観光産業の労働生産性向上と地方における大学新卒人材確保を考察する
2026年4月から第5次観光立国推進基本計画が始動する。訪日客6,000万人、消費額15兆円という目標が検討され、施策の柱である「観光地・観光産業の強靭化」では本格的な労働生産性向上への取り組みに挑戦すると考えられる。本稿では、観光産業の生産性向上と地方における大学新卒の人材確保について考察する。

篠崎 宏 客員研究員
目次
観光産業の労働生産性の現状
執筆時点で最新の公表データに基づき、2024年までの5年間(2020年~2024年)をみると、観光産業の代表的な業種である宿泊業の労働生産性は、142.5%の伸びとなっており、全産業平均の18.7%を大きく上回っている。コロナ禍からの回復サイクルに入った直近3年間(2022年~2024年)も26.5%の伸びを示し、全産業の平均10.7%を上回っている。10年前の2014年との比較でも、宿泊業28.7%と全産業平均15.8%を上回る結果となっている。
労働生産性とは、 従業員1人あたりまたは1時間あたりの成果を示す指標であり、観光庁の発表資料は付加価値額÷期中平均従業員数から算出している。宿泊業の労働生産性は、コロナ禍で一時的に落ち込むものの全産業を上回る伸びを示している。労働生産性の低さが長年の課題とされてきた宿泊業は、順調に課題克服へと進んでいると言える。
労働生産性(宿泊業・全産業平均)

出典:e-Stat「法人企業統計調査」に基づき作成
では宿泊業の付加価値額はどうなっているだろうか。2020年~2024年で約3.4倍の伸びとなっており、全産業の約1.3倍と比較をしても極めて大きな伸びとなっている。今や輸出品目に例えると自動車22.5 兆円に次ぐ9.5兆円に達した訪日外国人旅行消費に代表されるように観光市場は順調に拡大しており、経済産業省の産業構造審議会経済産業政策新機軸部会で議論を重ねている「2040年の産業構造ビジョン」で示されたように基幹産業への道を歩んでいると言っても過言ではないだろう。
付加価値額(宿泊業・全産業)

出典:e-Stat「法人企業統計調査」に基づき作成
宿泊単価と宿泊業賃金
労働生産性と付加価値額の上昇の主な要因となっている宿泊料金は2020年~2024年の5年間で54.1%上昇しており、消費者物価指数全体(総合CPI)の上昇率8.5%を大きく上回っている。この数字はコメ類と同様に消費者物価指数の中でも極めて高い上昇率となっており、宿泊業の付加価値額を上げることにつながっている。
消費者物価指数(宿泊・総合)

出典:e-Stat「消費者物価指数 2020年基準消費者物価指数 」に基づき作成
宿泊料金の伸びに対して賃金はどうなっているだろうか。2020年~2024年の宿泊業の賃金上昇率は7.7%にとどまっており、全産業平均の8.2%を下回っている。つまり消費者物価指数の宿泊料金は大幅に上昇しているが、宿泊業の賃金の上昇は全産業の平均を下回っており、労働分配率の改善が見られていないといえる。深刻化する全国的な人手不足において全産業の平均を下回る賃金の伸びでは、人材が十分に確保できず、付加価値額をさらに増やすことが困難になってくると危惧される。
月間賃金(宿泊業・全産業平均)

