観光地の未来像から考える観光DXの再定義
観光DXとは、観光地の未来像と戦略の実現のために、必要な領域でデジタルを手段として用いる変革のプロセスです。しかし現状は業務効率化に留まり、真の変革に至っていません。DXを戦略的投資とするには、未来像とDX施策を結びつけ、成果を測る指標が必要です。本コラムでは、観光地価値を高めるための共通言語としての指標設計と、持続可能な地域経営への視点を提供します。

三輪 夏菜 主任研究員
目次
1.観光DXとは何かーデジタイゼーションから“デジタルトランスフォーメーション”へ
近年、観光分野で「観光DX」という言葉が頻繁に使われるようになりました。観光DXとは観光分野のデジタルトランスフォーメーション(デジタル変革)です。観光庁の定義によると、業務のデジタル化により効率化を図るだけではなく、デジタル化によって収集されるデータの分析・利活用により、ビジネス戦略の再検討や、新たなビジネスモデルの創出といった変革を行うものと位置付けられます(※1)。現在、国、教育機関、自治体、DMO(Destination Management Organization)、DMC(Destination Management Company)、観光事業者など、観光に関わる様々なステークホルダーが、デジタル技術の推進や利活用を行っています。一方で「とりあえずデジタル技術を導入すること」が目的化し、導入後の効果や観光地全体の変革と結びつかないという問題に直面する観光地も少なくありません。本来、観光DXとは、デジタル技術の導入を目的とするものではなく、観光地の未来像と戦略を実現するために、必要な領域でデジタルを手段として用いる変革のプロセスを指します。デジタル技術の導入自体が目的になってしまうと、「その施策により観光地のどの価値を高めるのか」という視点が抜け落ち、戦略として機能不全に陥ります。
ここで、観光地におけるデジタル化の段階を整理します(図1)。
第一段階の「デジタイゼーション(Digitization)」は、紙の資料やアナログ業務をデジタルデータに置き換えることです。第二段階の「デジタライゼーション(Digitalization)」は、そのデジタル技術を活用して、業務プロセスや旅行者体験そのものを改善する段階を指します。そして第三段階である「デジタルトランスフォーメーション(DX)」は、これらの変化を通じて観光地経営そのものを変革し、データに基づいた意思決定を高度化していくことを意味します。
日本の観光DXは、依然として第二段階のデジタライゼーションの段階に留まりやすい傾向があります。しかし、今後求められるのは、短期的な効率化ではなく、中長期の目的から逆算して設計されるべき戦略です。観光地がどのような未来像を目指し、その実現のために何を変革し、どの領域にデジタル技術が必要なのか。そのストーリーの中で一貫性を持ってデジタル技術が導入されたとき、初めてDX戦略は観光地を動かす強力な武器となります。

出所:筆者作成
2.世界のトラベルテックのトレンドー旅行者体験と観光地経営を同時に変革する
観光地の未来像と戦略を実現するための変革プロセスである観光DXの実装領域は「旅行者体験の変革」と「観光地経営の変革」の大きく二つに分けられます(図2)。
旅行者体験の変革:摩擦のない「心地よい旅」の実現
旅行者体験の変革とは、旅の各フェーズにおける摩擦(ストレス)を取り除き、感動を最大化することです。
例えば、顔認証やデジタルウォレットを活用すれば、観光施設への入場や決済がスムーズになり、行列に並ぶ時間を削減できます。また、MaaS(Mobility as a Service)や手ぶら観光サービスを導入すれば、旅行者はスマートフォン一つでシームレスな移動が可能になります。さらに、AIによるパーソナライズされたレコメンドや混雑予測は、旅行者が自身の好みに合った場所を最適なタイミングで訪れることを可能にし、期待を上回る滞在体験を演出します。
観光地経営の変革:生産性の向上と経営の高度化
観光地経営の変革とは、限られたリソースで観光地価値の最大化を目指すことです。
例えば、自動チェックイン機や清掃ロボットを導入すれば、深刻な人手不足に対応し、現場の労働生産性を向上させることができます。AIによる需要予測は、混雑抑制や需要分散を可能にし、予約管理と組み合わせることでオーバーツーリズムといった住民負担を軽減することにも繋がります。さらに、旅行者の滞在・消費データを分析すれば、「地域が稼ぐ力」を客観的に把握し、エリア価値の可視化と意思決定の高度化が実現します。
