主要国首脳会議・サミット誘致

【MICE Japan 2014年9月号より再掲】2016年に日本開催の予定である主要国首脳会議。国際会議の王道ともいうべきサミット誘致について、今回のG7となった経緯や国際情勢等を見据えながら考察する。

太田 正隆

太田 正隆 主席研究員

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目次

主要国首脳会議・サミット誘致

2014年の主要国首脳会議は、ロシアを除く7ヶ国でベルギーにおいて開催された。1975年に第一回が開催され、以降加盟国の持ち回りで開催されることとなった。当時は先進国首脳会議という名称であった。当時は、まだ東西冷戦下でありドイツは東西ドイツが存在したが、冷戦後の1991年以降、ロシアが部分的に参加するようになり。ロシアは1998年から正式メンバーとなり名実共にG8(Group of Eight)と呼ばれるようになった。日本は、1979年(東京)、1986年(東京)、1993年(東京)、2000年(九州・沖縄)、2008年(北海道・洞爺湖)と開催実績がある。次回は2016年に日本開催の予定である。国際会議の王道ともいうべきサミット誘致について、今回のG7となった経緯や国際情勢等を見据えながら考察する。

2000九州沖縄サミット・万国津梁館各国首脳記念サイン

2000年サミット万国津梁館エントランス風景

サミット

1975年、フランスのジスカールデスタン大統領の呼びかけで、アメリカ・フランス・イギリス・ドイツ・イタリア・日本の6か国の首脳が参加し、フランス・ランブイエにおいて石油危機以降の世界経済等について討議するため開催された。翌1976年にはカナダが加わり7ヶ国で構成され、以降毎年開催されている。1998年以降はロシアが加わりG8 となった。開催地は加盟国の持ち回りで開催され、2014年はロシアのソチ(2014年ソチオリンピック開催地)であったが、ベルギーに変更された。また、2年後の2016年には日本開催が予定されている。当初は経済の回復及び持続的拡大、通貨、貿易、エネルギー、南北問題、東西関係等が討議されたが、ハイジャック、石油問題から旧ソ連のアフガニスタン侵攻など次第に政治的な議題も多くなり、平和や軍縮など多岐に渡る内容となってきた。首脳会合に加えて、閣僚会合として外相会合、蔵相会合が別途開催されるようになり、議題に応じてその他の閣僚級会合も開催される形態となっていった。

テーマ

1970年代は石油危機に端を発して世界経済から始まり、貿易、エネルギー、南北問題、東西問題、ハイジャックやインドシナ難民問題など。1980年代には、ソ連のアフガニスタン侵攻に端を発した周辺国への難民とインドシナ、アフリカ等の難民問題、外交官人質問題など。また、ハイジャックと国際テロ、レバノン・イスラエル国境地帯紛争、イラン・イラク紛争。1986年に起こったチェルノブイリ原子力発電所における事故と原子力利用とエネルギー問題、薬物とエイズ撲滅のための国際協力など。1988年には南アフリカのアパルトヘイト問題、カンボジア、中東問題、天安門事件等の国際紛争、人種問題等の政治宣言や声明が多かった。1989年には、ハンガリーで発生した汎ヨーロッパピクニックによりベルリンの壁が崩壊。

1990年に起こったイラクのクウェート侵攻に対する多国籍軍(国連軍)の編成と翌年の空爆、1991年末にはソビエト社会主義連邦が崩壊し、東西冷戦が消滅しイデオロギーの東西対立から解放された。1992年にブラジルで開催された「環境と開発に関する国際連合会議(UNCED、地球サミット)」について、大気汚染,酸性雨、水質汚濁,廃棄物等に対する持続可能な開発等で一致。合わせて、同会議で批准された気候変動枠組条約(UNFCCC)は、その後1995年から開始された「気候変動枠組条約締結国会議COP」が、1997年京都に於いて「第三回気候変動枠組条約締結国会議・COP3」の誘致に至り有名な「京都議定書」へと続いている。1997年に始まったアジア通貨危機、その影響で日本における日本長期信用銀行や日本債券信用銀行の国有化、ロシア通貨危機、ブラジル通貨危機などへ続いたことに憂慮。1997年にはロシアが正式メンバーとなり「G8」となる。

