個人化の時代におけるファッションと旅
かつて、ファッション誌が旅を後押しした時代があった。コロナ禍のさなか、ファッション業界・観光業界が苦戦する中で、新たな商品やサービスが堅調な成長を遂げた。転換期にある両業界における消費者ニーズの共通項や、ファッションと旅の関係を探る。
河野 まゆ子 執行役員 地域交流共創部長
目次
1.ファッションは、社会との対話である
2010年代後半から、ファッションにまつわる企画展覧会を開催する美術館が増加傾向にある。東京で開催された主なものでは、2020年開催の「ドレス・コード?─着る人たちのゲーム」、2021年「ファッション イン ジャパン 1945-2020―流行と社会」、そして2025年5月現在開催中の「LOVE ファッション─私を着がえるとき」などがある。ファッション展への関心の高まりは、ファッションそのものが文化であり鑑賞すべき対象であること、また、ファッションの変遷によって社会背景を知るためのメディアとしての威力があることを示している。
「ファッションとは、社会との対話である」という言葉がある。日本のバブル期のファッションが象徴的だが、経済的な元気さとスタイルは呼応する。「制服」は役割を表現し、特定の場所・時間におけるドレスコードはコミュニケーションツールとしての位置づけを持つ。直近20年ほどの主なファッショントレンドを振り返っても、技術発展の影響や消費者の購買行動の変化、多様性を尊重するという世界的潮流などの社会環境を大きく反映している。

出所:筆者作成
「服を着る」ということを機能としてだけ見れば、気候や用途に対応さえできればよいはずだが、縄文時代の副葬品として様々なアクセサリーが出土していることからも、ファッションに類する概念はおそらく古代から連綿とあったことがわかる。着飾ることや自己表現をすることは必ずしも生命活動にとって必須ではない。それは同じく古来存在していた「旅」と同じで、「なくても死にはしないが、それがあることを人が望んできた」という意味で、社会活動を行う中での暮らしの一部に深く食い込んでいるものと捉えることができる。
2.ファッションや旅にまつわる消費者ニーズと産業構造の変化
ファッションや旅を暮らしの中で重要なものとして位置づける人々にとっては、近年の物価高騰や為替相場は大きな逆風になっている。東京商工リサーチの調査によると、著名なグローバルアパレルブランドの定番のバッグや靴は、この10年で価格が2倍程度に高騰しているし、2024年7~9月期の国内上場ホテル15ブランドの販売価格は2021年同期比で1.8倍になっている。このような環境の中で、消費者の意識や両業界の産業構造は、近年どのような変化を辿っているだろうか。
- ファッション業界 -ECが後押しする個人商店の台頭とリユース市場の隆盛-
- 観光関連業界 -「サブスク」の成長とトキ消費の深化-
- 成長の共通項はファン層囲い込みとオンラインコミュニケーション
衣料の価格高騰を背景として、二次流通市場の隆盛は2025年現在留まるところを知らない。アメリカのリユース市場の規模は2020年に約320億ドル(4.6兆円)に達した。年平均成長率はおよそ6.1%と見込まれており、2030年には市場規模が500億ドル(7.2兆円)を超えると予測されている。国内では、百貨店各社がリユースサービスを導入し始めたほか、国内の衣料のサブスクリプションサービスの市場も2021年で約1兆円規模にまで成長した。
その他国内では、店舗を持たない(または極めて少ない)小規模ショップの台頭も著しい。商品数を絞り込み、SNS広告を端緒とした顧客囲い込みとEC販売により店舗や広告、卸などの間接コストを極限まで抑え、商品をリーズナブルに顧客に届ける。これは、試着不要なベーシックアイテムや、作る工程やブランド哲学を訴求したい職人系ブランドと極めて相性が良い。
ECの世界的な発展は、従来の店舗型ファストファッションとは比較にならない超価格訴求型のブランドを生み出した。SHEINの市場規模(売上)は、2023年には365億ドル(5.4兆円)に達し、2025年には806億ドル(10兆円)を目指すとしている。対極のラグジュアリー市場も堅調で、2019~2027年で年率1%台の成長が予測されている。主に中国や中東などの新興市場の消費意欲が後押しする形だ。
ファッションと環境負荷の関係性にも注目が高まっている。2019年に組成された「持続可能なファッションのための国連アライアンス」の調査によると、全産業が排出する温室効果ガスの8~10%をアパレル業界が占めるとされた。これは自動車産業の排出量とほぼ同水準の大きなインパクトで、富裕層からもリユース市場が支持される大きな理由のひとつにもなっている。
国内旅行市場は人口減少に伴い長期的に縮小していくことが予想されるが、宿泊旅行における消費額の伸びは世代別の違いが大きい。50代以下では増加傾向にあり、特に20代は2019年から2023年にかけて5,000億円ほど伸びている。一方で、2010年には最も消費額の多かった60代を筆頭に、60代以上で旅行消費額は減少から横ばい傾向だ。これまで旅行市場を牽引してきた「アクティブシニア」からそれ以下の世代への交代が新規サービスへのニーズ変化を支えている。

