変化を嫌うことを意識すれば変化できる~思考のクセに気づくことが事業変革の第一歩~

絶えず変化が求められる時代。どうしたら人は、恐れず変化をしていくことができるのか。視座を高め変化のきっかけをつかんでいく道筋について、OKB総研 戦略事業部長の立場で携わった業務の中で、特に鍵となる人材育成の観点から、事例をもとに考察する。

長瀬 一也

長瀬 一也 客員研究員

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目次

私は現在、岐阜県にある地方銀行のシンクタンクに勤務し、地域活性化に取り組んでいる。地域でしか生き残れないのが地方銀行であり、地域を元気にすることが本業である。変化が求められるこの時代をチャンスととらえ、生活者が心豊かに存在できる地域にしたいと日々活動している。
 岐阜県がある東海エリアは強固な産業構造のもとで技術を磨き、効率を上げることで利益を確保してきたいわゆる勝ち組の地域であるために、いざ産業構造を変革しなければならない時期が目の前に迫っていても、過去の経験が邪魔をして変化への道筋を描けない事業者が多いのが特徴だ。仕事がら、多くの若手経営者と話す機会があるが、「変化したくても変化できない」という声も多い。そういった若手経営者に対しては、まずは自らを含めた社員の視座を高める取り組みを提案している。どんなに優れた技術やノウハウを有し、新たな取り組みが成功したとしても、視座が高くなければ再現性は低くなる。
 本編では、人が自分自身の思考の癖を把握して視座を高め、変化へのきっかけをつかんでいく道筋を、私が経験した事例も参考にしながら考察していきたい。

変化を阻害する思考の癖や傾向を認識する

商品/製品/サービスの供給側は、提供する質の向上に努め、需要側の欲求に応え、課題を解決していく。それを極めることで市場での地位を獲得し、ビジネスの世界で生き残りを果たす。そのような供給側の論理で考えていくことに、国内のモノづくり企業、サービス提供企業は慣れ切っている。
 「よいものを作れば売れる時代ではない」「お客様が発した言葉を鵜吞みにして対応したサービスを提供していくだけでは限界がある」と肌で感じているが、新規市場を目指そうにも、今までの思考の癖が抜けずに効果的な手を打てずにいる中小企業は多い。人は自分起点で考え始め、今までの経験を判断基準にしてしまう癖があることを認識しないと、いつまでもその延長線の考えから抜けられない。延長線の考えで生み出された商品やサービスは、一般的に生活者にとって予想できる範囲内であり、機能的であるかもしれないが面白みには欠ける。
 また、人とは面白いもので、商品やサービスで心が動くことを心地よく思うが、今いる安全地帯から自ら動くことは避けたいと思う動物である。特に集団になればなるほど保守的な志向が強まる。人は個人レベルにおいては、本能的に面白いかどうかを判断して商品やサービスを選択しているにもかかわらず、集団になればなるほど面白いものを創り出すことが難しくなるということを理解しておきたい。人の集合体である中小企業が、危機感を感じているにもかかわらず、自ら変化することが難しいのは当然といえる。
 民間事業者だけではなく、地域活性化等の取り組みにおいても同じだ。地域活性化等の取り組みはステークホルダーが多種多様で目的がぶれやすく、変化に対する心理的抵抗がより起きやすい。しかし、そういった思考の癖を理解し、考え方を整理することで、変化へのハードルを下げることは可能だ。

「価値」は自分の中にあるが、評価は他者がするもの

まずは、「価値」について考えてみたい。簡単に「価値」と書いたが、相当奥が深く、本質的なことだ。自分/組織/企業/団体には、どんな価値があり、社会にどのように貢献しているのか。大事なのは「社会にどのように貢献しているか」であり、価値は他人が評価すべきものなのに、どうしても自分起点で考えてしまう。
 「自分には特別な技術がある」「自社には優れた人的リソースがある」「我々には永年築き上げてきた信頼がある」など、自分(達)の強みをベースにして、それを生かせる世の中のニーズを探し、商品やサービスにすることは、ある意味ロジック的でわかりやすい。思考の起点や経路が理解しやすいため、同じような道をたどる同業他社、他地域も多いだろう。間違った手法ではないものの、生み出された商品やサービスはコモディティ化しやすい。それを避けるためには、あくまでも、評価する側の他人(需要側)の視点で自分たちの価値を見なければならない。
 経済産業省、特許庁の行政機関や多くの民間企業が「デザイン思考/デザイン経営」を重要視しているのも、まさに需要側の観点を経営方針に取り入れないと、独りよがりの経営になることに気づいたからである。自社が存在することで、社会のどのような課題を解決してきたのだろうか、生活者にどのような喜びを提供してきたのだろうか。また、この先どんな価値を提供していきたいのか。商品やサービスの提供側は常にその視座でいたい。