2000年の九州沖縄サミットにおいて、紛争予防に関する包括的アプローチの採択を採択。紛争を予防する主たる責任は紛争の直接の当事者にある一方,紛争予防は,国際機関,地域機関,各国,財界,NGO,個人を含む国際社会全体を巻き込む共同事業である、として紛争予防にはNGOや個人をも巻き込む共同事業であると言及している。また、非同盟/G77等の代表もサミットに合わせて集まり会合を持ったことが特徴である。

新しいテーマとしてグローバルな情報社会に関する沖縄憲章の採択の中で情報格差(デジタル・ディバイド)の解消、国際格差に解消、世界的な電子商取引ネットワークへの参加の奨励についても言及している。以降、国際金融システムの濫用への取組みの中でマネーロンダリング、タックス・ヘイブンや有害税制など現代に通じるテーマを取り上げている。2001年のニューヨークにおける911テロ、これに続く大量破壊兵器及び物質の除去やテロとの対決を目的とした「テロと闘うための国際的な政治的意思及び能力の向上」等のテーマ。

また、改めて「水問題」にも言及、これは1997年モロッコ・マラケシュで開催された第1回世界水フォーラム(三年に一回開催)から、2003年京都で開催された第3回世界水フォーラムへ続いている。

アフリカにおける飢餓、海洋環境とタンカーの安全、大量破壊兵器の不拡散、ガザ撤退及び中東和平、ロンドンに対するテロ攻撃、気候変動,クリーン・エネルギー,持続可能な開発、世界のエネルギー安全保障、感染症、知的財産権の海賊行為及び模倣行為、森林違法伐採、新・ゴミゼロ国際化行動計画‐3R、生物多様性、気候変動G8アクションプラン、ラクイラ地震、水と衛生などと続く。

2010年のトロントサミットにおいて、国際経済協力に関する新たな役割として最初のG20サミットが開催された。G8では変わらず紛争、食料安全保障及び栄養、不拡散及び軍縮、エネルギー及び気候変動など。2014年春のロシアのウクライナに対する対抗措置として、G7はソチサミットには参加しないこととし、改めて6月にベルギーでEU主催、ドイツ議長国としてG7で開催し、世界経済、エネルギー、気候変動、開発等の他に、ウクライナ、シリア等の紛争地域問題等をテーマとした。

長くなったが、普遍的なテーマとしては今回のサミットでも議題としている世界経済、エネルギー、ウクライナ、シリア等の紛争地域問題、テロ等が古くからあるが、1990年以降では気候変動、疾病、環境などサミットでテーマに挙げられたことが、そのまま実生活にも密着したテーマであり、全国のコンベンションビューロー、コンベンションセンター、ホテル、PCO、旅行会社の方々にとっても必ずテーマの一つ以上は仕事として関与して経験があるのではないだろうか。

世界がグローバル化するということは、身近なテーマとなる可能性が高いということである。MICE産業に携わる場合、サミットで取り上げるテーマにも興味を持つ必要があるということである。

首脳会合開催地と会場

サミットは2014年で40回を迎えた。当初はG6で始まり各国首脳だけの小さな会合であり、外相や蔵相の会合はないに等しい規模であった。また、1999年(25回)までは、各国の首都又は主要都市、いわゆる大都市かその周辺で開催されていた。会場も古城や宮殿、ホテル、首相官邸、会議場、美術館、図書館、公共施設等多様な施設を利用していた。

日本においては、初めて迎えた1979年以来、1986年、1993年と東京四谷の迎賓館を使用している。

大都市の場合、厳重な警備の他や多くの通行規制、公共交通の規制など都市生活者には多くの不便を強いることとなった。東京で開催されたサミット時には、プレスの輸送等に若干関与した記憶があるが、それ以上に厳重な各種規制にうんざりした記憶がうっすらとある。

