1. コラム
  2. 【前編】地方の家族経営旅館における事業承継の現状―親族内承継と第三者承継(M&A)を成功させる条件―

研究員コラム

【前編】地方の家族経営旅館における事業承継の現状―親族内承継と第三者承継(M&A)を成功させる条件―

宮口 直人

客員研究員

公開日

地方の小規模な家族経営旅館では、施設の老朽化や債務、人手不足などを背景に、事業承継が重要な経営課題となっている。本稿では、自らも旅館を経営し、関連するコンサルティングを行う立場から、親族内承継と第三者承継(M&A)の双方について、何を受け継ぎ、何を変えるのか、承継後の運営体制をどのように構築すべきかを考える。 なお、本稿は前編・後編の2回に分けて掲載する。前編では事業承継をめぐる現状と課題を、後編では承継後の運営体制やPMIについて考察する。

1. はじめに

インバウンド需要の回復と地方への広がりが進む一方、施設の老朽化、債務、人手不足などを背景に、市場から退出する宿泊事業者も少なくない。需要拡大の恩恵を受ける施設と、事業継続が難しくなる施設との二極化が進むなか、旅館の事業承継は、株式や建物の引受先を決めるだけの問題ではなくなっている。承継後に誰が経営を担い、地域との関係を維持しながら、どのように事業を変革するかまでを含む経営課題となっている。

地方の小規模な家族経営旅館は、土地・建物の市場価値や現在の収益力だけでは、その事業価値を十分に捉えられない。観光地としての知名度、温泉などの地域資源、地域で築いてきた信頼関係、将来の観光需要まで含めて評価する必要がある。

親族内承継では、先代の経営手法をそのまま踏襲するのではなく、受け継いだ経営資源を生かしながら、新たな事業機会をつくる姿勢が求められる。これは、エフェクチュエーションの考え方と整合する。一方、第三者承継(M&A)では、譲渡条件の調整に加え、経営統合、関係者との信頼形成、業務統合からなるPMIを承継前から設計し、実行できるかが成否を左右する。

2. M&Aの対象となる地方の小規模旅館

家族経営旅館では、子どもやその配偶者など、親族への承継が長く有力な選択肢とされてきた。また、土地・建物の市場価値が都市部と比べると高くなく、客室数や売上規模も小さい地方旅館は、M&Aの対象になりにくいと考えられてきた。しかし近年、こうした前提は変わりつつある。その背景の一つに、インバウンド需要の拡大と地方への広がりがある。

2025年の外国人延べ宿泊者数は1億7,992万人泊で、2019年比55.6%増となった。三大都市圏を構成する8都府県以外の地方部では、外国人延べ宿泊者数が2023年の3,358万人泊から2025年には6,056万人泊へ増加した。全国に占める地方部の構成比も、同期間に28.5%から33.7%へ5.2ポイント上昇している[1]。

2025年における地方部の伸び率は前年比19.1%で、三大都市圏の5.1%を上回った。スノーリゾートや温泉地、固有の自然・文化資源を持つ地域にも国際観光需要が広がっている。この変化は、これまで不動産価値や足元の収益力を中心に評価されてきた地方旅館について、将来の収益力と事業価値を改めて検討する契機となる。

図1 外国人延べ宿泊者数に占める地方部の割合

出所:観光庁「宿泊旅行統計調査(2025年・年間値〔確定値〕)」を基に筆者作成
注:三大都市圏は東京、神奈川、千葉、埼玉、愛知、大阪、京都、兵庫の8都府県。地方部はそれ以外。単位は万人泊

ただし、地方部で宿泊需要が拡大しているからといって、すべての温泉地や旅館が一様にその恩恵を受けているわけではない。需要を取り込めるかどうかは、交通アクセスや季節変動に加え、客室・館内設備の競争力、人材の確保、周辺地域における飲食・交通・体験コンテンツの充実度などによって大きく左右される。したがって、観光地に立地していること自体が、旅館の事業承継における価値を高めるわけではない。温泉や食、自然、文化といった地域資源を魅力ある商品・サービスとして具体化し、安定した収益につなげられる運営体制があってこそ、その旅館の将来性が事業価値として評価される。