「機能的価値」と「意味的価値」

価値を考えていくうえで、「機能的価値」と「意味的価値」に分けて考えていくと整理しやすい。
 「機能的価値」とはまさに文字通りである。自動車を例に出すと、自動車によって「早く」「安全に」「快適に」移動できることは機能的価値である。一方、意味的価値はその自動車が一流ブランドとすれば、「オーナーであることの誇り」「オーナーメンバーシップへの参加」などがあげられる。
 機能的価値の役割は、顕在化した課題の解消であることが多く、ネットの発達等によってテクノロジーの民主化が進んだ現在では、既に存在する技術や商品の組み合わせにより、多くの課題を解決できてしまう。そのため、機能的価値のみの高度化だけでは、コモディティ化の渦から抜け出すことは難しくなる。
 そこで「意味的価値」が重要になる。先日、三重県伊賀の窯元に伺い、8代目当主の話を聞く機会があった。耐火性、蓄熱性に優れた伊賀の土で作った炊飯用土鍋の人気があることは承知していた。当主を待つ間、窯元に併設されたショップで商品を見て待機していた。その後、当主が土鍋の機能的価値を詳しく説明しながら、伊賀の土の良さを本当に誇らしげに語られ、最後に「私たちは、家族や親しい人と食卓で土鍋を囲む文化を作っているのです」と話された。私の脳内でその光景が映像化され、帰りに土鍋を買っていくことを一瞬で決断した。おそらく、機能的価値だけの説明では、他の産地の土鍋との機能比較ができるまでは購入に至らなかった。当主から直接、意味的価値の説明を聞いたことで、「この土鍋で家族団らんしたい」と心が動き、その瞬間に後戻りできない状況になっていた。
 機能的価値だけではなく、意味的価値を相手に表現していくことの重要性に関して、多くの方は「そんなことは分かっている」と思われるのではないだろうか。ただ、意味的価値を言語化して伝えることは簡単なようでなかなか難しい。

「自分起点」「現状維持バイアス」との闘い

前述したが、人は自分起点、供給側の視点で考え始める癖がある。「価値」を考えるうえで、評価をするのが他人であるにもかかわらず、自分起点で機能的価値を中心に考えることは本質的に正しくない。土鍋と電気炊飯器との機能的価値での勝負において、手間や便利さとおいしさを比較した結果、ほとんどの家庭で電気炊飯器を選択しているのが現状である。土鍋が機能勝負を電気炊飯器に挑むのであれば、ほとんど勝てないだろう。ただ、炊飯用土鍋には、炊き上がった後に土鍋を食卓の真ん中において、それを家族で囲んで食事をするシーンを提供することができる。電気炊飯器が食卓の真ん中にあっても様にならない。「シーンを提供する」ことが目的で、その手段として「炊飯用土鍋」があって、囲む家族が笑顔になるために「おいしさ」を追求している。それが窯元の思いであり、炊飯用土鍋の「意味的価値」である。自分起点からいかに脱却するか、こだわりはなくすべきだと言っているのではなく、「評価、共感を得るためにどうこだわるか」という視点が大切である。
 また、変化を避け、現状維持を求める現状維持バイアスという厄介な心理傾向も人にはある。例えば、OKB総研のコンサルティング部門が、営業力に課題があるという中小企業に対し、他社で効果的に運用している営業手法を提案したとする。よくある反応として、「そのような営業の管理手法が効果的なのはよくわかるが、ウチの業界はちょっと特殊なので当社には合わない」というコメントをいただく。この短いコメントに「ウチの業界はちょっと特殊」「当社には合わない」という全く根拠がない2つのセンテンスがあるのだが、発言した当人は至極当然のことを言っている意識しかない。自分の経験で判断してしまうのみならず、組織が経験してきたことも自分が経験したかの如く認識して判断材料に入れてしまうことが少なくないのである。自分が論理的に正しく判断しているという安心感を得たいために、実は全く根拠がないことを正当化してしまうこともあるという思考の癖を認識すべきだ。
 炊飯用土鍋の開発にあたり、「今の家庭は共働きが多く、食事を作る時間や片付ける時間はできるだけ短くしたいはず。放っておいてもスイッチ一つでご飯が炊け、洗いやすいものが良いはずで、炊飯用土鍋を使う家庭は時間にゆとりがあるか、料理好きの人がいるかのどちらかだろう」という発言になびいてしまうのは、思考の癖なので仕方がない。ただ、癖の存在を理解すると、この発言は癖によってもたらされただけで、決して正しいわけではないということが理解できる。スイッチ一つで炊ける、予約できる、超軽量タイプで割れにくい土鍋にこの窯元はチャレンジし続けているはずで、私が購入した土鍋も、試作に試作を重ね4年の開発を経て、誰もが失敗なく簡単においしく炊ける機能的価値を手に入れている。重くて割れるという課題は解決できていないため、機能的価値は電気炊飯器に劣るかもしれないが、意味的価値を加えた比較で多くの購入者、ファンを獲得している。「より多くの家庭で炊飯用土鍋を囲んで笑顔で食事をしてほしい」という思いから、商品開発、プロモーション、販路整備を進めた8代目は、「自分起点」「現状維持バイアス」と闘い、もがき苦しみながら進んでこられたのだろう。