世界のトラベルテックは、まず「入場・移動・滞在・体験・決済」における摩擦を取り除く方向で進化してきました。その過程で旅行者の行動データや体験データ等が統合され、体験全体をつなぐ設計が進んでいます。近年は、その統合されたデータを前提に、AIエージェントが旅行者の意思決定を支援・代替する段階に入り、こうした世界的な潮流を踏まえると、自治体やDMOにおいても、観光DXを「個別施策」ではなく、観光地経営全体を見据えた視点で捉え直すことが求められています。

出所:筆者作成
3.観光分野のデジタル技術導入はなぜ「戦略」になりきれないのか
総務省「令和3年情報通信白書」(※2)では、業種別のDXへの取り組みを実施している企業の状況が示されており、観光分野では「宿泊業、飲食サービス業」が16.4%、「生活関連サービス業、娯楽業」が18.3%、「運輸業、郵便業」が16.9%で他の業種に比べてDXへの取組みが遅れています。その背景には「必要性が認識されていない」、「費用が不足している」、「何から始めればよいか、やり方が分からない」といった声があります(※3)。自治体や事業者の現場では、デジタル技術の必要性は認識されているものの、「何を目指すのか(未来像)」、「どの指標を改善するのか(成果)」が曖昧なまま、デジタル技術導入の検討に入ってしまうケースも少なくありません。より本質的な課題は、多くの自治体や事業者がデジタル導入を「業務効率化」を起点としており、その先にある「どのような価値を生み出したいのか」という目的設計まで踏み込めていないケースが多いと考えられます。
弊社が宿泊事業者を対象に実施したデジタル技術導入の意向調査では「投資判断の考え方」が現れています。調査結果では、「経営課題に貢献できる」と考えられている技術と、「実際に2030年までに重点投資したい」技術の間に大きな乖離が見られました(図3)。具体的には、チェックイン用キオスク端末や事前チェックインといった技術は投資意向が高い一方で、AIチャットボットや翻訳・通訳システムなどは投資意向が低いという結果になっています。
特にチェックイン用キオスク端末のように「フロント業務の削減」という直接的な効果が見えやすいものは優先されます。一方で、AIチャットボットや翻訳システムのように「その効果が長期的に可視化しにくいもの」や「直接的な売上の増加に繋がりにくいもの」は後回しにされる傾向があります。
この傾向は、デジタル技術導入が「将来の価値を生む投資」ではなく、「当面の運営を支えるコスト(経費)」として捉えられていることを示唆しています。これらの調査は個別施設の回答に基づくものとなりますが、集合体として捉えると、観光分野においてデジタル技術が将来の収益や観光地価値を生む長期的な「資産性投資」としてではなく、短期的な「経費性投資」として扱われがちである構造が浮かび上がります。この前提に立つ限り、個別施設を超えた観光地全体としてのDX戦略を描くことは困難です。
また、観光DXが経費として扱われてしまう背景には、その効果を「観光地全体の成果」として説明できる数値や指標が十分に整理されていないこともあります。自治体、住民、金融機関、投資家といった多様なステークホルダーに対し、DXの意義を共通言語で語れないことが、意思決定をさらに難しくしているのです。

出所:JTB総合研究所「IT導入実態調査(2025)」
4.観光地経営の成果をどう捉えるかー数値化が支える観光DX
観光DXを「戦略」として成立させるためには、その成果を誰もが納得できる「共通言語」で語る必要があります。その言語こそが、成果を可視化する指標です。では、持続可能な観光地経営における成果とはなんでしょうか。単に観光客の数を増やすことだけがゴールではありません。本コラムでは、観光地経営の成果を可視化する一つの考え方として、「量」「質」「循環」という3つの視点を統合した指標として、新たに「観光地価値」という概念を提唱します。この概念は、東京都立大学清水哲夫教授が提唱する観光による地域経済貢献の方程式(観光総生産額)を参考に、「観光地価値」を共通目標に置き、デジタル技術が「どこを、どのように、なぜ改善するのか」を明確にする当社独自の視点を加えて再構成したものです(※4)。
観光地価値は、以下の3つの要素の掛け算で算出されます。
観光地価値 = ①入込観光客数 × ②観光消費額単価 × ③域内調達率
