旅館経営におけるDX活用とその未来 ―中小旅館におけるデジタル化の導入と展望―

コロナ後の観光需要回復により、旅館業界はインバウンド対応や人手不足への対処が急務となっている。本稿では、長野県で旅館を経営する筆者の実践を踏まえ、中小旅館におけるDX導入の現状と課題、AI活用による業務改善の可能性、そして旅館経営に求められる未来戦略について考察する。

宮口 直人

宮口 直人 客員研究員

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目次

1.はじめに

筆者は、長野県にて温泉旅館を約10年間経営するとともに、大学院において「旅館経営」を教える立場にある。本稿は、こうした実務と研究の双方の視点から見えてきた旅館のデジタル化の実態と課題を踏まえ、その意義と今後の方向性について論じるものである。
 コロナ禍以降、国内外の観光需要は急速に回復し、特にインバウンド旅行者の増加は全国の旅館にとって大きな恩恵である。しかし同時に、現場オペレーションや人材管理には深刻な負荷が生じている。人手不足、多言語対応の逼迫、予約・問い合わせ対応の増大、多様化する食事ニーズ(ベジタリアン、グルテンフリー等)への対応など、旅館の現場は高度な柔軟性と即応性が求められる環境へと変化した。
 このような背景のもと、DX(Digital Transformation)は単なるITツール活用ではなく、旅館経営の持続可能性を左右する戦略的取り組みとして位置づけられている。本稿では、旅館のDX化の現状、課題、実践事例、そして中小旅館が採用すべきDX戦略について整理・考察する。

 

2.旅館のDX化の現状と課題

2-1.システム導入状況の現状

IT導入補助金などの制度的支援を背景に、PMS(Property Management System)やサイトコントローラーを中心とした宿泊管理システムの導入が急速に進んでいる。PMSとは、旅館・ホテル運営の中枢を担う基幹システムであり、予約管理、チェックイン・チェックアウト、客室稼働状況、顧客情報、売上処理といった宿泊業務の根幹データを一元管理する役割を持つ。従来は紙台帳やExcelに依存していた煩雑なオペレーションを統合し、業務標準化・省力化・情報の一貫性を実現する点で、「旅館の中枢神経」とも言える存在である。
 一方、サイトコントローラーとは、複数のOTA(Online Travel Agency)に掲載している客室在庫や料金情報を一括で管理できるシステムであり、これにより旅館・ホテルは各OTAへの手作業更新から解放され、販売・在庫管理の効率性が飛躍的に高まった。
 株式会社キャディッシュの調査(2025)によれば、宿泊施設におけるPMS導入率は約65%に達しており、業務のデジタル基盤が一定程度整備されつつある。また、OTA管理の負荷軽減を目的に、サイトコントローラーの導入が進展しており、予約・販売領域のデジタル化は確実に深化していると言える。

図1:PMSの利用率

株式会社キャディッシュ「ホテル・旅館利益向上プロジェクト」より筆者作成

しかしながら、「PMSを十分に活用している」と回答した施設は約4割にとどまり、約6割が“導入したものの使いこなせていない”状況である。このギャップは、単なる導入の問題ではなく、DXを運用段階へ昇華させるための組織能力の欠如を示唆している。

2-2.DX化を阻害する構造的課題

宿泊施設がDXを進める際の主要課題は次の通りである。

  1. 運用・研修体制の不足
  2. 従業員のITリテラシー格差
  3. システムが点在し統合されていない構造
  4. 導入・運用コストの増大
  5. 属人的運営による標準化・マニュアル化の遅れ

特に中小旅館では、「暗黙知による運営」が中心であり、業務標準化の欠如がデジタル導入を阻害する主要要因となっている。DXは技術導入に留まらず、組織文化・プロセスの転換を伴うため、現場の“変化耐性”が問われている。

