実りある大地と観光の共存に向けて~美瑛町における観光DXを活用したオーバーツーリズムの解消と観光マナー啓発への取り組み~

コロナ禍の影響も薄れ、観光客が急回復した2023年。様々な地域では、キャパシティを超えた観光客が集中する「オーバーツーリズム」によって様々な問題が生じており、国も対策に乗り出す事態となっています。北海道有数の観光地である美瑛町でも、コロナ禍以前からオーバーツーリズムや観光客のマナー違反に悩んできました。美しい風景を次世代に受け継ぐために、観光と地域の共存をめざす、美瑛町の取り組みを紹介します。

佐々木 秀徳

佐々木 秀徳 主席研究員

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目次

1. 「ヒトの手」が生み出した風景

北海道のほぼ中央に位置する美瑛町は、ヨーロッパの農村風景にも似た雄大な丘陵地帯が広がり、美しい眺めと安らぎを求めて国内外から多くの観光客が訪れる、北海道有数の人気観光地です。トレッキングや紅葉を楽しめる十勝岳、大雪山系に抱かれた白金温泉、青く輝く水を蓄えた神秘的な「青い池」といった観光スポットに加え、季節や作物によって異なる彩りが広がる丘陵地「パッチワークの丘」や、SNSの「映えスポット」として人気のある「クリスマスツリーの木」といった、美瑛町の「日常生活の中にある風景」が、観光客の人気を集めています。
 コロナ禍以前には年間200万人以上の観光客が訪れていた美瑛町ですが、その主産業は「農業」です。町の総面積の約20%に当たる12,600haを田畑が占めており、年間約130億円の農産物を生産しています。※1 先ほど触れた「パッチワークの丘」は、地域の農家が小麦や小豆、ビートといった様々な作物を育てている「畑」の集合体であり、作物の種類や成長度の違いによって様々な色に染まる畑が「パッチワーク」のように組み合わさって見えることから名づけられました。「セブンスターの木」や「クリスマスツリーの木」と呼ばれる、写真や動画の人気撮影スポットも、開拓時に防風林や日よけとして残された樹木がCMやドラマのロケ地として使用されたことで、一躍有名になったものです。言い換えれば、美瑛町の美しい風景の多くは、大地を開拓し、農地を開墾した「ヒトの手」を経て、副産物的に生み出されたものなのです。

【美しい「パッチワークの丘」(提供:美瑛町観光協会)】

【神秘的な「青い池」(提供:美瑛町観光協会)】

2. 美瑛町におけるオーバーツーリズム

美瑛町は、北海道第二の都市である旭川と、一大観光エリアである富良野を結ぶ国道237号線に面していますが、町の中に一歩入ると、それほど大きな道路は通っていません。町の中心部以外には、大型車同士がすれ違うこともできないような細い農道が無数に通っており、地域の人々の生活道路として利用されています。このような美瑛町において、オーバーツーリズムの影響が最も見られるのが「交通渋滞」です。町内で最も多くの観光客を集める「青い池」周辺では、ピーク時には駐車場への入場を待つ車の列が2km以上に及び、車線を完全にふさいでしまいます。また、狭い農道に大型バスが停車することで、地域住民の通行を妨げるケースも生じています。コロナ禍以前、そして現在のオーバーツーリズムの現状について、美瑛町観光協会の泉事務局次長にお話を伺いました。