出典:e-Stat「毎月勤労統計調査」に基づき作成
第5次観光立国推進基本計画(素案)での観光産業の強靭化
2026年4月より新たな計画である第5次観光立国推進基本計画がスタートする。計画策定の議論を進めている国土交通省の交通政策審議会観光分科会では、観光の意義として「日本第2位の輸出産業に急成長しており、地域経済・日本経済の発展をリードする戦略産業」としており、課題として「観光の多面的意義を発揮していくためにも、深刻な人材不足への対応や高付加価値化に加え、災害、感染症危機、国際情勢の変化等の様々なリスクに対する強靭性を確保し、観光の持続可能性を高めていく取組も必要である」としている。
そのうえで、施策の3つの柱を「インバウンドの受入れと住民生活の質の確保との両立」、「国内交流・アウトバウンド拡大」、「観光地・観光産業の強靱化」としている。
観光地・観光産業の強靭化では「延べ宿泊者数の増加や労働生産性の向上等に向けた取組を通じて、2030年度までに宿泊業が創出した付加価値額6.8兆円を達成することを目標とする」としており、2024年の1.6倍とする目標を掲げている。同時に「観光地・観光産業の担い手確保」を挙げており、人手不足に苦しんでいる観光産業において、付加価値額を向上させるに十分な人材確保を目論んでいる。
観光産業の労働生産性向上と大学新卒人材確保の方策-宮古島の事例
周知のとおり観光は繁閑差が極めて大きな産業である。どの地域も閑散期対策を重点取組事項として掲げているが、著しい結果を挙げている地域は非常に少ない。繁閑差は、人材確保の面からも困難な状況を生み出している。繁忙期と閑散期に対応できるように変形労働時間制を導入している観光事業者はいるものの人手不足の解消にはつながっていない。
冒頭にも述べたが、労働生産性は従業員1人あたりまたは1時間あたりの成果を示す指標であることから労働生産性を向上させることは数字の理屈上は簡単である。売上を下げずにAIの活用により従業員を減らすか、従業員の就業時間を減らすかである。繁閑差を雇用面から解消するためにパートやアルバイトなどの非正規雇用者が多いのが観光産業の特徴であり、正規雇用者を増やしづらい産業である。その一方で繁閑差を利用して、例えば正規雇用者の労働時間をピーク期は8時間/日、稼働率が極端に落ちる閑散期は5時間/日にするなど年間労働時間を削減すれば当然ながら労働生産性は向上する。あわせて月額給与を現状維持にすれば、賃金アップはできなくとも拘束時間を減らすことにより正規雇用者のメリットも大きくなってくる。減った拘束時間を副業に充てれば年収アップも不可能ではない。
宮古島は、伊良部大橋が開通した2015年1月以降入域観光客数と観光消費額が約3倍に達しており、特に観光消費という観点ではこの10年間で最も成功している地域と言ってもよいだろう。その一方で専門学校がなく、大学も宝塚医療大学の観光学部1年次のみということもあり、他の離島同様に高校卒業と同時に若者が宮古島から流出してしまう。地域では圧倒的な観光産業がありながら、深刻な労働力不足に直面しており優秀な人材確保が急務となっている。
宮古島市では、大学がインターンシップ、ゼミ研究、学術研究を通じて、観光系学部(学科)の学生を高度観光人材として育成することに対して地域側からの支援する「宮古島モデル」構築に挑戦している。東京との賃金格差が観光人材誘致の最大の阻害要因と考え、東京の強み(年収の高さ)と宮古島の強み(生活コストの低さと通勤時間の短さ)を賃金面からまとめている。東京では1日に平均1.6時間賃金が支払われない通勤時間があり、宮古島ではこの時間を副業に充てることが可能である。本業の賃金水準に差があったとしても副業収入や生活コスト等を考慮すると実質的な賃金はほぼ同じという見方もできる。
東京と宮古島の賃金格差と副業
[3] 総務省統計局「令和3年社会生活基本調査」 ※1都3県の通勤時間を就業人口を元に加重平均し推計
[4] 統計情報リサーチ「沖縄県の平均通勤時間(宮古島市の通勤時間)」
[5] [6]政府統計窓口「消費支出調査」
※東京都と沖縄県の二人以上の世帯支出を平均世帯人数で除算し推計
今年度、宮古島市は立教大学、淑徳大学、ZEN大学から22名の学生を2週間から1か月間インターンシップとして受け入れた。学生は、シギラリゾートとヒルトン沖縄宮古島リゾートで働きながら地域課題の解決モデルを考え、東京と宮古島の賃金格差を副業で解消することを意識したインターンシップ生活を体験した。宮古島のように観光消費額が住民一人当たり193万円に達するような地域は、ビジネスチャンスが非常に多く、マネタイズできていない小さなビジネスの芽が数多く存在する。本業での就職を意識しながら、副業でのビジネスチャンスについて、これから就職を控えた学生目線で検証することがインターンシップの目的でもある。副業を社会実装化することにより、大きなボトルネックとなっている東京との賃金格差が解消され、大学新卒人材の確保が容易になってくる可能性がある。
インターンシップで受け入れた22名の学生への調査により、就職活動段階では学生に副業を選択する精神的な余裕はないが、本業に慣れた段階での副業には大きな興味関心を示しており、企業の新卒採用活動段階からの副業モデルの提示は地域の企業を選択してもらううえで有効であるとの結論に達した。
まとめ
2025年度学校基本調査(文部科学省)では、全国の812大学のうち、143大学が東京に立地しており、全国の学生数264.6万人のうち東京都の学生は69.9万人と実に26.4%を占めている。東京・埼玉・千葉・神奈川・愛知・京都・大阪・兵庫のいわゆる三大都市圏の合計学生占有率は66.7%に達している。
2040年の産業構造ビジョンでは「観光産業の日本経済に占める位置は、インバウンド需要(訪日観光客数・一人当たり訪日外国人消費額の双方)が成長し続けることにより、生産年齢人口が減少する国における最重要な外貨獲得産業、かつ非東京圏の多様な文化芸術資源(工芸・ファッション・デザイン等を含む)を核に、経済社会水準(賃金水準やインフラの持続性等)に最大の正の波及効果をもたらす産業として、国の基幹産業としての地位を獲得する。」としており、三大都市圏、特に東京に集中している大学新卒人材の地方への投入がカギとなってくる。
労働生産性の向上には繁閑差を逆手に取った労働時間の削減が有効であり、削減した時間を副業に充てることにより、東京との年収格差解消が実現する。観光地経営として地域の弱みを強みに変えた働き方を地域社会システムとして実装化することにより、労働生産性向上と地方における大学新卒人材確保が容易になると確信している。