外国人観光客誘致に向けた歳時記の活用

外国人観光客数は増加の一途をたどり、2024年にはコロナ前の数字を上回る見込みです。外国人観光客にとって魅力的な日本文化とはなんなのか。日本の四季の美しさと、それぞれの季節に根付いた風習を集約した「歳時記」を事例に、その本質を考えます。

倉谷 裕

倉谷 裕 主任研究員

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目次

日本の四季を改めて考える

日本の四季は、同じ場所でも色々な顔をみせてくれます。春には花が咲き、夏には緑が生い茂り、秋には木々が色づき、冬には一面の銀世界、そんな季節の移ろいに価値を見出す外国人観光客も多く、日本でしてみたいことの1位として「自然景観を楽しむ」があがっています。私たちにとって当たり前な季節感やさまざまな時節の行事は、外国人にとっては異質な体験であり、そこに価値を感じる旅行者も多いことが分かります。

日本の四季の意味やその季節ごとの風習をまとめたものに、歳時記と呼ばれるものがあります。その起源については諸説ありますが、中国の古典である「荊楚(けいそ)歳時記」を参考に、江戸時代の儒学者である貝原益軒の指導の下、その甥の貝原好古によって、1688年に刊行された「日本歳時記」が日本の歳時記の始まりという説が一般的のようです。一年の季節は春・夏・秋・冬・新年の五つに区分され、季語は時候・天文・地理・生活・行事・動物・植物の七種類に分類されています。さらに五節句、二十四節気、七十二候、雑節といった季節を表す言葉の意味なども紹介されています。旧くから農作業に関わる神事や地域の祭事の基準として、日本文化とともに継承されてきています。地域で暮らす上での意味や意義、生活する上でのメリットや注意事項が込められた歳時記と、私たちが暮らす地域を見比べることで、季節ごとの行事には全国各地により多少の違いはあるものの、その目的や意味をたどると、歳時記に示された内容に収斂されています。
 全国各地のまつりもその具体例といえましょう。しかし、近年ではまつりの運営に関する担い手問題や騒音問題が発生し、消滅したもの、存続の危機に瀕しているものも多くなりました。さらに、季節ごとに提供される食も、気候の変化による産地転換や外国産食材の輸入の増加により食材の旬が曖昧になっています。季節を愛でる食文化の継承や季節感の創出も場所によっては危うい状況になってきました。特に都市部においては日本人が生活の中で季節を肌で感じることが難しい環境になってきています。
 外国人が日本独自の生活文化などに関心を高めている一方、日本各地では日本らしい暮らしが徐々に失われ、その意味や意義を持続させることが難しい地域が年々拡大しています。この状況は、大いなる機会損失となっているのではないでしょうか。自分たちにとって当たり前の文化を見直し、日常生活と結びつけ、再認識することが、地域再発見の糸口になる。そのような観点で今一度歳時記を見直してみると、地域のイノベーションのきっかけにつながるヒントを見つけることができるのではないでしょうか。

出所:JTB総合研究所「令和6年能登半島地震と訪日旅行への意識12か国・地域調査」

地域の再認識から生まれる可能性

茨城県牛久市は人口約8万人、東京駅から約50kmの都心からさほど遠くない場所に位置しています。観光地というよりは、東京のベッドタウンのイメージが強い街ですが、現在歳時記にある地域の日常を外国人観光客の誘致に活かす取り組みを始めています。観光要素としては、世界最大の青銅製仏像であり、その大きさはギネス世界記録にも認定された牛久大仏や、日本で初めてワインが醸造された場所である日本遺産牛久シャトーといった名所があります。現在では年間20万人近い外国人観光客が訪れていますが、そのほとんどは牛久大仏だけを見て次の場所へ移動してしまう、典型的な「点」の観光地となっています。