『コロナ禍以前から、夏のピーク時を中心にしばしば交通渋滞は発生していました。「青い池」では駐車場待ちの渋滞が多かったため、2018年には拡大した新駐車場を整備し、2020年にはそれまで無料だった駐車料金の有料化に踏み切りましたが、コロナ禍で減った観光客が回復するにつれて、また渋滞が発生するようになっています。
 「青い池」の渋滞は夏のピーク時に限られていますが、季節を問わずに渋滞が発生しているのが、「セブンスターの木」や「クリスマスツリーの木」です。韓国の映画やプロモーションビデオなどのロケ地になったことやSNSで「映える写真」が人気を呼んだこともあり、コロナ禍以前から観光客が多かったスポットですが、今年に入ってから「大型バスで訪れる韓国人観光客」が急増しています。どのバスツアーも行程が大体同じなので、10時過ぎから14時くらいの短い時間帯に、大型バスが集中してしまいます。今年の夏には、「セブンスターの木」の周りに10台以上の大型バスが同時に集中してしまい、慌てて観光協会のスタッフが交通整理に出向くことすらありました。』

【大型バスで込み合う「セブンスターの木」周辺(提供:美瑛町観光協会)】

【道路の中央に座り込んでしまった観光客(提供:美瑛町観光協会)】

3. より深刻な「マナー違反」

観光客が集中する「オーバーツーリズム」によって、既に地域住民の生活に影響が出ている美瑛町ですが、より頭を悩ましている課題が「観光客によるマナー違反行為」です。前述のとおり、美瑛町の主産業は「農業」であり、「パッチワークの丘」の風景を形作っているのは「畑」です。当たり前ですが、畑は「農作物を育てる場所」であり、農家の方が細心の注意をもって管理している「私有地」ですが、このような畑の中に入って写真や動画を撮影する観光客が後を絶ちませんさらには、農作物を踏み荒らしたり、「牧草ロール」に上るなどの「マナー違反行為」も生じています。

【「セブンスターの木」周辺の畑に入り込む観光客(提供:美瑛町観光協会)】

【「クリスマスツリーの木」周辺の畑に残された足跡(提供:美瑛町観光協会)】

実際に発生しているマナー違反行為の状況について、泉次長にお話を伺いました。
『観光客が畑の中に入ってしまうマナー違反は、「クリスマスツリーの木」や「セブンスターの木」の周辺を中心に、毎日のように発生しています。畑の作物を踏みつけるといった悪質なケースは多くないのですが、写真や動画を撮影するときに「畑の端に、ちょっとだけ」入ってしまうケースが頻発しています。作物が植わっていない部分であっても、観光客が立ち入ることは「靴底に付着した病原菌を持ち込む」といった大きなリスクに直結するため、美瑛町では全面的に禁止しています。また、撮影に夢中になって道路に飛び出したり、道路の真ん中で撮影を始めるなど、ご自身の危険を伴う行動も多発しています。』

このような状況に対して、美瑛町では様々な対策を検討・実行しましたが、実効性や費用の面から、効果的な対策を模索している状況です。

『マナー違反への対策には、これまで様々な意見やアイデアを頂いています。「畑を全面的に柵で囲っては?」という意見も多く頂きましたが、広大な面積の畑を全て柵で囲うには莫大な費用を要すること、設置した柵が冬季の積雪で壊れてしまうといった理由から、導入は難しい状況です。観光協会でも、ポスターやリーフレット、動画などで禁止行為を周知するほか、観光協会スタッフによる「観光パトロール」(観光スポットの巡回)、多言語の「立入禁止」看板の設置や畑の入り口にロープを設置する等、様々な対策を行っています。これらの取り組みでは、観光客に「禁止を強要」するのではなく、「マナーを啓発する」ことを重視しています。「禁止」の与えるネガティブなイメージではなく、美瑛の風景の成り立ちやマナー違反の引き起こす問題を理解してもらい、マナーを守った行動の具体例を示すことで、ポジティブな気持ちでマナーを守った観光を楽しんでほしいと考えています』

