連載 新しい観光の芽 探検隊🔍~5年先の旅のカタチを探る~

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新しい観光の芽 探検隊🔍~5年先の旅のカタチを探る~

【第24回】木桶を未来へ。ヤマロク醤油・五代目 山本康夫さんに聞く、5年先の旅のカタチ

木桶仕込みを守るために、自ら桶づくりを学びに。食文化の継承にとどまらず、人と人をつなぎ、地域に新たな循環を生み出すヤマロク醤油・五代目山本康夫さんの挑戦とは?

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本コラムでは、今後の観光や旅行のトレンドの把握と、変化の兆し(=新しい観光の芽)を捉えることを目的に、 旅行分野にとどまらない様々な分野の第一人者への「探検記(=インタビューの様子)」をお届けします。
今回は、香川県・小豆島で150年以上続く醤油蔵を営み、木桶文化の継承に挑み続けるヤマロク醤油・五代目の山本康夫さんにお話を伺いました。


Profile

山本 康夫 さん

山本 康夫 さん
ヤマロク醤油(香川県小豆島)の五代目当主。大学卒業後、食品メーカーでの営業を経て「顔の見えるものづくり」を志し帰郷。家業を継承後は、過酷な重労働や経営難に直面しながらも、伝統的な木桶による天然醸造の守り手に。全国でも1%未満となった木桶仕込みの醤油文化を守るため、自ら木桶づくりを学び、「木桶職人復活プロジェクト」を立ち上げる。全国・海外から多様な担い手を巻き込みながら、食文化の継承と新たな価値創出に取り組んでいる。

醤油屋が「桶をつくる」決断をした理由

探検隊

本日はよろしくお願いいたします。まず、山本さんご自身のことと、国内外から木桶づくりに関心を持つ人々が集まる木桶職人復活プロジェクトに至る経緯を教えてください。

山本さん

うちは小豆島のえらいちっちゃい会社でして。正社員はおらずに、パートさんが数人。でも、蔵には約90本の木桶があって、全量木桶仕込みで醤油を造っています。 日本の醤油生産量のうち、木桶で造る醤油はもう1%もないんです。うちで使っている古い木桶は150年くらい経ちますが、そもそも新しくつくれば100年、150年と使えてしまう。だから需要がなくて、木桶をつくる職人さんがいなくなってしまった。

探検隊

長持ちするがゆえに、新しい需要が生まれにくいというジレンマがあったのですね。

山本さん

そうなんです。2009年頃、当時日本に一社だけ残っていた大阪の桶屋さんに新しい桶を発注したら、戦後初の発注だって。そこの二男さん(当時70代)に「いつまでつくれるかわからんから、自分の桶は自分で直せるようにしてね」と言われて。これはまずいな、と。

探検隊

それはかなり切迫した状況ですね。

山本さん

はい。このままだと、50年、100年先には日本中から木桶がなくなってしまうことが分かっているのに、次の世代にタスキを渡せるのか、と。僕は伝統って駅伝みたいなものだと思っているんです。自分の代でタスキが途切れると分かっていて、次の走者に「はい」って渡せないでしょう。そうすると、何かしら手を打つか、もうタスキを渡さない(=廃業する)か、選択を迫られる。結婚して子供ができて、先のことを考えるようになっていたこともあって、手を打つ方を選んだんです。

探検隊

とはいえ、醤油屋さんが自ら桶をつくろうと決断するのは、相当な覚悟が必要だったのではないでしょうか。他の選択肢、例えば木製ではないタンクに切り替えるなどもあったかと思います。

山本さん

もちろん、いろんな選択肢を考えましたよ。百年後にうちの蔵にしか木桶が残っていなかったら、うちの醤油は高く売れるかな、とか(笑)。あるいは、四角い木の風呂桶をつくる職人さんはいるから、そういうので代用するか、とか。でも、僕が人生で何かを選ぶときの基準は、昔から「おもろいか、おもろくないか」だけなんです。簡単でも面白くないことは続かないけど、むちゃくちゃ難しくても「おもろいな」と思ったら続けられる。その基準で考えたら、自分でつくるのが一番おもろいな、と。それにやっぱり、木桶で造った醤油はタンクのものとは別物で、うまいんですよ。蔵に棲みついた菌の働きもあって、味も香りも全然違いますから。

醤油屋が桶をつくる。100年後を見据えた技術の探求

探検隊

桶づくりは非常に専門的な技術が必要だと思いますが、どのように習得されたのですか?

