‘優しさ’は新しい移動機会を創る~小さな子ども連れや妊産婦の旅行への配慮を考える~

2016年4月より障害者差別解消法の施行が決まり、「ユニバーサルデザイン」に注目が集まってきています。これに伴い観光の分野においても、誰もが安心して旅行を楽しめる「ユニバーサルツーリズム」の普及に向けた環境整備を進めようという動きが始まりつつあります。JTB総合研究所もサポートする、誰もが楽しめる旅行の環境づくりについてレポートします。

若原 圭子

若原 圭子 主席研究員

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目次

2016年4月より障害者差別解消法の施行が決まり、「ユニバーサルデザイン」に注目が集まってきています。これに伴い観光の分野においても、誰もが安心して旅行を楽しめる「ユニバーサルツーリズム」の普及に向けた環境整備を進めようという動きが始まりつつあります。

最近報道などで、乗り物や街中でのベビーカーの問題を耳にするようになりました。乳幼児連れや妊産婦の旅行もユニバーサルツーリズムの対象です。今後女性の社会参加がさらに進めば、乳幼児連れや妊産婦の外出や旅行の機会も増えると考えられますが、実際には精神的にも物理的にも不便を感じている人が多く、両面で社会の理解を広げていく必要がありそうです。

JTB総合研究所では、誰もが楽しめる旅行の環境づくりをサポートすることを目的に、ユニバーサルツーリズムの関連事業を推進する専門部署を立上げ活動しています。その一環として、観光庁による快適で安全な乳幼児連れ及び妊産婦旅行の普及・啓発を目的とした事業「乳幼児連れ及び妊産婦旅行促進事業」を受託すると同時に、自主事業として、一般社団法人親子健康手帳普及協会が発行する「母子健康手帳」の情報ページに、「長距離の移動と旅行時の注意」を初めて記載させていただきました。今回はこの2つについてレポートします。

1.ユニバーサルデザインとユニバーサルツーリズム

「ユニバーサルデザイン」とは、文化・言語・国籍の違い、老若男女といった差異、障がい・能力の差を問わずに利用できるデザインを意味し、「バリアフリー」とは、物理的や精神的なバリアをなくすことをいいます。既に障がい者の差別を禁止する法律が施行されている欧米では、環境整備だけでなく、「共生」の意識が社会全体に根付き、「バリアフリー」や「ユニバーサルデザイン」を標榜しなくとも、すべての人が生活を楽しむことは当たり前のことと認識されています。
「ユニバーサルツーリズム」とは、観光庁との定義では「旅行をする上で何らかのバリアがある方を含め、誰もが気兼ねなく参加できるよう創られた旅行」のことをいい、対象は、高齢者、障がい者、妊産婦、乳幼児連れ、外国人等広範囲にわたります。その人数は当社の推計によれば、日本の人口の2分の1ほどの規模となり、少子高齢化が進む日本の社会にとっては市場的にも大きいといえるでしょう(図1)。
ユニバーサルツーリズムの促進は、旅行をあきらめている高齢者や障がいのある人に、生活の楽しみや人間らしく生きることを旅行を通じて実現するとともに、未病効果(旅行が心理的、身体的によい影響を及ぼすこと)にも期待が持てそうです。

ユニバーサルツーリズム対象人数: 日本総人口の45%の5,697.6千万人、その中に含まれるのは高齢者が最も多い

(図1)

2.乳幼児連れや妊産婦の旅行促進の重要性

欧米においては車いすと同様に、ベビーカーの利用についても、外出や移動に配慮が必要であることが十分認識されています。しかし、日本国内では生活者、企業等を含めて、乳幼児や妊産婦の旅行に対する理解が十分に進んでいません。この一因には地域や観光関連産業に、経済的な重要性が十分認識されていないこともあるかもしれませんが、乳幼児連れや妊産婦の旅行促進は以下のような旅行機会を生み出すと考えられます。

  1. 三世代による新しい市場の拡大
  2. ファミリー旅行やママ友旅行によるオフ期の需要拡大
  3. 幼少期に旅行経験の多い子どもは将来旅行を習慣的に行う可能性が高く、将来の旅行好きを育成できる

社会的意義という点では、家族旅行は「夫婦などの家族間の関係性向上(相互理解)」効果が期待でき、産後うつ対策のためのストレス解消(リフレッシュ)へもつながりそうです。

