言語学者・清水崇文さんに聞く、5年先の旅のカタチ
本コラムでは、今後の観光や旅行のトレンドの把握と、変化の兆し(=新しい観光の芽)を捉えることを目的に、 旅行分野にとどまらない様々な分野の第一人者への「探検記(=インタビューの様子)」をお届けします。今回は、「人はどのように実践的なコミュニケーション能力を身につけ、他者とつながっていくのか」をテーマに研究を続ける言語学者・清水崇文さんにお話を伺いました。第二言語習得や語用論を専門とする清水さんに、人とのコミュニケーションが旅にもたらす価値と、AI時代における旅の未来について語っていただきました。

早稲田大学法学部卒。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校東アジア言語文化専攻修士課程、ハーバード大学教育学大学院修士課程、ロンドン大学バークベック・カレッジ応用言語学専攻博士課程修了。Ph.D.(応用言語学)。スタンフォード大学アジア言語学部専任講師、上智大学国際教養学部准教授などを経て、2012年より現職。主な研究分野は、日本語・英語学習者を対象とした第二言語におけるコミュニケーション能力の習得・発達。語学教科書や辞書の執筆・作成、現職教員向けのセミナーやワークショップなどを通して、研究成果を日本語教育・英語教育の実践現場へ還元する活動にも取り組んでいる。
これからの旅に、本当に必要なものとは何でしょうか。AIが情報を届け、旅の計画がますます便利になる一方で、人との偶然の出会いや何気ない会話は、むしろ旅ならではの価値として存在感を増していくのかもしれません。言語学の視点から、AI時代における旅の未来を考えます。
人生を変えた日本語教師向けの本
探検隊 本日はよろしくお願いいたします。最初に、清水さんの現在の研究内容についてお伺いできますでしょうか?
清水さん 専門は応用言語学で、第二言語習得や語用論を中心に研究しています。一言で言えば、「人はどのように実践的なコミュニケーション能力を身につけるのか」という問いを探究しています。
外国語学習というと、文法や語彙を覚えることを思い浮かべる方が多いと思います。しかし実際のコミュニケーションでは、それだけでは十分ではありません。初対面の人にどう話しかけるのか、相手や場面に応じてどのような言葉遣いを選ぶのか、相手との距離をどう縮めるのか。こうした力も円滑なコミュニケーションには欠かせません。
私は、そうした実際の会話の中で使われるコミュニケーション能力が、どのように身につき、どのように働いているのかを研究しています。近年は、その問いの延長線上で雑談にも注目しています。雑談は一見すると何気ない会話ですが、実際には人と人との信頼関係を築くための重要なコミュニケーションです。実際の会話データを分析しながら、人はどのように雑談を通して他者と関係を築いていくのかを明らかにしようとしています。
探検隊 言語学の中でも実践的なコミュニケーションに焦点を当てて研究をされていらっしゃるのですね。そもそも清水さんが言語学者の道に進まれたきっかけはどのようなものだったのでしょうか?
清水さん 実は、もともと私は言語学者を目指していたわけではありません。大学では法律を専攻し、卒業後は金融機関に就職しました。その後、自分の将来を改めて考える中で、司法の道に進むことを志すようになりました。進路を調べる中で、アメリカのロースクールへの進学という選択肢を知り、その準備として英語の勉強を始めました。ある日書店で教材を探していたとき、たまたま日本語教師向けの本が目に留まり、その中で紹介されていた海外で日本語を教えるボランティアに応募しました。アメリカで生活しながら実践的な英語力も磨けると思ったからです。ご縁があってアメリカの大学で日本語を教える機会をいただきました。 ところが、日本語の文法や語彙を教えることはできても、私自身が英語で日常的なコミュニケーションを十分に取ることができませんでした。その経験を通して、「人はどのように言葉を身につけるのだろう」「文法や単語を知っていることと、実際にコミュニケーションできることは何が違うのだろう」と考えるようになりました。その問いについて考え続けるうちに、いつしか司法の道よりも、この問いそのものを探究したいという思いの方が強くなっていきました。また、それまで受験や資格試験に向けた勉強が中心だった私にとって、答えの決まっていない問いを追究する研究という営みに強く惹かれたことも、大きな理由の一つでした。こうしてアメリカの大学院で言語学を学ぶことを決意し、それ以来、「人はどのように実践的なコミュニケーション能力を身につけるのか」という問いを軸に研究を続けています。

雑談=未来のコミュニケーションに対する投資
探検隊 言語学とは具体的にどのような学問なのでしょうか?