山本さん

大阪の桶屋さんに、同級生の大工と一緒に習いに行きました。桶に使うのは吉野杉なんですが、これがまた特別で。特に赤身(心材)と白太(辺材)の間にある「白線帯」という層は、アルコールを通しにくい性質があるので、この部分が必ず板の両端に来るように木取りをするんですが、丸太からたった4枚しか取れません。節があったら使えませんし、材料を選ぶだけでも大変です。

探検隊

板を組み上げていくのも難しそうです。板と板の間は竹の釘で留めると聞きました。

山本さん

竹釘は板同士がずれないようにするためのもので、それで固定しているわけではないんです。最後の1枚をはめ込んだら、周りからタガでぎゅっと締め上げて固定します。
昔ながらの桶職人の技術は本当にすごいですが、僕らは現代のやり方も取り入れています。桶職人の技術は戦前で止まっている一方、大工の道具や技術は進化している。この二つを足せば、もっと精度が高くて丈夫な桶がつくれるはずだと。用途によって醤油用、味噌用、お酒用とつくり方も変えながら、今も実験を続けています。

探検隊

実験、ですか。今もまだ完成形ではないと。

山本さん

はい。今年つくる桶もまた少しつくり方を変えて実験します。でも、その結果が分かるのは僕が死んだ後です(笑)。生きてる間に結果が分かるとしたら、それは桶が漏れたり壊れたりした時だけ。つまり、失敗だけは分かるんですよ。でも、この10年でいろんなつくり方を試してきて、醤油の桶としてはこれがベストかな、という形は2、3年前にようやく見えてきました。全国で木桶の寿命が次々とやってくる兆候が出始めていますから、僕らの挑戦は待ったなしなんです。

「自分だけ売れても意味がない」業界を巻き込む渦のつくり方

探検隊

プロジェクトを進める中で、大きな気づきがあったそうですね。

山本さん

そうなんです。僕が桶づくりを始めたら、「醤油屋が桶をつっている」とメディアが面白がって取材に来てくれて。そしたら、うちの醤油がむちゃくちゃ売れたんです。でも、その時に「やばい」と気づきました。うちの蔵には90本しか桶がないから、それ以上の醤油は造れない。何より、うちの醤油だけが売れても、桶職人の仕事は生まれない。これでは孫の代の首を絞めているだけだと。

探検隊

ご自身の醤油蔵だけでなく、木桶文化全体を守る必要がある、と。

山本さん

そうです。だから、自分たちだけが売れたらあかん、と。いまなお木桶で醤油を造り続けている全国各地の蔵元に片っ端から電話したんです。最初は奈良の醤油屋さんに電話を掛けました。「社長いますか?桶、つくりません?」って(笑)。最初は怪しまれましたけど、「1%しかない木桶醤油の市場を奪い合うのではなく、みんなで協力して2%にする方が楽じゃないですか」と声をかけて、いろんなメーカーを巻き込んでいく方向に切り替えました。

探検隊

その輪は今や業界を超え、国内外にまで広がっているそうですね。

山本さん

ありがたいことに。プロジェクトに共感して、問屋さんやバイヤー、さらには大手企業の方も「テレワーク」とか言いながら手伝いに来てくれます(笑)。海外で醤油やお酒を造っている人、木工職人まで、本当に多様な人が集まってくる。 毎年冬には「木桶サミット」というイベントをやっていて、今年は3日間で600人くらい集まり、そのうち4分の1は海外からでした。

探検隊

サミットでは、具体的にどのようなことをされているのですか?

山本さん

みんなで一緒に木桶をつくるんです。でも、ただの作業じゃない。もう「中坊(中学生)のノリ」ですよ(笑)。ふざけてバカ騒ぎしながらやると、すごい一体感が生まれるんです。その後の情報発信とかにもみんな前向きに協力してくれる。面白いことに、仕事ができる人ほど、こういう場で本気でバカができるんですよ。

探検隊

サミットがビジネスの商談の場になることもあるのですか?