地域資源を収益につなげる経営能力が旅館の事業価値を左右するという点は、親族内承継において、何を受け継ぎ、何を変えるべきかを考える上でも重要である。

3. 承継すべき「事業資源」

親族内承継の強みは、顧客、従業員、取引先、地域との信頼関係を、時間をかけて引き継げる点にある。一方、経営環境が大きく変化するなか、先代の経営手法をそのまま踏襲するだけでは、事業を持続的に成長させることは難しい。後継者には、例えば、定期的な休館日を設けて従業員の休日を確保する、需要や提供価値に応じて価格を見直す、自社サイトを通じた直接販売を強化するといった取組が求められる。さらに、外部人材の登用やDX・AIの活用を含め、新たな経営課題に主体的に取り組む必要がある。事業承継において受け継ぐべきものは、先代の経営手法そのものではなく、屋号、信用、温泉、顧客、従業員、地域とのネットワークなど、長年にわたって築かれてきた事業資源である。後継者は、これらの資源を生かしながら、経営のあり方を時代に即したものへと再構築していく必要がある。

旅館の事業承継において、受け継いだ経営資源をどのように活用し、新たな価値を生み出していくかを考える上で参考になるのが、同族経営旅館7館を対象とした児島(2023)の研究である[2]。同研究は、訪問調査の結果をファミリービジネス論、社会情緒的資産(SEW)(※1)、エフェクチュエーション(※2)の観点から分析している。同論文は、調査対象となった経営者が、あらかじめ定めた目標から必要な手段を逆算するコーゼーションだけでなく、現在保有している手段を起点として、不確実な状況の中で新たな結果を生み出すエフェクチュエーションの発想を用いていると考察している。具体的な取組として、地域事業者との連携、SNSによる情報発信、クラウドファンディング、既存資源を生かした商品開発などが確認されている。

(※1)社会情緒的資産(SEW:Socioemotional Wealth)
同族企業において重視される、家族の価値観、企業への愛着、信用や関係性などの非財務的価値。
(※2)エフェクチュエーション(Effectuation)
将来予測が難しい状況において、現在手元にある資源や関係性を起点に行動し、協力者を増やしながら新たな機会をつくる意思決定の考え方。

児島(2023)が分析枠組みに用いたエフェクチュエーションの5原則を、旅館の事業承継に即して整理すると、次のようになる。

  1. 手中の鳥(今ある資源から始める):屋号、温泉、料理、常連客、従業員、地域との関係など、既に保有している資源から始める。
  2. 許容可能な損失(無理のない範囲で試す):期待収益ではなく、損失を許容できる範囲を定め、小規模に試す。
  3. クレイジーキルト(協力者と一緒につくる):同業旅館、DMO、金融機関、外部人材など、目的を共有できる関係者と連携する。
  4. レモネード(予期せぬ事態を機会に変える):災害、需要変動、後継者不在といった予期せぬ事態を、新商品開発や組織再編の契機に変える。
  5. 飛行機のパイロット(行動によって将来をつくる):将来予測だけに依存せず、自ら制御できる行動を積み重ねて将来を形づくる。

このように、承継した資源を起点に、小さな実践と協働を重ねる姿勢が重要になる。

ただし、児島(2023)は、第三者承継の成功要因を直接検証した研究ではない。同論文が示しているのは、調査対象となった同族経営旅館において、既存資源を活用しながら事業を変革する、起業家的な意思決定が確認されたことである。本稿ではこの知見を踏まえ、親族内承継の要点を、従来の経営手法をそのまま保存することではなく、受け継いだ事業資源を新しい環境に合わせて再編集することにあると捉える。

もっとも、すべての旅館で親族内承継を選択できるわけではない。後継者不在が広がるなか、承継方法そのものも多様化している。

宿泊業に限定した数値ではないが、帝国データバンクの2025年調査によると、小規模企業の後継者不在率は57.3%であった。また、代表者交代の就任経緯は、内部昇格36.1%、同族承継32.3%、M&Aほか20.6%、外部招聘7.6%となっている[3]。同族承継以外の方法も、既に主要な承継手段となっている。旅館においても、親族内承継か第三者承継かを早期に決めつけるのではなく、複数の選択肢を比較できる状態を整えておくことが重要である。

図2 代表者交代の就任経緯(2025年速報値、全業種)

出所:帝国データバンク「全国『後継者不在率』動向調査(2025年)」を基に筆者作成
注:宿泊業に限定した統計ではない。主要4類型のみを表示

4. 需要回復の陰で進む市場退出

インバウンド需要が拡大する一方で、宿泊事業者の市場退出も続いている。帝国データバンクによれば、2025年の宿泊業の倒産(負債1,000万円以上、法的整理)は89件で、前年の78件から14.1%増加した。休廃業・解散は178件で、倒産と合わせると267事業者が市場から退出した[4]。

倒産、休廃業・解散の75.3%は、三大都市圏以外の地方で発生している[4]。施設の老朽化、人手不足、食材費・光熱費の上昇、コロナ禍で積み上がった債務の返済が重なり、需要回復を捉えて改装や高付加価値化に投資できる施設と、投資余力を失った施設との二極化が進んでいる。