清水さん 言語学というと、「何か国語も話せるんですか」とよく聞かれるのですが(笑)、実は外国語を勉強する学問ではなく、「人間の言語とは何か」を科学的に明らかにしようとする学問です。極端に言えば、言語に関わることであれば何でも研究対象になります。例えば、音声や文法、言葉の意味といった言語そのものの仕組みから、言葉を身につける過程、人と人とのコミュニケーション、さらには社会や文化との関わりまで、研究テーマは実に幅広いです。私の専門は、その中でも、人がどのように言葉を身につけ、それを使って人間関係を築き、社会や文化の中でコミュニケーションを行うのかを研究する分野です。具体的には、第二言語習得、語用論、社会言語学、談話分析といった領域です。それぞれ異なるアプローチではありますが、私の中ではすべて「人は、どのように他者とつながるのか」という一つの問いに集約されます。
ですから、私にとって言語学を探究する目的は、言葉そのものを理解することではありません。言葉を通して、人がどのように他者と関わり、社会を築いているのかを理解することです。近年はAIとのコミュニケーションも急速に広がっています。だからこそ、人間同士のコミュニケーションとは何か、人はどのように他者とつながるのかという問いは、これからの時代、ますます重要になっていくと考えています。
探検隊 言語学の範囲は人間社会の仕組み・構造の理解にまで及んでいるのですね。清水さんは雑談の研究もされていらっしゃいますが、人間社会でよく見かける雑談とはどのようなコミュニケーションなのでしょうか?
清水さん 雑談は、「情報交換を第一の目的としないコミュニケーション」です。例えば、「今日は暑いですね」と話しかけても、自分の体感温度を伝えたいわけでも、相手の体感温度を知りたいわけでもありませんよね(笑)。このやり取りでは、情報を伝えることよりも、「私はあなたとつながりたい」「安心して話せる相手ですよ」というメッセージをお互いに伝え合うことの方が大切なんです。つまり、雑談は情報をやり取りするためというよりも、人と人との関係を築くためのコミュニケーションだと言えます。
だから私は、雑談は社会を支えるインフラのようなものだと考えています。家族や友人、職場や地域など、私たちは日々の何気ない会話を積み重ねながら信頼関係を築いています。普段は意識しませんが、それがあるからこそ、困ったときに助け合えたり、安心して協力できたりするんです。一見すると雑談は「なくても困らない会話」のように思われがちですが、実は人と人とのつながりを支える、とても重要なコミュニケーションなのです。
探検隊 雑談を行うことで、話者においてはどのような変化が生まれるのでしょうか?
清水さん 雑談の本質は、相互的な自己開示を通してラポール(信頼関係)を育てることだと考えています。自己開示というと、自分の悩みや秘密を打ち明けることを想像されるかもしれませんが、実際にはもっと小さなものです。「私はコーヒーが好きなんです」とか、「この街によく来るんですよ」といった何気ない一言も自己開示です。それに対して相手も、「私もコーヒーが好きなんですよ」とか、「いや、私は紅茶派なんですよ」と少しだけ自分のことを話す。こうした小さな自己開示のキャッチボールを重ねることで、「この人とは安心して話せそうだ」という感覚が育ち、信頼関係が築かれていきます。
また、雑談によって変わるのは相手との関係だけではありません。人と話す中で、「自分はこんなことに興味があったんだ」「自分はこんな考え方をしていたんだ」と、自分自身について新しく気づくことがあります。ですから、私は雑談は相手を知るためだけではなく、新しい自分に出会うためのプロセスでもあると考えています。
探検隊 雑談は信頼関係構築のためのツールということですね。一方で、近年、若者の間では「タイムパフォーマンス(時間効率重視)」や「メンタルパフォーマンス(心理的負担の低減)」が重視されるようになってきていると感じます。その中で「雑談」の立ち位置、役割はどうなっていくとお考えでしょうか?