1995年のハリファックス(カナダ)サミットあたりから、首都以外の地方都市で開催される傾向が見られた。イタリアはベネチア(サン・ジョルジョ・マッジョーレ島)で1980年、1987年と連続して同じ開催地、イギリスはロンドン(ランカスター・ハウス)で1984年と1991年、ドイツはボン(旧首相官邸)で1978年と1985年、日本は東京(迎賓館)で1979年、1986年、1993年と同じ会場で開催。

カナダ、米国、フランスは過去すべて開催都市と会場は異なっている。宮殿又は古城は7か所、会議場は3か所、その他首相官邸、美術館、図書館、大学等も利用されている。

(出所・外務省等のデータを参考に筆者作成)

2000年以降は海浜リゾートや山岳リゾートに立地されたにホテルに集中している。これは2001年のテロの影響により、警備が困難な大都市部を避けて「リトリート会議」と言われるリゾート地での開催により、比較的警備がやり易いことが理由と言われている。日本では2000年の九州・沖縄サミットに続き、2008年には北海道・洞爺湖サミットとして、東京以外での開催を行った。

誘致

2008年のG8では、全国で10箇所以上の都市がサミット誘致に名乗りをあげ、2006年から外務省と連絡を取りながら「サミット開催候補地調査表」等の詳細なデータを作成するために、自治体やコンベンションビューロー、PCO等が一体となって提案書等を作成し準備に励んだが、結果は北海道・洞爺湖開催で決定した。特徴的な誘致活動として、1868年の日米修好通商条約で開港五港の1つとして指定された横浜と新潟が「首脳会合は横浜で、大臣会合は新潟で!」と一体的な誘致活動を行ったことと、「関西サミットとして首脳会合を京都又は大阪で、閣僚会合は京都、大阪、神戸で!」と京都、兵庫、大阪の県知事と自治体市長らの連名で広域連携誘致を行っていたことが記憶に新しい。結果は、以下のような開催地となった。

連携して誘致に臨んだ横浜、新潟、京都、大阪、神戸はすべて閣僚会合の誘致に成功したが、強く求めていたサミット本体は洞爺湖にもっていかれたという印象が強い。また、目立った誘致活動を行う間もなく、開催地として決定した自治体もあった。会議場となる施設と求められる性能、首脳や閣僚の宿泊場所、関係者の作業室、空港等のアクセス、その他環境への配慮、住民への配慮と協力、多くのプレスの訪問、その他多くの項目について調査・検証等を行い、体制や各種リスクの評価やその対応策など数え上げればきりがないほど多い。

まとめ

メディアの報道等によれば2016年のサミットには、既に横浜、神戸、福岡、軽井沢等が相次いで開催地として手を挙げている。開催地としてクリアすべき課題は多くある。開催地の傾向として「リトリートRetreat」(隠れ家、避難所、隠居等の意)、大都市ではないことが挙げられる。但し、日本の場合には空港と会場のアクセスや宿泊施設等を考えると、必ずしもリゾートばかりではないと思われる。しかしながら、洞爺湖の場合にはホテル近くに緊急用の臨時ヘリポートを作ることもしていたので、必ずしも空港とのアクセスを解決できない訳ではないが。最近では、各国において警備を始めとしたさG8開催に係る莫大な費用負担や市民生活への影響などにも批判があることは否めない。過度な投資をすることなく、既存の施設や環境を充分に配慮したG8が開催されることを望む。特に、誘致をする自治体やコンベンションビューローについては、外務省が求める施設や機能など各種の要求仕様について、地域が持っているポテンシャルなどについて改めて棚卸を行い見直すチャンスでもある。日本におけるMICE分野で、地域において市民生活と密着した形の国際会議は多くない。首脳会合だけではなく、各種の大臣会合においても、前述したような実生活と密着したテーマも多く、オリンピックだけはなく世界に目を向けるチャンス、サイドイベント等で地域と世界とが接する大きな機会でもある。

参考