図3 2025年に市場から退出した宿泊事業者

出所:帝国データバンク「『宿泊業』の倒産・休廃業解散動向(2025年)」を基に筆者作成
注:倒産は、負債1,000万円以上の法的整理

旅館のM&Aについては、同一の定義で長期比較できる公的な成約件数統計が十分に整備されていない。したがって、倒産件数の増加と旅館M&Aの増加を、直ちに因果関係で結びつけることはできない。一方、日本企業全体のM&A件数は2025年に5,115件となり、過去最多を更新した[5]。また、前述の代表者交代でも「M&Aほか」が20.6%を占めている。

筆者が近年支援または相談を受けた複数の旅館案件でも、親族内承継と並び、第三者承継(M&A)の検討が主要な課題となっている。なお、以下の記述は統計調査に基づく一般化ではなく、個別案件を特定しない形で共通する傾向を整理した実務上の観察である。

5. 承継をめぐる三者の意向

承継交渉が長期化する要因は、譲渡価格だけにあるのではない。親世代の現経営者、親族内の後継候補、第三者承継の候補企業の間で、「何を守るのか」「何を変えるのか」「どの負担を誰が引き受けるのか」が共有されていないことも大きな要因となる。筆者が支援または相談を受けた案件からは、各当事者について次のような意向と懸念が確認される。

筆者が関与した案件では、親世代の現経営者が、子どもへの承継を唯一の選択肢と考えないケースが増えている。子ども本人に承継の意思があり、借入金の負担や収益性など、承継後も安定した経営を続けられる条件が整っていれば、親族内承継を選択する。一方、子どもが承継を望まない場合や、過大な債務などによって経営の継続が難しい場合には、無理に継がせず、第三者承継を検討するという考え方である。親族内承継を進める際には、金融機関との調整や債務の削減、外部からの資本受入れなどによって、承継前に財務基盤を整えたいという相談もみられる。また、第三者に承継する場合でも、譲渡価格だけで相手を選ぶわけではない。屋号、従業員の雇用、取引先、地域との関係など、長年にわたって守ってきた価値が承継後も維持されるかを重視する傾向がある。こうした価値を社会情緒的資産として捉え、承継後に何を残し、何を変えるのかを、あらかじめ当事者間で合意しておく必要がある。

後継候補となる子世代は、幼い頃から自分が旅館を継ぐ可能性を意識していたとしても、進学や就職を機に地元を離れ、地域外で仕事や家庭などの生活基盤を築くことが多い。そのため、親から承継を求められても、直ちに地元へ戻ることは容易ではない。親の高齢化や病気などを契機に、初めて承継を具体的に検討する場合もある。子世代は、旅館を継ぐこと自体を拒んでいるのではなく、親世代の経営手法を変えられないまま引き継ぐことに抵抗を感じていることが少なくない。従業員が安定して休めるよう休館日を設けるほか、新たな顧客層の開拓、価格やサービスの見直し、地域の同業者との情報共有や共同調達、業務の外部委託、専門家やDX・AIの活用などを進めたいと考えている。一方、多額の借入金や経営者保証を引き継ぐこと、経営情報が十分に開示されないこと、配偶者の経営参画を当然の前提とされることは、承継をためらう大きな要因となる。

第三者承継の候補となる企業は、現在の経営状態をそのまま引き継ぐのではなく、施設の改修や販売方法の見直しによって、承継後の収益力を高めることを前提に投資判断を行う。そのため、譲受価格は、現在の売上高や建物の価値だけでなく、必要な設備投資や運転資金を差し引いた将来キャッシュフローを基礎に検討される。次章では、譲受候補企業が具体的に何を評価し、どのような能力によって旅館の潜在価値を顕在化させるのかを検討する。

参考文献・参照資料
[1]観光庁(2026)「宿泊旅行統計調査(2025年・年間値〔確定値〕)」
[2]児島幸治(2023)「同族経営旅館のファミリーアントレプレナーシップ研究」『観光マネジメント・レビュー』第3巻、pp.2‑15
[3]帝国データバンク(2025)「全国『後継者不在率』動向調査(2025年)」
[4]帝国データバンク(2026)「『宿泊業』の倒産・休廃業解散動向(2025年)」
[5]レコフ(2026)「クロスボーダーM&Aマーケット情報」

著者

客員研究員

宿泊施設の再生、地域活性化、観光人材育成を専門とし、自ら旅館を経営しながら、宿泊業を中心とした地域づくりやインバウンドマーケティングを実践している。大学では旅館経営に関する研究・教育に取り組む一方、実務の現場では日本の地域と海外観光客をつなぐ新しいビジネス創出にも挑戦している。

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