移動を伴うものに限定されることなく、日常で出会うことのない人との交流全てを含むとも捉えられる。
 外に出ることが困難なOriHimeのパイロット(=操縦者)たちは、肉体の制約を超えてカフェで働き、世界中から訪れるゲストと日々出会っている。その交流は、旅先での魅力を形づくると同時に、人手不足やダイバーシティへの理解といった社会の課題にも応えることで、ツーリズムの未来に新たな可能性を示している。
Profile
分身ロボット「OriHime」(パイロットのみなさん)

人が遠隔操作することで動き、カメラとマイクを通じて会話が可能なロボット。身振り手振りによる感情表現や、能面をモチーフにし、様々な表情を想像させるデザインが特徴で、まるでその人がそこにいるかのような体験を提供する。
 コンセプトは「距離を超えて会いたい人に会いに行ける」。ロボットを介した遠隔での会話や交流を可能にしたことで、「分身ロボットカフェ DAWN ver.β」をはじめ、日本各地のオフィスや病院などで、病気や障害などで外出が困難な人の社会参加を実現している。
(写真提供:株式会社オリィ研究所)

まるで魂が瞬間移動する、分身ロボット「OriHime」とは

数年前、東京・日本橋にある『分身ロボットカフェ DAWN ver.β』を初めて訪問した日のことは忘れられない。入った瞬間、真っ白な顔にきれいな緑色の瞳のロボットが「いらっしゃいませー」と元気に挨拶してくれた。テーブルではロボットとゲストが会話をし、フロアには商品を運ぶ中型ロボットの姿が見られた。
 分身ロボット「OriHime」は、近年話題になっているAIで自律的に動くロボットではない。実在する人間が遠隔で操作し、リアルタイムで発話や動作が行われている。

着席すると、目の前のロボットの目が緑色に変わり、「はじめましてー!」と明るく話しかけてくれた。感情ごとに設定されたモーションが操作者の感情を瞬時に伝え、さらに身振り手振りが加わることで、真っ白な能面のような、表情がないロボットであるにもかかわらず、喜怒哀楽が浮かび上がってくる。気づけば、私はロボットではなく“人”と話している感覚になり、目の前に操作者が“いる”ように感じていた。
 しばらく会話を楽しんでいるとパイロットの交代の場面が訪れた。パイロットが入れ替わる瞬間、魂が離脱したかのように緑の目の明かりが消え脱力する。そしてまた違う魂が入り目覚める。まさに「魂の移動装置」そんな言葉が浮かんだ。

このカフェはOriHimeを開発した株式会社オリィ研究所が運営する常設実験施設である。難病や重度障害などの事情で外出が困難な人々がOriHimeを遠隔操作し、接客や案内などのサービスを行っている。操作者は「パイロット」と呼ばれ、現在、約70名のパイロットがシフト制で働いている。
 パイロットの募集要項の一つには「外出に制限があり、就労が困難な状況である」がある。その背景は実にさまざまである。生まれつきの難病で寝たきりの人、事故や進行性の病気で途中から動けなくなった人、化学物質過敏症や発達障害、心臓移植待機中の人などもおり、中には視線入力や口に棒をくわえて操作しながら、働いているパイロットもいる。外出できないことで働く機会を得にくかった人々が、OriHimeを通じて社会とつながり、新しい働き方を実現している。

カフェでは卓上で接客する『OriHime』と、注文を運ぶなど身体労働が可能な全身120センチの『OriHime-D』が活躍している
(写真提供:株式会社オリィ研究所)

肉体が移動しなくても、新しい人と出会える旅

パイロットとのはじめての交流

カフェを訪れたその日、私は1時間ほどで3人のパイロットと出会った。それぞれが個性豊かな自己紹介ボードを見せてくれ、趣味や特技を共有してくれるパイロットもいた。

何より印象的だったのは、彼らが自分の人生をとてもオープンに語ってくれたことだ。私はこれまで身近に、寝たきりの方や重度の障害を持つ方と深く接する機会があまりなく、踏み込んでよいのか迷うことがあった。だが、パイロットたちは「お会いできてうれしいです。なんでも聞いてください」と、とても明るく自然に接してくれた。
 今の状態に至るそれぞれの過去や生活の話。そして自宅から働けることと、特に難しいと思っていた接客業ができ、ゲストに出会える喜びなどを聞かせてくれた。あちこちに「ゲストに楽しんでほしい、それが自分たちの楽しさにもつながる。」そんなホスピタリティと創意工夫が強く感じられた。もしかすると生身の人間が働いている飲食店以上に、生き生き働いているようにすら感じた。姿は見えなくとも、その気持ちがはっきりと伝わってきたのが印象的だった。

人と人が出会う本質とは

旅=物理的距離を移動することであり、遠くに行けば行くほど、日常にいない人に出会えると私たちは思いがちである。でもここで触れた人生には、たとえ地球の裏側を旅行しても、出会うことはなかったかもしれない。同じ国、同じ街にいても、すれ違うだけだったかもしれない。これはパイロットとゲスト、互いにとっての人生の交流のように思えた。仲良くなり、ゲストと個人としてSNSでつながることもあるという、分身を通じて生まれる人間関係がそこにあった。