出所:観光庁「旅行・観光消費動向調査」
この10年間における大きな業界変化は、オンラインでの情報収集・購買行動が一気に進んだことと、求める体験の質の変化によるサービス・コンテンツの拡大だ。
宿泊事業については、会員制ホテルの新たな形としての宿泊サブスクリプションサービスの拡大が予測されている。株式会社日本能率協会総合研究所 マーケティング・データ・バンクは、2022年に65億円規模であった宿泊サブスクリプションサービスの市場規模が2028年には約180億円にまで拡大すると予測している。2018年頃に市場が生まれた当初は古民家等を活用したシェアハウスやゲストハウスのスタイルが中心で、二拠点・多拠点生活志向者が主なユーザーだった。その後、様々な事業者が参画し、1カ月あたり数泊から利用できるライトプランや施設バリエーションが増え、レジャー需要を獲得していった。これに加え、旧型の別荘ユーザーの取り込みに向けて、高単価のNOT A HOTELやSANU 2nd Homeなど、非日常的な自然環境を満喫できる「暮らしのサブスク」を謳うサービスが生まれ、好評を博している。更に、従来型の会員制ホテル(リゾート会員権)もコロナ禍中を含めて好調で、特に新規開業ホテル会員権の人気が高い。節税対策にもなる法人名義での契約実績の多さや、シニア向けに権利期間を短縮した割安な商品が生まれたことなどによって市場が拡大中だ。
また、旅行中の体験のバリエーション拡大は、異業種の参入を後押しした。プロジェクションマッピングは今や観光地の個性を活かした視覚体験として浸透しているし、日本ではまだ黎明期であるイマーシブ体験(ロケーションベースドエンターテインメント(LBE))の世界全体での市場は1兆円規模と言われている。観光における「コト消費からトキ消費へ」の変遷の先に、「そのロケーション・そこに居た人で完成するオリジナルのトキ消費」へ、ニーズがよりパーソナル化していることが窺える。
両業界の近年の状況をみると、既存固定客やSNSを通じて獲得した新たなファン層の囲い込みと、それらの限られたコミュニティが繰り返しサービスを利用できるプラットフォームが成長のカギになっていることがわかる。
中小規模の経済圏を構築する「顧客囲い込み戦略」が取れないケースでは、新規客に見つけて貰える越境ECが顧客とのコミュニケーション基盤となる。その場合は、顧客がどの国に居ても商品やサービスの詳細がオンラインでわかり、直接予約・購入できることが重要なポイントになっている。
いずれにしても、オンラインで情報を収集し、自身にマッチした商品・サービスを選択するためには、一定の「目利き」や「先達による評価・市場の評判」が不可欠だ。消費者は、価値観や趣味志向が近しいコミュニティを構築したり、価値観が近いと思われる人々の口コミを参考にして「自分らしい商品・サービス」を選択する傾向が強まっている。