<盛夏の牛久大仏>

このような通過型の外国人を滞留させるための方策として取り入れたのが、牛久エリアのなりたちや大仏を含めた仏像や仏教の歴史、日本初のワインの誕生物語、東日本最大の農業県である茨城県の生産物と食文化などを、歳時記にある五節句に当てはめて、地域の日常の中にある季節感と暮らし方として紹介する取り組みです。そのひとつとして、外国人向けの五節句を活かした日本体験のアテンドを、日本人ではなく、日本に住む外国人が行うプログラムが実施されています。
 暦の上では秋を迎えた8月初旬、七夕の節句をテーマにしたプログラムが開催され、アジア・欧米から10か国10人の日本ファンが牛久に来訪し、日本に住む外国人が案内を行いました。なぜ七夕なのに8月なのかといえば、旧暦の7月7日は2024年では8月10日になるからです。日本文化に関心の高い外国人にとっては、旧暦と新暦の違いを知ることも新たな学びですが、アジア圏の人々にとっては、農暦や様々な節句を自国の生活の中の行事として経験しており、なじみ深いことがわかりました。それでも折り紙で作る飾りつけなどの風習はなく、日本独自の七夕の過ごし方を由緒ある日本家屋で楽しんでいる様子でした。夜空に現れる月の満ち欠けにも、三日月や十六夜といった日ごとの名称がある、そのような日本の価値観にも、非常に高い関心が集まりました。
 また、この時期は夏の土用の時期にあたります。疲労が溜まるこの時期は、滋養のためスタミナ源であるうなぎの需要も伸びる時期です。実は「うな丼」発祥の地が牛久沼周辺といわれていることは、全国的にあまり知られていません。今では外国人にも人気のメニューとなったうなぎですが、うな丼発祥の地で聞くその誕生ストーリーや、うなぎを土用に食する意義、この時期に生産される夏野菜の持つ効能などについてテキストを使って詳しく説明することにより、産地で食する旬の価値や意味を外国人が深く理解し、咀嚼する姿が印象的でした。そして何よりも「旬の食べ物はおいしい」ということは、万国共通の感想のようです。
 日本を愛して止まない先生役の外国人が、牛久の日常を地域の歳時記に沿ってペアとなった外国人に解説を行う試みは、日本を訪れて間もない外国人にも、日本人の所作や佇まい、その意義や価値に対する理解が進み、日本を深く知る人々が確実に増えていく様子を実感することができました。

<歳時記による地域解説本:日本地域資源学会>

外国人に地域の日常を紹介する取り組みに対しては、当初は牛久市の受入側関係者も懐疑的な目を向けていました。しかし、事業開始から丸一年が経過し、回を重ねるごとに、外国人が地域の当たり前を底知れず喜ぶ姿を見て、もしかすると、自地域の当たり前が物凄く重要なもの、自信をもってよいことと、自地域を誇りに感じるように変化していき、受入に関わるメンバーそれぞれが出来る季節ごとのしつらえを独自に整え、外国人との交流のきっかけづくりを積極的に行うようになりました。牛久大仏を起点に市内の季節感や歴史を感じる場所を回遊する流れが、日を追うごとに進化しています。
 茨城県においては、1300年以上前に編纂された書物である「常陸風土記」に記された通り、不老不死の理想郷である「常世の国」として、山や海や肥沃な土地での地域の営みが現在に続いています。それだけでも日本屈指の価値といえましょう。その史実を、地域の人が自分たちで自信をもって語り伝えられないとしたら、非常に勿体ない話です。外国人の来訪が年々増加する今、受入側がグローバル化を目指す土台として自地域を知り、伝統、まつり、食、あらゆるものやことが、存続の危機に瀕していることや続けていくことの意義を自分事として受け止めることが重要です。歳時記は、地域の指南書として、さまざまな示唆を与えてくれます。

<外国人への外国人による解説>

<七夕飾りワークショップ>

歳時記の学び直しによる気づき

歳時記を通じて、日本人として生活と意識の中から遠ざかってしまったかつての日常、当たり前の暮らしを学び直し、過度な便益の見直しや手間を惜しまないことにより見えてくる世界があります。当たり前の理由やいわれ、根源を再認識することは、自地域の誇りを取り戻し、次世代に向けた文化のバトンリレーを堂々と行えることにつながるはずです。昔ながらの暮らしを見直すことで、過度な利便性によって生み出されるCO2を減らすことも可能です。先人の教えに倣い、季節に合わせて心身を整え穏やかに生きること、その教えを脈々と伝え続け、それぞれの地で培われた日常を続けていくことは、未来に向けた前向きな取り組みであり、持続可能な社会を創り上げることの第一歩かもしれません。
 
参考文献:日本地域資源学会「うしくの五節句」