山本さん

もちろんです。今年は都内によく見かける食のセレクトショップのチーフバイヤーを呼んだんです。昼食に、全国から集まった木桶醤油をかけ放題にした卵かけご飯を出すんですが、そこで彼らが宮城の醤油屋さんの商品を「うまい!」と気に入って。その場で話が進んで、今月にはもう東京の店舗に並んでいます。うちの醤油の隣に(笑)。こういう出会いが生まれるのも、サミットの醍醐味ですね。

探検隊

山本さんの蔵には、サミット期間以外にも年間多くの方が見学に訪れるそうですね。

山本さん

そうなんです。年間5万人くらい。うち、99.9%アポなしで来られるんですよ。でも、食品工場なので勝手に入ってもらうわけにもいかず、その都度僕やスタッフが案内しています。大変ですけど、蔵のストーリーを直接伝えることでファンになってくれたり、お土産で配ってくれたものが口コミで広がったりする。もちろん、醤油が売れるという直接的なメリットもあります。

探検隊

見学者の中には海外の方も多いとか。

山本さん

年間1万人がインバウンドで、小豆島全体の観光客は台湾や香港などアジアの方が多いのに、うちに来るのは8割が欧米人です。小豆島に来る欧米人のほぼ100%がうちに来てる、と観光協会も言っています。
BBC、CNN、Netflix、ウォールストリート・ジャーナル・マガジンとか、海外メディアに結構取り上げてもらっているので、海外での方が知られているかもしれません。うちは営業や売り込みは一切しないんですが、こういうブランディングとマーケティングのおかげで、僕が蔵に帰ってきてから売上は15倍になりました。

5年先、インバウンドは日本の「食」の何に気づくのか

探検隊

これだけ多くの旅人を受け入れている山本さんご自身は、旅に出られることはあるのですか?

山本さん

ないんですよ、それが。年中無休なので。この20年で旅らしい旅といえば、沖縄出身の嫁さんの弟の結婚式で行ったのが最後です。子供たちが沖縄に帰省する時も、僕はいつ行くかすら知らされない(笑)。出張は時々ありますが、唯一観光らしいことをしたのは網走ですね。実は、網走刑務所とコラボして、受刑者と一緒に桶をつくっているんです。その指導で網走に行ったついでに、網走監獄博物館に行きました。それが数少ない観光体験です。

探検隊

様々な背景を持つ人々を小豆島に惹きつけている山本さんから見て、「5年先の旅」はどのようになっていると想像されますか?

山本さん

日本人は、団塊世代が介護に入り、若い世代は経済的な余裕がなくなって、あまり旅をしなくなっているかもしれません。一方で、インバウンドはどんどん押し寄せる。日本に来る理由の一番は、やっぱり「食」やと思います。景色も神社仏閣もあるけど、彼らの日本に来る最大の楽しみは「食」です。でも、ここで大きな二極化が起きると思っています。

探検隊

食の二極化、ですか。

山本さん

はい。日本の食、特にお菓子や加工食品は、添加物も多く含まれています。 今は「日本の食べ物はおいしい」と評価されていても、5年から10年くらいのうちに、情報感度の高い外国人たちがその事実に気づき始めるはずです。その情報がSNSで流れ始めると、インバウンドの動きも変わってくる。「本物」の食を提供している場所と、そうでない場所とで、旅先としてはっきりと分かれてくると思います。

探検隊

安くて美味しいものには理由がある、ということですね。私たち消費者の意識も問われます。

山本さん

そうです。これからの旅人が求めてくるのは、その土地の歴史や物語が詰まった「文化」としての食。その「文化」そのものが、日本国内で途絶えかけていることにも、僕らは目を向けないといけない。その違いが、これからの旅先選びに大きく影響してくるんじゃないでしょうか。


今回の探検で見つけた「芽」

「おもろいか、おもろくないか」。山本さんのシンプルな行動原理が、個人の挑戦を、業界全体、ひいては海外のファンや地域をも巻き込む大きなうねりへと変えています。その根底には、次の世代へ文化のタスキを渡すという、ぶれない使命感があり、100年後を見据えた壮大な「実験」を、今まさに行っておられる方でした。
旅の目的として「食」の重要度が増す一方、山本さんが指摘する「本物」とそうでないものの二極化。豊かさや贅沢といった価値観が変化している今、地域の「文化」としての食を、その背景にあるストーリーと共に提供できる場所こそが、世界中から選ばれるデスティネーションになるのではないでしょうか。(ROR)