出所:筆者作成
3.旅とファッションの関係
1970年代、国内旅行を牽引した「アンノン族」が購読していた女性誌『an・an』や『non-no』では、旅先の「絵になる風景」の中に流行のファッションをまとって出掛ける、という“主人公感”を打ち出していた。同じ頃、海外旅行が自由化して間もない時代には、行先がハワイであってもスーツや和装などの正装で出掛ける人が多かった。旅が現代よりもさらに非日常的な体験だった時代、旅は行先を問わず“一張羅を着ていく場面”であり、ファッションは「自己の」非日常性を一層際立たせるものとして機能していたと言える。
今や、ファッションはマスメディアが牽引する時代ではなくなり、新たな旅行先が消費者主導で人気を博すことも多い。旅とファッションがともに個人化していく潮流の中にあっても、一定の「ファッションの定型」は今でも機能している。但し、50年前と大きく異なるのは、「非日常性」の演出が、場の環境や風景を前提に行われることだ。テーマパークでお揃いコーデをしたり、海外のリゾート地で日本では着ない華やかな色柄や高露出の服を着る人がいるし、アジアに長期旅行をする人は、現地の気候やカルチャーにあわせた「現地の緩い服」を着たりもする。非日常としての旅の最中“だけ”いつもと違う自分になれるという楽しみは、旅先だからこそ許される一時的・非日常的な変身願望の実現と言えるかもしれない。そしてそれらは、SNSを通じてある種の「様式」として再生産され、次の旅行者に引き継がれていく。
2025年4月にJTB総合研究所が実施した調査によると、「旅行中のファッションは旅の楽しみを増やす」と考える人は約68%と多く、「非常にそう思う」と回答した人は12%を超えている(図2)。更に、「旅行先では特別な服を着たい」と考える人が全体の三分の一を占め、上述の「旅行先を存分に味わうための一時的な変身願望」があることを推測させる。また、「旅行先の風景やカルチャーに似合う服装をしたい」「丁寧に対応されるようにきちんとした服を着たい」がそれぞれ約70%程度と、来訪先へのリスペクトや、自身の旅行体験をより良いものにしたい意識が読み取れる。

出所:JTB総合研究所「旅行中のファッションに対する意向調査」(2025)
海外旅行では、異文化体験の高揚感が一層高まる一方で、気候やカルチャーなど不安な点も増える。「海外旅行時の服装で困ること」については、「気候が想像しにくい」が特に高く60%弱となったのに次いで「ドレスコード」への不安が約30%と高い(表3)。
年齢・性別で顕著な差が生じたのは、現地の文化・慣習への配慮と、犯罪リスクへの意識だ。30代以下の男性では、見た目で日本人観光客であることがわかると犯罪リスクが上がるかもしれないという可能性を懸念する傾向が強く、慎重さが垣間見える。
一方、ドレスコードへの不安は50歳以上女性で、また現地の宗教・慣習に照らして不適切な服装にならないようにという配慮は40歳以上の女性で高く、ファッションを社会文化として捉える意識が高いことが読み取れる。

4.おわりに
かつて、社会学者マーシャル・マクルーハンは、メディアやテクノロジーを「身体の拡張」であると捉えた。これは1960年代の著書からの引用だが、AIが台頭して自身の活動を代行し、没入型のデジタルコンテンツが隆盛し、SNSで他人の体験を我が事のように追体験できるようになった現代において一層実感が沸く言葉だ。旅が、非日常であるだけでなく日常の拡張にもなりつつあり、テクノロジーが旅への想像や旅ナカの体験をより個人化させていく。そしてファッションは、おしゃれをして旅する自分をある種の主人公と見做す自己演出ツールとしてよりも、現地の風景やカルチャーに馴染み、より快適に充実した活動をするための後押しをする機能的・社会的なコミュニケーションツールとしての位置づけを強めている。
なお、マクルーハンは、衣服を人間にとっての「第二の皮膚」と述べている。自身の身体と衣服が混然一体となって自己と世界を結びつけるということであるなら、想い出に残る旅をした時の服や小物は、非日常の時間を過ごした身体の記憶を継ぐ相棒となって、日常に帰ってきたあとの自分をちょっとだけ元気づけてくれるかもしれない。
【調査概要】
JTB総合研究所「旅行中のファッションに対する意向調査」(2025年4月)
調査手法:インターネットアンケート調査
調査対象:国内在住の15歳~79歳男女各1000/大都市圏(東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県・大阪府・京都府・兵庫県・愛知県・福岡県)とそれ以外各1000、計2000サンプル