3.観光庁の事業「乳幼児連れ及び妊産婦旅行の促進事業」について

(1)「乳幼児連れ及び妊産婦旅行の促進事業」の概要

観光庁はユニバーサルツーリズムの環境整備に力をいれています。当社はその一環となる「乳幼児連れ妊産婦旅行促進事業」を平成27年度事業として受託しました。本事業では、生活者、地域・観光事業者、旅行業者を対象に調査を実施し、旅行や事業者の取り組みの実態と今後解決すべき課題を整理しました。3月8日には、普及促進のための施策の検討と課題解決を進めるためのシンポジウム(写真1)を、乳幼児連れや妊産婦にやさしい環境整備がなされていると評価の高いサンリオピューロランドで開催しました。当日は、100名を超える参加者があり、その約半数が乳幼児連れの女性でした。シンポジウム後のアンケートでは、「同じ悩みを持つ人が多くいることを心強く感じた」、「登壇者ママの旅行経験や、旅館の受入態勢、医師の話を聞いて、旅行に行ってみようと思った」などの意見が寄せられました。事業者からは、「今、対応しなければ未来の危機につながると気付いた」という声も聞かれました。

子育て家族にやさしい旅行促進シンポジウムのポスター

(写真1)「子育て家族にやさしい旅行促進シンポジウム」案内

(2)乳幼児連れ旅行及び妊産婦旅行に関する調査と結果について

調査は、生活者から旅行の実態やニーズの把握、地域・観光事業者や旅行業者からは取り組みの実態と課題についてアンケート調査、グループインタビュー、聞き取り調査を実施し、両者の立場を整理しました。以下はその一部です。

●妊娠前と比べて旅行頻度は、0歳児の母親は75%が減少。1~2歳の母親は71%減少
理由は共に「荷物が多く、体力的負担」。「周囲への迷惑」も多い。
3~6歳児の母親は61%減少。最大の理由は「経済的負担」。旅行代金の上昇がネックに。

旅行頻度が妊娠前後でどう変わったかを聞いたところ、国内宿泊旅行は初産の妊産婦の90.3%が減少(「妊娠前に比べてどちらかというと減った」と「妊娠前に比べて大幅に減った」の合算)したと回答しました。末子年齢が0歳の女性(母親)が75%、末子1-2歳で71%、末子3-6歳で61%でした(図2)。

国内宿泊旅行の頻度:国内宿泊旅行は初産の妊産婦の90.3%が減少

(図2)

旅行頻度の変化の理由を聞いたところ、妊娠期は「自分の体調がすぐれない」が一番の理由ですが、子供が0歳、1~2歳の時期は、「経済的負担」「荷物が多く、自分の体力的負担」、「子供の移動負担」と続きました。「長時間の移動で子供が周囲に迷惑をかける」「子供が騒いで周囲に迷惑をかける」という回答も多い結果となりました(図3)。

旅行頻度の変化の理由:一番の理由は妊娠期は「自分の体調がすぐれない」

(図3)

●国内旅行先で困ったことは、0歳児の母親は「授乳スペース」。3~6歳児の母親は「トイレの所在」、「トイレが汚くて子供が嫌がる」、0~2歳児の父親は「多目的トイレがない」

次に国内宿泊旅行で、妊産婦や乳幼児連れの人が困ったことを聞きました。上位から「おむつ替えスペースがない(39.9%)」「移動時間が長い(30.9%)」「授乳スペースがない(27.9%)」「トイレが汚くて子供が嫌がる(27.4%)と続きました(図4)。回答者別では、妊婦は「段差」や「トイレの所在」、末子0歳児の母親は「授乳スペース」、1~2歳児の母親は「おむつ替えスペース」。3~6歳児の母親は「トイレの所在」、「トイレが汚くて子供が嫌がる」、末子0~2歳児の父親は「多目的トイレがない」とトイレの問題が多くあがりました。総じて困ったことは、宿泊先でというより、移動中や外で活動している時に感じることが多く、安心して外に出るための環境整備がまだまだのようです。
参考までに、宿泊施設に関しては、ミキハウス子育て総研の「ウェルカムベビーの宿」という宿泊認定制度で、乳幼児連れでも安心して過ごせるための100項目を基準に70点以上獲得した宿泊施設を部屋単位で認定しています(写真2)。

国内宿泊旅行で困ったこと比較:おむつ替えスペースがないが39.9%で最多

(図4)

ウェルカムベビーのお宿の認定マークとホテルの例

(写真2)

●乳幼児連れや妊産婦の旅行を積極的に推進している観光業者は、リピーターや三世代旅行の獲得により、旅行者数や単価が上昇

実際に妊産婦、乳幼児連れの旅行を積極的に推進している観光地や宿泊施設、旅行会社のヒアリングを行い、積極的に取り組む意義について調査をしました。依然リスクや手間を理由に取り組んでいないところが多い中、先進的に取組んでいる企業では、妊産婦、乳幼児連れ客はリピーターや固定客になりやすく、比較的消費単価が高い三世代旅行も多い、優良顧客をつかんでいることがわかりました。また、平日やオフシーズンに旅行をする人も多いため、客室稼働の平準化にも寄与することがわかりました。