清水さん 確かに、限られた時間やエネルギーを効率よく使いたいという考え方は、これからも広がっていくと思います。そうした価値観の中では、雑談は一見すると「なくても困らないもの」あるいは「効率の悪いコミュニケーション」のように見えるかもしれません。
しかし、私はむしろ逆だと考えています。遠回りに思える雑談があるからこそ、「この人なら安心して話せる」という信頼関係が生まれます。そして、その信頼関係が築かれることで、その後のコミュニケーション全体のコスト(労力)は低下していきます。ですから、雑談は目先では時間を使うように見えても、長い目で見れば、“未来のコミュニケーションへの投資”だと言えるのではないでしょうか。
効率が重視される時代だからこそ、効率だけでは生まれない信頼や安心を育てる雑談の価値は、これからますます高まっていくと思います。

旅がもたらす他者・世界・自分との新しい関係性
探検隊 清水さんが考える旅についてお伺いできればと思います。
ご自身が旅をする際に大切にしていることは何かあるのでしょうか?
清水さん 旅先では、できるだけ現地の人と話すことを大切にしています。カフェで隣に座った人や、お店の方と少し言葉を交わすだけでも、その土地の印象は大きく変わるんですよね。振り返ってみると、私の旅の記憶は、「何を見たか」よりも、「誰とどんな話をしたか」でできているように思います。
もちろん、美しい景色を見たり、その土地ならではの料理を味わったり、歴史的な建物を訪ねたりすることも旅の大きな魅力です。でも、それらはある程度予定できる体験です。一方で、旅先で偶然出会った人と話したり、お店の方に教えてもらった場所へ行ってみたりすることは、予定どおりにはいきません。だから私は、旅の本質は予定外のコミュニケーションにあると思っています。
探検隊 では、旅先での「予定外のコミュニケーション」は旅行者にどのような変化をもたらすのでしょうか?
清水さん 私は、人とのコミュニケーションは世界をこちらへ連れてきてくれるものだと思っています。例えば、旅先で現地の方と話をすると、その土地の歴史や暮らし、おすすめの場所など、本には載っていない話を聞くことがあります。すると、それまでただの「観光地」だった場所が、その土地で暮らす人々の「生活の場」として見えてきます。
そして、変わるのは世界の見え方だけではありません。旅先でさまざまな人と出会い、言葉を交わす中で、自分は何を大切にしているのか、どのような価値観を持っているのかに気づかされることもあります。だから私は、旅とは新しい場所へ行くことだけではなく、新しい人、新しい世界、そして新しい自分と出会うプロセスなのだと思っています。
探検隊 5年先の旅も「予定外のコミュニケーション」が重要視されていると思いますでしょうか?
清水さん むしろ、今よりも重要になっていくのではないでしょうか。というのも、旅の価値そのものが少しずつ変わってきているからです。かつては、その場所へ行かなければ見ることのできない景色がたくさんありました。しかし今は、インターネットやSNSを通して、世界中の美しい景色や観光地を高精細な映像で見ることができます。つまり、「見ること」そのものの価値は、以前より相対的に小さくなっているのではないかと思います。
だからこそ、これからの旅では、その場でしか生まれない体験の価値が、これまで以上に重要になっていくでしょう。その代表が、現地の人との予定外のコミュニケーションです。どれほどAIが発達して旅程を最適化できるようになっても、「誰と出会い、どんな会話が生まれるか」までは設計できません。偶然の会話から予定が変わったり、その土地を違った視点で見るようになったりすることがあります。私は、そうした予定外のコミュニケーションこそが、旅を単なる移動ではなく、その人だけの体験へと変えてくれるのだと思っています。だから5年後も、あるいは10年後も、人との偶然の出会いは、旅の本質であり続けるのではないでしょうか。
探検隊 「予定外のコミュニケーション」は人起点のお話ですが、そういった人々を迎え入れる観光地の5年先はどのようになっているとお考えでしょうか?