高い視座を獲得すると、進化のスピードは加速度的に上がる

視座を高めることのたとえ話でよく引用されるのが、イソップ寓話の「3人のレンガ職人」である。レンガを積む同じ作業をしている3人の職人にそれぞれ「あなたは何をしているのか?」と聞いたところ、1人目は「レンガを積んでいる」、2人目は「大きな壁を作っている」、3人目は「歴史に残る大聖堂を建てているのだ」と答えたという寓話である。同じ作業でも、視座の違いにより、モチベーションも変わってくるというたとえ話である。
 社員の視座を高め、自ら考えることができる組織づくりの成功事例に関わらせていただいている。自動車メーカーの下請け企業で、エンジンルームに使う厚くて固い鉄板を切ったり曲げたりする技術を持ち、現在はとても忙しい毎日を送っている40代前半の社長から、「このまま改善改良を続けていても未来を見通せない」と相談を受けた。ここはEV化が進むと、エンジンルームそのものがなくなり、いわゆる仕事が蒸発してしまう可能性がある企業だ。ただ、目の前は忙しく、業務をどう回していくかで社員一同四苦八苦している。「このままでは、いつか大変なことになると思っていても、動き出せない。どうすればよいか。」という相談だった。
 OKB総研は、ものづくり企業を中心とする地場産業とクリエイティブ領域を接続するための拠点「FabCafe Nagoya(ファブカフェナゴヤ)」をロフトワーク(東京都渋谷区)と共同運営しており、同所を活用して新領域にチャレンジしたいというのが社長の思いだった。分厚い鋼材を切ったり曲げたりする技術を使って一般消費者向けの新商品を開発できないか、何度か打合せを行ったのだが、どうもしっくりこない。それは私を含むFab Cafe Nagoyaのメンバーだけではなく、社長や企業担当者も同じ思いだった。
 そこで、仕事が好調な今、社長をはじめ社員の皆さんに高い視座を持つためのトレーニングを提案した。異分野から外部メンターを3人招聘して、工場内ツアーを実施した。いつも何気なく見ている製品や端材に対し、外部メンターが思いがけない感想を口にすることに、参加した15人の社員はとても驚いたという。その後、外部メンターも一緒に、飛騨で1泊2日の合宿を行った。鉄を使って社会的に意味がありそうなことのプロトタイプを作ることを合宿のミッションとした。飛騨では、広葉樹の森を見学し、製材所、加工所をツアーで回り、バリューチェーンを肌で体験し、ものづくりにおける価値の循環を改めて考える機会となった。
 普段、ものづくりに関わっている15人の参加者だが、自分の行っている仕事が人々のどのような役に立っているかをあまり意識することがなかったという。自分たちの価値を問い直すきっかけとなり、その価値を最大限発揮するためには、まずは社内業務プロセスを改善すべきという結論に至った。普段から生産性向上に取り組んでいる会社であり、今までいくつもの改善案が出たはずではあるが、今回は複数の部門に共通する改善案であり、少しでも確実に視座が上がった瞬間であった。
 トレーニングプログラム終了後、変化はすぐに起こった。デザイナーと社員20名程度が協働するプロジェクトを組成し、「会社にあったらいいな」を実現するために、今まであまり使われていなかった休憩室を新たなコミュニティ促進ルームに変えていった。それにより会社の中での交流が促進され、ある社員は「日曜日の夕方がブルーじゃなくなった」とコメントしている。社長は、「否定するのではなく、まずはいったん受け入れる文化が醸成されてきている」と言っており、私自身も何度もこの会社に訪れたが、その雰囲気を強く感じた。この空間で実施する採用面接は、採用率が高まっているという。老朽化した別工場の移転も重なり、新しい工場のコンセプトは「オープン」とのことである。驚くほど変化、進化しているこの会社だが、これは最初のトレーニングプログラムが始まってからわずか2年の出来事であり、思考の癖を把握し、高い視座を獲得すると、変化や進化のスピードは加速度的に上がっていくことを、私は目の当たりにした。

地域活性化には人材育成が必要

これは、一民間企業での出来事だが、行政や企業等の連合体などでも同じことがいえる。特に複数のステークホルダーが関わる場合、どうしても目先の事の話に終始しがちである。「我々はどんな人にどんな価値を提供したいのか」という目的を見失わず、思考の癖を意識しながらチャレンジしていく人材が増えれば、どの地域でも活性化の道筋を描くことができるはずだ。そのためには、まずは人材育成が重要だ。紹介した企業もわずか2年の変化であり、人が変わるのは、思うよりあっという間なのかもしれない。