(3)乳幼児連れや妊産婦の旅行のための環境整備は、結果的には高齢者旅行の環境整備になる

前述の図4では、今回の調査結果と昨年度の観光庁の事業の「平成26年度ユニバーサルツーリズム促進事業」で「外出に不自由を感じない高齢者(アクティブシニア)」および「要介護者(介護者が回答)」が国内宿泊旅行で困ったことを聞いた結果と比較もしてみました。「移動の歩行距離が長い」「段差」「多目的トイレ」「エレベーター」に関しては、乳幼児連れや妊産婦、アクティブ高齢者、要介護者すべてにおいて共通で指摘の高かった事項です。乳幼児連れや妊産婦の旅行のための環境整備は、結果的には高齢者の環境整備になることが調査から明らかになりました。受入態勢、同行者の支援、周囲の温かい目があれば、行きたい人が旅行に行けるようになるというのは、ユニバーサルツーリズムの本質ともいえるでしょう。

4.母子健康手帳の情報ページに「旅行や長距離の移動」を初掲載

乳幼児連れや妊産婦の旅行や移動の環境整備を進める上で、妊産婦に自治体から配布される母子健康手帳に旅行に関する情報がほとんどないことに着目しました。そこで、一般社団法人親子健康手帳普及協会(以下 親子健康手帳普及協会)の「日本の母子手帳を変えようプロジェクト」の活動に賛同し、同協会の母子健康手帳に初めて「旅行や長距離の移動」のポイントを情報ページに掲載させていただくことになりました(写真3)。なお、この手帳は外務省を通じ各国の日本大使館・総領事館などにおいて、海外に居住される邦人の妊婦の方々にも配布される予定で、当社から寄贈させていただきました。

20年をつづる母子健康手帳ポスター

(写真3)「20年をつづる 母子健康手帳」

2016親子健康手帳普及協会ポスター

(写真4)(c)親子健康手帳普及協会、2016

(1)日本で生まれたシステム、母子健康手帳とは

母子健康手帳の制度は、戦後復興のさなかの1948年に始まった日本独自の制度です。1950年から乳児死亡率は大幅に改善され、今や世界一となった背景には、母子健康手帳の制度の貢献が大きいと言われています。手帳は通常妊娠すると所属する市区町村長から渡されるしくみです。手帳には、妊婦や乳幼児に必要な健康育児情報が記載されていると同時に、妊婦自身が産前産後の記録を書き込むことができます。

近年では、外務省やJICA(国際協力機構)の活動により、母子健康手帳の優れたしくみを世界の新興国に広げる活動も成果があがりつつあります。最近ではシリアから欧州に逃れた避難民の数少ない携行品の中に母子健康手帳があったことが報道されています。
親子健康手帳普及協会は、母子健康手帳を日本国内の自治体や開発途上国などの海外に普及させ、国内外の育児環境を改善することを目的に手帳などの製作・販売や、普及のための啓発活動を行っています。今回同協会は、母子保護法に基づきながら、子供が成人した後も既往歴やワクチン接種の記録として生涯の健康維持に役立つよう胎児から20歳になるまでの歳月をつづることのできる「20年をつづる母子健康手帳」を作成しました。(写真4)

(2)母子健康手帳に記載した「旅行や長距離の移動」の背景にあるもの

海外では日本人ほど乳幼児連れだから旅行を差し控えるというようなことはないという話も聞きます。日本では前述の調査からも外出や旅行の機会が減少してしまうことが明らかです。また核家族化が進み、育児中の不安や孤独感から産後うつになる母親が多いことも問題になっています。科学的実証はされていませんが、赤ちゃんと二人きりの生活から解放してあげ、旅行先で夫婦がコミュニケーションをとりあうことで、産後うつの回避につながるのではないかとも考えられます。母子健康手帳での旅と長距離の移動では、「妊娠中」「乳児連れ」「幼児連れ」の3つの時期にあわせて、知りたい情報、配慮すべき点が一目で分かるように記載しました(写真5)。

母子健康手帳より「乳児の旅行・長距離の移動」のページ情報

(写真5)母子健康手帳より「乳児の旅行・長距離の移動」(c)親子健康手帳普及協会、2016

乳幼児連れ及び妊産婦旅行はユニバーサルツーリズムであるという認識は、観光事業者だけではなく当事者や社会全般もまだ希薄です。調査では1~2歳の子供を持つ父親の多くが多目的トイレがなく不便と回答したように、育児を助けたくても物理的環境の整備がまだ立ち遅れている現実もあるようです。一方、当事者だけに留まらず、人々の理解を早急に広めることも必要です。乳幼児連れや妊産婦の旅行支援は、結果的には、高齢者、障がい者への旅行の支援につながります。‘優しさ’は間違いなく、新しい移動機会を創ります。