筆者が最初に訪れたのはコロナ禍の最中で、日本人客がほとんどだった。今では、外国人観光客も数多くこの場所を訪れるようになっている。オープン前から列ができることもあり、パイロットたちは英語での接客や、海外のゲストを想定した話題なども学び準備しているという。自宅から出ずに、世界中からやってくるゲストに接客し、知らない国の話を聞き、自分たちとの時間を“思い出”として持って帰ってもらう。自分たちにはとてもできないと思っていた、様々な国や地域の人々との交流は、パイロットたちの夢の実現ともいえるかもしれない。
 肉体が移動しなくても、世界の人々と出会える。そんな“旅”が、この場所で生まれている。そしてその出会いは、単なる交流にとどまらず、外出が困難な人々にとっての新しい働き方を生み出し、観光業界が抱える人手不足という課題にも静かに応える可能性を秘めている。
 物理的距離から解放された「日常の外の出会いの旅」、まさに旅の本質のように思えた。

それぞれに個性を披露してくれるパイロットたち
趣味の作品の紹介や、ゲストに好きな色を聞いて、その色の花の画像を出してくれるサプライズも
(ともに筆者撮影)

見えない人と交流する、出会いと働き方

働くパイロットたちはどのように思っているのだろうか。今回は2人のパイロットにお話を聞かせていただいた。

アバターが生むフラットな関係性

パイロットたちは、OriHimeというアバターを通じて共に働いている。お互いの姿が直接見えないからこそ、年齢や外見、障害に対する先入観が入り込まず、自然にフラットな関係性が築かれている。例えば、実際は母と娘ほどの年齢差があっても、それに気づかないほど自然に、プレーンな仲間として接していることもあるという。
 この感覚は、ゲストにとっても同様で、パイロットの姿は見えないからこそ、先入観にとらわれることなく出会えること、それこそ日常の肩書など関係ない自分で出会う、本来の旅先の出会いなのかもしれない。

仲間とのつながりが広げる人生観

パイロットとして働くことで、自分以外の障害や背景を持つ仲間の人生に触れる機会が生まれている。重度の障害を持つパイロットの中には、通院や体力の制約を調整しながら、限られた時間を捻出して働いている人もいるという。
「自分と同じ障害のことは理解していたが、なんて狭い世界で生きていたんだろうと思いました。」と語ってくれた、車いすを利用しているパイロットの言葉が印象的だった。知識や情報として知っていても、働く仲間として、友人として関わることで、初めて自分事として考えられるようになる。社会の中で働けることに加え、仲間ができたことが人生観を変える。時にパイロット同士が実際にリアルで会うこともあるという。彼女は「今は旅の目的が、同僚に会いに行くことからはじまるんです」と話してくれた。
 短時間でも人と接して働くことが、社会との接点となり、仲間とのつながりを生み出し、人生の視野を広げるきっかけとなっている。日常の外の人と出会うことは、ゲストとパイロットの関係だけでなく、パイロット同士にも起きている。

交流が生み出す内的変化

発達障害のあるパイロットは、「外で働くことを一度あきらめていた自分が、また外と関われると前向きに思えるようになったのは、ゲストとの会話の積み重ねによって自信が回復したからです。」と語ってくれた。
「実際の対面だとうまく話せない自分が、家からOriHimeを通してなら落ち着いて話すことができるんです。」と彼は言う。働き始めた当初は、毎日「はじめまして」を繰り返す中で、うまく話せないこともあったが、会話を重ねることで人と接することに慣れていった。ゲストの反応に勇気づけられたり、自分の言葉が届いたと感じられる経験を通じて、社会との接点が回復してきたという。
 また、ゲストとして、同じ障害を持つ家族連れが訪れることもある。見えにくい障害だからこそ、最初に自己紹介で伝えた上で話すことで、互いにわかりあえる喜びを共有できるという。日常では自分の障害を開示することは少ないが、ここでは「あるがままの自分でも受け入れられる」という実感が得られ、彼はさまざまなことに積極的になれてきた自分の変化を感じている。
 こうした交流は、人と関わることが相互に何かを与え合うことの本質であり、あるがままでいいと実感できることは、生きる上での心の安全基地として機能しているように思えた。

テクノロジーが生む“新しい働き方”

パイロットはこのカフェだけでなく、全国の自治体や病院、テーマパークなどOriHimeがいる場所ならどこでも働くことができ、1日に複数の場所で“勤務”することも可能だ。東京のカフェで働き、京都のイベントを手伝い、その後、新潟の複合施設で案内業務をこなす。肉体は動かなくても、時間が許せば、仕事も関わる場所も人も広がっていく。まるで都市間を瞬間移動するような働き方が、テクノロジーによって可能となっている。移動せずとも働けるという選択肢は、移動できないことで働くことを諦めてきた人々にとって、新しい人生の可能性を開き、「働けることの喜び」につながっているように感じた。
 こうした働き方は、障害のある人だけに関係することではない。誰もが年を重ねれば、いつか体が動きにくくなっていく。突然の事故や病気で外出が困難になることもある。だからこそ、OriHimeを通して起きていることは、すべての人にとっての“未来の生き方”であり、“旅のかたち”でもある。

現場にいないからこそ、丁寧に言葉で確認し、フォローし合うことも多いという
まるで本当にフロアで働いているように、カウンターで会話したり、周囲を見回して動いていた
(左/写真提供:株式会社オリィ研究所 右/筆者撮影)

OriHimeを通じた交流は、「人と人がつながることの価値」を再確認させてくれる。効率が重視される現代において、数値では測れない「働く喜び」や偶然がもたらす「出会いの意味」を実感する。
 人が出会うことの本質は、あるがままの自分で出会い、未知の人生と人生を交換すること。それは本来の旅の起源のようでもあり、OriHimeを通して生まれる出会いは、肉体という器を超え、テクノロジーによって可能になった“新しい旅”なのかもしれない。

後編では、OriHimeを開発した吉藤オリィさんのインタビューを中心に、これからの新しい旅の可能性を考えます。

執筆者:副主任研究員 中尾 有希