①入込観光客数は、地域がどれだけの人を惹きつけているかを示す「量」の指標、②観光消費額単価は、訪れた人がどれだけ地域にお金を使ってくれたかを示す「質」の指標です。
そして最も重要なのが、③域内調達率です。これは、観光消費によって得られた売上が、どれだけ地域の仕入れや雇用に還元されているかを示す「循環」の指標です。
この3つを掛け合わせることで、「どれだけ人を集め、どれだけ稼ぎ、その利益がどれだけ地域を潤しているか」という、観光による地域経済への貢献度を立体的に評価できるのです。
【具体例:観光地価値の捉え方をある港町のケースで考える】
例えば、この町がインバウンド誘致に成功し、入込観光客数が2倍になったとします。しかし、旅行者の多くが外資系ホテルに宿泊し、食事を全国チェーンのコンビニで済ませていたとしたらどうでしょう。観光消費額単価は伸びず、域内調達率も上がらないまま、混雑やゴミといった負荷だけが増えてしまいます。この状態では、いくら入込客数が増えても「観光地価値」が高まったとは言えません。
一方で、この港町が地域の仕入れや雇用につながる域内調達率の向上を重視し、地元店を巡るデジタルマップや、漁師が案内する体験プログラムの予約サイトを導入したとします。すると、入込客数が微増にとどまっても、旅行者は地域ならではの体験を楽しみ、地元の店での消費が生まれるようになります。さらには、旅行者と住民との間に自然な交流や助け合いが生まれ、観光による混雑や摩擦も抑えられることで、生活環境への納得感や社会的な満足が高まっていきます。
こうした状態は、経済的な循環にとどまらず、地域にとって望ましい関係性が持続していることを示すものであり、結果として観光消費額単価と域内調達率の向上を通じて、町全体の「観光地価値」を大きく押し上げるのです。
このように、「観光地価値」を共通目標に置くことで、デジタル技術が「どこを、どのように、なぜ改善するのか」を明確にできます。例えば、「入込観光客数を伸ばす」という目標であれば、AIレコメンドで個々の旅行者に響く魅力を発信し、リピーターを増やすといったアプローチがあります。「観光消費額単価を上げる」ことが課題なら、MaaSで広域の周遊を促したり、キャッシュレス決済で消費の機会を増やしたりすることが有効でしょう。さらに、「域内調達率を高める」という目標に対しては、需要予測データを活用して地産品の仕入れを最適化し、地域事業者の経営を安定させるといった貢献が期待できます。
デジタル技術は、これら3つの指標のいずれか、あるいは複数に貢献することで、初めて「戦略的投資」となるのです。
5.結論ー観光DXとは、観光地の未来像を実現するためのプロセスである
観光DXは、単なるデジタル施策ではありません。観光DXは、観光地の未来像を実現するために、戦略を描き、施策を実行し、その成果を検証・改善していく一連のプロセスです。
本コラムで提示した「観光地価値」の数値化は、それ自体が目的ではなく、未来像と戦略を実行可能なものにするための共通言語です。共通の指標を持つことで、自治体、DMO、DMC、宿泊・観光事業者、IT事業者・地域住民といった立場の異なる多様な主体が、同じ方向を向いて議論し、精度の高い判断ができるようになります。その結果、行政の予算配分、金融機関の投資判断、住民の合意形成といった、観光地経営に関わるあらゆる意思決定の質が高まっていきます。まずは、あなたの地域の「入込観光客数」「観光消費額単価」「域内調達率」が今どうなっているのか、概算でもいいので把握することから始めてみてはいかがでしょうか。その現状こそが、未来に向けた観光DX戦略の出発点となるはずです。
■参考文献
※1 観光庁「観光DXとは」
https://www.mlit.go.jp/kankocho/seisaku_seido/kihonkeikaku/jizoku_kankochi/kanko-dx.html
※2 総務省「令和3年情報通信白書」
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r03/pdf/index.html
※3 観光庁「令和4年版観光白書」
https://www.mlit.go.jp/statistics/file000008.html
※4 清水哲夫:これからの地域インバウンド振興に必要な戦略〜中小企業の立場から,企業経営,Vol.165, pp.8-11, 2024.
*本コラムの一部画像には生成AIが利用されています。