3.小規模旅館におけるAI活用の実践

3-1.実践概要

筆者が経営する長野県の小規模旅館では、これらの課題に対応するため、AIを活用したDX経営を推進している。具体的には、下記の業務をAIが担当している。

  • 内線対応(多言語対応を含む)
  • 外線電話対応(現在導入準備中)
  • 問い合わせ対応
  • 予約前後の自動案内
  • 翻訳業務
  • FAQ応答

これまで人手で行っていたコミュニケーション業務の大部分をAIが代替しており、全業務の約30%が自動化される見込みである。一方で、現段階では従業員による利用状況にばらつきがある点は課題として残っている。

3-2.AI導入がもたらした効果

AI導入によって得られた効果は、大きく3点に整理できる。

  1. 省人化と労働効率の向上
    少人数でも安定した顧客対応が可能となり、特に夜間や休憩時の対応負担が大きく削減された。
  2. 対応品質の標準化
    多言語応対や問い合わせ応対は、人による品質差が大きい領域である。AI導入により、顧客への回答が安定し、外国人旅行者の満足度向上に寄与した。
  3. 事務負担の軽減
    AIを介した自動応答により、電話対応の時間が削減され、スタッフはフロント・清掃・食事提供といった“旅館の価値を生む業務”に集中できるようになった。

3-3.小規模旅館におけるDX導入の示唆

小規模旅館は人員体制に余裕がないため、DX導入による効果が運営全体に直接反映されやすい。特にAIの活用は、慢性的な人手不足を補完しつつ、生産性の向上と顧客満足度の向上を同時に実現し得る実効性の高い手段である。

4.旅館のDX化の要点~全体設計とAPI連携~

4-1.DXの基盤となる全体設計

旅館のDX化の成功要因は、システム導入の“量”ではなく、経営全体のアーキテクチャ設計の質に依存する。旅館の業務を「集客」「予約」「接客」「清掃」「経理」「マーケティング」「顧客管理」に分解し、各業務に対応するデジタルツールを配置したうえで、システム間の連携構造を設計する必要がある。

4-2.API連携の意義

旅館のDX化を一気通貫で進めるための基盤技術が、API(Application Programming Interface)連携である。APIとは、異なるシステム間でデータを自動交換する仕組みであり、人手入力によるミスを排除し、リアルタイムで情報を同期できる。

以下にシステム連携の概念図を示す。

図2:宿泊施設におけるシステム連携のイメージ

出典:筆者作成

旅館業務を包括的にDX化するためには、図2に示したようなシステム群の構築が最低限必要となる。さらに、施設によっては温泉設備の温度管理システムや、自動発注システム等を追加連携することで、一層高度な運営管理も可能となる。すなわち、API連携は、旅館の業務範囲に応じて連携領域を拡張できる柔軟性を有している点に特徴がある。

4-3.API連携の利点

システム連携の多くはAPIにより実現されるが、API連携の利点は以下の4点に整理できる。

  1. 業務自動化と省力化
  2. データ一貫性の向上
  3. 分析可能なデータの蓄積
  4. 顧客体験(CX)の高度化

これらの利点により、システム間でデータが自動的に受け渡されることで、二重入力やミスが削減され、業務効率は大幅に向上する。特に旅館業務のように、予約・顧客管理・決済・チェックイン等の多様なプロセスが連携する領域では、その効果は顕著である。

4-4.API連携の課題

一方で、API連携には以下のような課題も存在する。

  1. ベンダー間の仕様不統一
  2. 連携範囲の深浅差
  3. システム増加によるコスト負担
  4. 現場教育の不足に起因する運用崩壊リスク

特に、宿泊業界ではベンダー各社がAPI仕様を十分に開示していない場合があり、自由な連携が困難なケースも散見される。また、API連携には追加費用が発生するケースも多く、中小旅館にとってコスト負担が意思決定上の障壁となっている点は今後の改善課題である。

