旅心を誘う食の魅力~食で地域活性化に挑む山形県庄内の取り組み

おいしそうな食べ物はそれだけで人を惹きつける。特に国内旅行の場合、お風呂(温泉)とともに食事は大切な要素であり、その土地ならではの味わいを楽しむことが旅の目的という人も少なくない。今回は食を生かした地域活性化と地域ブランドづくりを進める山形県庄内地方の取り組みに注目してみた。

斎藤 薫

斎藤 薫 主任研究員

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山形県北西部、日本海に面し酒田、鶴岡両市を中心に広がる「庄内」。江戸の頃には廻船の寄港地として繁栄し、今は藤沢周平の小説の舞台「海坂藩」として全国的に有名となったこの地で、食をキーワードにした地域活性化事業が2004年から行われている。題して “食の都庄内”。「庄内」はもともと日本海の魚と美味しい米で知られた豊穣の地である。この地の多彩な食の魅力をもっと多くの人に知ってもらいたい、そんな想いからブランド作りとPR事業が始まった。

山形県庄内総合支庁産業経済部産業経済企画課を中心に、産官学連携で庄内産食材の育成や、認知度アップと多様な販路拡大を図っている。興味深いのは、庄内という地域の打ち出し方である。「山形県」では少々個性が薄く、「鶴岡市」や「酒田市」といった行政単位では情報発信力が弱い。山形県には気候風土の異なる4つの地域があるが、「庄内」という単位は気候風土や人々の気質などが似通っており、特に自然環境や食文化の影響を受けやすい「食」で地域おこしを考える際、とても理にかなった単位と考えられる。また、県が”食の都庄内”親善大使に3名の料理人を委嘱していることもユニーク。行政が観光大使を任命するのは少なくないが、食に特化した例は珍しい。彼らは料理人のネットワークを通じて、首都圏のレストランに自慢の庄内産の食材を提供し、その素晴らしさを伝える。また山形大学農学部とともに貴重な在来作物の価値を生産者自身に再認識してもらうなど、食のプロが料理を通じて地域の内外に魅力の伝道師としての役割を果たしている。

親善大使の奥田政行氏は、こうした活動を自発的に行ってきたキーマンのひとりである。東京で修業中、庄内の野菜の素晴らしさに目覚めた奥田シェフは、2000年春、30歳の若さで故郷鶴岡市に戻り、イタリアレストラン アル・ケッチァーノを開業する。以来、産地を歩きながら、魅力的な庄内の食材の発掘や伝道に意欲的に取り組んできた。例えば、旧羽黒町(現鶴岡市)の羊を面識のない東京の有名シェフの店に持ち込んだところ、その羊が今では定番メニューとなり出荷量が3年で5割増になったという。また、地元の味として欠かせないものの、産地ではそれほど評価されず作り手も消滅しかけていた在来作物を、積極的にレストランのメニューに活用。最近では、在来作物の「宝谷かぶ」を守るため蕪主(かぶぬし)募集という取組みにも参画するなど、奥田シェフの熱意とフットワークの軽さが強力な推進力となって様々な人々を動かし、現在の行政の動きにもつながっていく。

こうした地域に眠る魅力的な食材をブランド化しPR活動を続けることは、食材の流通による経済効果のみならず、その魅力に誘われて庄内に行ってみようという旅人の開拓にもつながっていく。実際アル・ケッチァーノは、今では予約の取りにくい人気レストランとして全国から人を集めるが、地元の食材にこだわった本格イタリアンの存在は、和食だけにとどまらずその土地ならではの味わいを生かした新たな美味しさを旅行者に提供。飽きない食の楽しみは、連泊需要やリピーターの呼び込みにもつながるだろう。何よりも心理的な影響は大きく、プロの料理人が地元の産物にほれ込み、その土地に店を構え、その料理を食べるために遠方からお客さんがやってくる。その事実が生産者のやる気をひき出し、地域の人々にわがまちに対する誇りと自信を取り戻させている。

2008年で5年目を迎えるこの取り組みは、現在、次のステージへと向かっている。2009年秋にJR東日本の「新潟デスティネーションキャンペーン」が予定されている。羽越本線で結ばれた「庄内」も事業の対象地域となった。いよいよ”食の都庄内”を前面に打ち出した観光推進が実施される。地域に想いを持った人々や産業がつながり始めた今、広域連携によるさらなる効果にも注目したい。

<参考>
<資料1>「食の都庄内」のホームページ
「食の都庄内」のホームページ 

<資料2>
四季折々の自慢の食材を紹介した「食材カレンダー」 「食の都庄内」親善大使監修