4. 観光DXを活用したマナー違反啓発への取り組み

今年度、美瑛町は観光庁の「持続可能な観光の促進に向けた受入環境整備事業」と「持続可能な観光推進モデル事業」の2つの事業に応募・採択されたことにより、新たに「観光DXを活用した持続可能な観光地の実現」に向けた取り組みを進めています。
 最初の課題となる「オーバーツーリズムによる交通渋滞」の解決に向けては、観光スポットの混雑状況を測定・発信するシステムを導入しました。観光スポットの駐車場の混雑情報を「行く前に」把握できることで、「今は混んでるから、別の観光スポットを先に周ろう」という交通の分散効果につながることが期待されています。また、JR美瑛駅近くに新しい駐車場を整備し、「パークアンドライド」を開始する予定です。広い道路が整備された町の中心部に自家用車やレンタカーを駐車してもらい、周遊バスに乗り換えてもらうことで、交通量の削減を図る施策です。農家の協力を得て、通常では立ち入りが禁止されている農地内で野菜の収穫体験ができるツアーも実施されており、ガイドさんの案内がないと味わえないような価値のある体験ができる点もポイントです。
 もう1つの課題である「観光マナー違反」については、特に立入禁止場所への侵入が多い2か所に、AIによって侵入を検知・通知するカメラシステムを導入し、自動音声による注意放送やマナー違反啓発動画の拡大放映などの対策と組み合わせることで、より効果的な観光マナーの啓発方法を検証しています。

5. 持続可能な観光地に向けて

今まで挙げたような、美しい風景と観光の共存を図る取り組みを続けていくためには、安定した財源が不可欠です。持続可能な観光地を実現するための財源として、様々な地域で検討・導入が進んでいるのが「宿泊税」です。宿泊代金に定額の税を上乗せして徴収することで、目的型の財源を確保する取り組みです。美瑛町でも、財源確保に向けて「宿泊税」の導入を検討しましたが、そこで課題となったのが全観光客に占める宿泊客の割合、すなわち「宿泊率の低さ」です。
 下表に、美瑛町と近隣の観光地である富良野市における、観光客と宿泊客数(実数)の暦年推移をまとめました。美瑛町の観光客数が富良野市を上回る年もありますが、美瑛町宿泊客数は全ての年で富良野市を大きく下回っています。コロナ禍直前の2019年では、富良野市の宿泊客数397千人(宿泊率24.3%)に対し、美瑛町の宿泊客数は121千人(宿泊率6.8%)と、富良野市の3分の1以下に留まっています。この状況で「宿泊税」を導入しても、観光客の1割にも満たない宿泊客にだけ負担が生じる、いびつな状況となってしまいます。
 また、美瑛町の観光スポットの多くは「畑」や「樹木」であり、入場料収入も発生しないことから、ここに税負担を課すことも難しい状況です。美瑛町の風景を楽しむ全ての観光客に、公平に環境保全の財源を負担してもらうためにはどうするべきか。現在も、地域DMOである「丘のまちびえいDMO」を中心に、継続的に議論が進められています。

美瑛町と富良野市における観光客数・宿泊者数の推移(単位:千人)

出所:「北海道観光入込客数調査報告書」(北海道経済部観光局)よりJTB総合研究所作成

6. 最後に

冒頭でも述べましたが、現在、日本の様々な地域で「オーバーツーリズム」や「観光マナー違反」が問題視されています。一方で、報道などで取り上げられる地域は、京都や鎌倉などの都市部が中心であり、美瑛町の持つ課題感は、なかなか例をみないケースかもしれません。
 繰り返しとなりますが、美瑛町の最大の観光資源である「パッチワークの丘」や樹木は、「ヒトの手」によって生み出されたものです。美瑛町の農家の方が、農地を開拓し、農業を続けているからこそ、外から訪れた観光客が目にすることができる風景です。美瑛の魅力の本質である「ヒトの暮らし」をいつまでも守り、楽しめるように、私たち観光客にも「責任ある観光客」としての振る舞いが求められていることを痛感します。ともすれば対立しがちな「観光」と「地域の産業」が、相乗効果を与えあいながら共存していく、「持続可能な観光地」の実現に向け、美瑛町の挑戦は続きます。
 
※1 美瑛町「美瑛の農業2023」