清水さん 観光地に求められる役割も少しずつ変わっていくのではないかと思います。これまでは、「何を見るか」「どこへ行くか」といったコンテンツそのものが観光地の魅力でした。しかし、インターネットやAIの発達によって、情報そのものはどこでも手に入る時代になっています。旅行前に景色や街並みを見たり、おすすめのルートを調べたりすることも簡単になりました。
だからこそ、これからは「その場所でしか得られない体験」の価値が、ますます高まっていくのではないでしょうか。その代表が、地域の人との何気ない会話や、偶然の出会いだと思います。例えば、商店街や市場でふと地元の人と言葉を交わしたことがきっかけで、地域のお祭りに誘われたり、思いがけない交流が生まれたりすることがあります。そうした予定していなかった出来事は、AIがあらかじめ設計してくれるものではありません。だからこそ、一人ひとり異なる旅の記憶として残っていくのだと思います。観光地にとっても、景色や施設を提供するだけではなく、地域の人と旅行者の自然な出会いを後押しする環境や仕掛けをつくることが、これまで以上に重要になっていくでしょう。
その土地の魅力は、情報だけでは伝わりません。現地の人と言葉を交わして初めて、その地域の文化や価値観、人々の暮らしが実感を伴って見えてきます。だからこれからの観光地は、「場所」を提供するだけではなく、人と人とがつながる機会を提供する場所へと変わっていくのではないでしょうか。
探検隊 5年先、旅行者は新しい人、新しい世界、そして新しい自分と出会うことを求め、観光地はそれに応じた場面を提供することが求められる、ということですね。
清水さん はい、私はそのように考えています。もちろん、美しい景色や、その土地ならではの食文化は、これからも旅の魅力であり続けるでしょう。一方で、その土地で誰と出会い、どんな言葉を交わしたかは、その人だけの旅をつくります。だからこそ、旅行者はそうした人とのつながりを求めるようになり、観光地もまた、人と人とのコミュニケーションが自然に生まれる場や機会を提供することが、これまで以上に重要になっていくと思います。
AIは情報を届けてくれますが、人とのコミュニケーションは世界そのものを私たちのすぐ隣まで連れてきてくれます。現地の人と言葉を交わすことで、その土地は単なる観光地ではなく、人々が暮らす世界として立ち上がってきます。私は、人は他者とのコミュニケーションを通して世界を広げ、同時に自分自身も発見していくものだと思っています。だから旅は、これからも人と人をつなぐ、とても大切な営みであり続けるのではないでしょうか。
探検隊 旅がもたらす「関係性」の変化。言語学というレンズを通して人間社会の仕組みや構造を研究されている清水さんならではの視点だと感じました。本日は貴重なお話をいただきありがとうございました!

今回の探検で見つけた「芽」
近年ではAIの発達によりパーソナライズされた情報が入手しやすくなり、利便性と満足度を高めてくれている一方で、自らの領域外・意識外の情報への感度が低くなっているとも感じます。これを言い換えると、自らの可能性を狭めている状態なのかもしれません。清水さんのお話から、雑談や旅を通じて人や地域と関係性を構築することで自らの新しい可能性に気づくことができると強く感じました。皆さんも未来の自分への先行投資として、雑談や旅を積極的に取り入れてみてはいかがでしょうか?









