理念・データ・対話で実装する「四方よし」観光地経営―かながわDMOの取り組みに見る持続可能性の実践モデル―

理念として語られる“持続可能性”という概念に対して観光地はいかに向き合っているのか、筆者が実務で係るかながわDMOの取り組みを実例から、制度設計と実装の接点を考察します。

後藤 直哉

後藤 直哉 客員研究員

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目次

*本稿は、筆者である後藤直哉(JTB総合研究所 客員研究員/公益社団法人神奈川県観光協会 誘客推進室 室長[業務委託])が、現場での実務経験をもとにまとめたものである。

観光における「持続可能性」が声高に叫ばれるようになって久しい。しかし、その実現には、多くの壁がある。観光客の満足、地域経済の活性化、住民の理解と共感、環境への配慮、これらを同時に満たすことは容易ではない。特にポスト・コロナ時代の現在、観光地経営には、従来型の集客一辺倒とは異なる「質」と「構造」の転換が求められている。
この難題に対し、真正面から向き合っている団体のひとつが、公益社団法人神奈川県観光協会(以下、かながわDMO)である。かながわDMOは2023年3月に「地域連携DMO」として登録され、神奈川県内の観光地域づくりを主導する役割を担っている。筆者は同DMOの誘客推進室室長(業務委託)という形で実務の現場で係わっており、「観光により『四方よし』の状態を実現する」という明確な理念のもと、観光地の持続可能性に向けた挑戦を、戦略・データ・対話のあらゆるレイヤーで重ねている。
そこで本稿では、観光地の“持続可能性”という抽象的な概念に、どう現実的に向き合っているのか、筆者が実務面で係わっている現場の目線から、かながわDMOの取り組みから、その「仕組み」と「思想」を読み解いていく。

「四方よし」―理念から始まる観光地経営

「旅行者」「地域住民」「観光関連事業者」「自然環境」この四者すべてが恩恵を受け、矛盾なく共存できる状態を、かながわDMOは「四方よし」と呼ぶ。この概念は、観光における本質的なサステナビリティの捉え方を象徴している。

(図表:四方よしの概念図 出典:公益社団法人神奈川県観光協会より提供)

たとえば、訪日客数の増加によって地域経済が潤ったとしても、住民の不満が蓄積されれば、その観光地の未来は持続しない。逆に、環境保全に偏重すれば、地域の産業や雇用に支障をきたすかもしれない。だからこそ、理念に立脚した“全方位型”の観光地経営が必要になるのである。
この「四方よし」は、単なるスローガンではない。同DMOの望月会長は、「理念だけを語るのではなく、現場で形にしてこそ意味がある。“四方よし”は、その覚悟を込めた私たちの旗印だ」と語っている。実際の施策はこの理念を起点に組み立てられており、同DMOのプレゼン資料にも体系的に落とし込まれている。たとえば、旅行者にはCRMを通じた最適な情報提供を、事業者には人流データとDI調査 のフィードバックを、地域住民には観光受容度調査を、そして環境にはオーバーツーリズム対策の仕組みを提供し、四者すべてに対して可視化されたアクションが組まれている。

観光DXの“手段”化:R-STPとオープンデータの活用

かながわDMOは、観光DXを単なる技術トレンドとしてではなく、あくまでも“戦略実行の手段”として位置付けている。
その根幹にあるのが、「R-STP分析」 である。R(リサーチ=調査)を起点に、セグメンテーション・ターゲティング・ポジショニングというマーケティングの王道手法を地域観光に応用。独自の調査で抽出した6つのセグメントから、優先すべき4つを明確化し、各ペルソナに応じたプロモーションを展開している。これにより、「誰に」「どのような価値を」「どのチャネルで」伝えるかが可視化され、地域の誘客戦略に一貫性が生まれるようにしている。
また、観光庁の支援も受けて整備したDMP(データマネジメントプラットフォーム)では、入込観光客数、宿泊者属性、消費単価、人流データなどの多様な統計を統合し、ホームページ上で可視化している。これにより、神奈川県下の観光協会・DMO・市町村は、データに基づいた意思決定が可能となっている。

(図表:かながわDMP 出典:公益社団法人神奈川県観光協会より提供)

この一連の取組は、観光DXが単なる「高度な分析」や「見た目のグラフ作り」に終始するのではなく、現場での戦略立案に活用されつつあり、活用の広がりが期待されている。

地域の“体温”を測る:観光DI調査の社会的役割

観光客の行動を把握するだけでは、観光地経営は成り立たない。現地で観光を支える事業者の「体温」を定期的に測り続けることも、同じくらい重要である。かながわDMOが継続実施している「観光DI調査」は、まさにそのための取り組みであり、業種・規模・地域別の景況感や雇用動向、人件費の上昇率、二重価格の導入状況などを把握することができる。

(図表:観光DI調査 出典:公益社団法人神奈川県観光協会より提供)

最新の第4回調査(2024年10月)では、「利益は伸びないが、費用は増えている」という声が顕著に見られ、小規模事業者ほど利益圧迫に苦しむ傾向が明らかになった。また、スタート時給と実際に必要とされる時給に5~10%の差があることがわかり、人材確保の困難さと賃上げ圧力の現実が浮かび上がっている。この調査結果は、県への政策提言や地域施策の調整に活用されるだけでなく、地元紙や観光協会向けにもフィードバックされており、現場との双方向の関係性を生み出している。

横のつながりが力になる:「事務局長会議」という知の集積地

かながわDMOのもう一つのユニークな取り組みが、県内33の観光協会・DMOの事務局長が一堂に集まる「事務局長会議」である。この会議は年に三回開催され、データの活用法、事業推進、財源確保、人的リソース、住民の観光受容度など、地域運営の根幹に関わるテーマについて、グループディスカッションが行われる。

(図表:事務局長会議の様子 出典:公益社団法人神奈川県観光協会より提供)

第6回事務局長会議(2025年2月開催)では、「会員獲得と財源確保」が主なテーマとなり、各地の事例が共有された。たとえば、会員特典の設計、HPでのPR支援、視察事業による関係強化、駅での物販特典付与など、地域に根ざした実務的なノウハウが集約された。議論は、「悩みは各地域共通である」という共感と、「成功事例は取り入れる」という前向きな姿勢に満ちていた。同DMOのCOOである秋山氏は、「数字と現場の知恵が交わるこの会議こそ、地域観光を一段階引き上げるエンジンだと考えています」と語っている。
この会議は、回を重ねるごとに観光協会間の“心理的な壁”を取り払い、データと経験を持ち寄って共創する“知の集積地”へと進化している。

観光が“地に足のついた産業”になるために

かながわDMOの取組は、「持続可能な観光」という言葉が理念だけで終わらず、行動と仕組みによって現実化できることを証明している。

  • 理念(四方よし)
  • データ(R-STP/DI/DMP)
  • 行動(事業者支援/地域対話/事務局長会議)

この三位一体の構造は、持続可能性という曖昧な目標を、確かな地域経営に昇華するための“ひとつの解”を示しているものと考える。
観光がもたらす経済効果を超えて、社会的価値と文化的豊かさをいかに共創していくか。かながわDMOの実践は、全国のDMOでも参考になりうる取組あると同時に、これからの観光行政・政策立案における羅針盤にもなり得るのではないかと考える。
持続可能な観光は、どこか遠くにある理想ではない。理念に根差し、データを活かし、人がつながり、行動すれば、それはすぐそこにある未来の風景なのかもしれない。