以上のように、課題を抱えながらも、API連携を適切に活用することで、旅館業務において「異なるシステムが有機的につながり、データが流れる状態」を創出することは十分に可能である。これは、旅館のDX化の実装段階における核心的意義であり、今後の旅館運営モデルを支える基盤技術となる。

 

5.結論:旅館におけるDX活用の未来と課題

5-1.旅館におけるDX活用と人材育成

筆者の旅館では、PMS、自社予約エンジン、サイトコントローラー、AIコミュニケーションツール、クラウド会計といった主要システムを統合的に活用することで、バックオフィス業務の効率化とインバウンド対応力の強化を同時に実現し、年間1,000名を超える外国人旅行者を受け入れる運営体制を構築するに至った。これらの成果は、旅館のDX化が中小規模宿泊施設においても十分な投資対効果を発揮し得ることを示す実証例といえる。

しかしながら、その一方で、DX推進における最大の課題は依然として「人材育成」にある。導入したシステムとAIツールを実際に使いこなし、運用を定着させるためには、従業員がデジタル環境を自らの業務基盤として受け入れる素地を醸成する必要がある。すなわち、DXとは技術導入の問題ではなく、人材の学習・行動変容を伴う組織的変革プロセスであり、ここを乗り越えない限り、旅館経営における真のDXは成立しない。
 DX定着のためには、以下のような段階的な教育設計が不可欠である。

  • 従業員に実際の操作機会を与える
  • 小規模でも達成可能な成功体験を積ませる
  • 「失敗できる環境」を許容することでITへの心理的障壁を取り除く

この点こそが、今後の宿泊産業におけるDX推進の中核的課題であり、単なる技術導入に終止しない「組織としての改革」につながる。

5-2.旅館におけるDX化の未来像

今後の旅館経営においては、「デジタル活用」と「人的サービスによる価値創造」をどのように統合し、最適なバランスを築くかが重要な課題となる。旅館の本質的な価値は、顧客との丁寧な対話や、地域文化を媒介とした独自の体験にある。しかし、これらを過度に自動化すれば、“旅館らしさ”は薄れ、顧客が求める情緒的価値を損なうおそれがある。一方で、人的サービスのみに依存した従来型の運営では、労働集約性の限界から生産性向上や収益拡大が困難となる。

この両者のジレンマを解消するためには、まず「どの領域に人間の価値が発揮されるのか」と「どの領域をデジタルが代替・補完すべきか」を構造的に整理する必要がある。

  • 顧客体験価値を生み出す領域=人的サービス(アナログ)の深化
  • 再現性・正確性が求められる業務領域=DX・AI(デジタル)の徹底活用

すなわち、上記のような役割分担を明確化し、そのうえで両者が相互補完的に機能する経営モデルへ移行することが不可欠となる。

このアプローチは単なる業務効率化を目的とするものではない。むしろ、旅館が長年培ってきた企業文化や組織文化をデジタル時代にふさわしい形へと再編集し、新たな価値へ昇華させるための基盤づくりである。そして、こうした変革を実装し持続させるうえで、人材育成が極めて重要な要件となることは、すでに述べた通りである。

未来の旅館は、「日本文化の体験拠点」として地域の歴史・風習・食文化を体験価値へ転換すると同時に、「国際交流の場」として異文化理解を促進する役割を担うことが期待されている。その実現にあたっては、DXやAIを単なる業務効率化の手段にとどめず、旅館が本来有する無形価値を支え、世界へ発信するための経営基盤として再定義する視点が求められる。

未来の旅館のDX化とは、「デジタル」と「アナログ」が対立する概念ではなく、互いを補完し合いながら旅館の存在価値を再構築するための理念的枠組みへと進化する段階に来ているのである。
 
■参考文献
キャディシュ株式会社. (2025). ホテル・旅館利益向上プロジェクト:PMSの導入率と活用状況に関する調査. 489ban.net.
https://www.489ban.net/column/postid_2569/