これからの文化財観光 ~世界遺産登録に向けた取り組みを通じて~

2012年、平泉が世界文化遺産に登録され、続いて富士山、長崎、富岡製糸場と国内の文化財が世界遺産登録の列に並んでいる。文化財が、そして文化財を有する観光地が世界遺産になったとき、なにがどのように変わるのか?地域の宝が世界遺産になることの功罪を検証し、世界遺産に翻弄されずに地域の核にしていくための地域の取り組みを探る。

河野 まゆ子

河野 まゆ子 主席研究員

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目次

現在、日本には16の世界遺産がある。その内訳は、文化遺産12、自然遺産4である。国内外の世界遺産巡りを趣味としている旅行者も多く、海外旅行のパンフレットにも「○○国の世界遺産を全て巡る」などのキャッチフレーズを見掛ける。世界遺産は、国際的な枠組みのもとに保護継承すべき貴重な人類の遺産であるとともに、地域経済を潤す可能性を秘めた観光資源でもあり得る。
世界遺産に加え、「暫定リスト」と呼ばれる、今後正式に世界遺産登録に向けて体制整備と各種調整を推進していくことが決定している物件が12件存在する。

日本の世界遺産登録は、少なくとも国内では観光地としても、また文化財としても抜群の評価と認知度を有している物件から開始された。現在世界遺産登録を目指して暫定リストに登録されている物件の中には、国内における認知度が必ずしも高くないものもある。言い換えれば、観光地としての認知度やインフラ整備が充分とは言えないものの、文化財としての価値評価が高い箇所が選定されているということだ。

■世界遺産登録物件 暫定リストの一覧

暫定リスト
掲載年
物件名 特徴
1992年10月 武家の古都・鎌倉 かなり以前から登録に向けた活動や研究を続けてきた。その活動が実り、いよいよ2014年に審議のはこび
1992年10月 彦根城 建築的な価値は高いものの、国内に「姫路城」という強力な同種の既存物件があるので、差別化が重要なポイント
2007年1月 富岡製糸場と絹産業遺産群 ここで作られた絹が世界中に流通した、という「世界を舞台とした産業交流」で高い技術とスケール感をアピール
2007年1月 長崎の教会群とキリスト教関連遺産 長崎の教会群:西洋発祥のキリスト教文化が極東の果てまで辿りついたこと、日本的解釈でミックスされた文化の証拠となる建築がたくさん残っていることが魅力
2007年1月 飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群 通称「飛鳥法」のもとで丁寧に景観を守り続けてきた体制・条例の有効性もアピールポイント
2007年1月 富士山 自然遺産の登録を当局に却下されたので、文化遺産として再チャレンジ。芸術、思想、文学に多大なインスピレーションを与えた点がポイント
2007年9月 ル・コルビュジエの建築と都市計画 地域や国の境を超えた世界遺産群として注目が集まる
2009年1月 北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群 4都道府県に跨った縄文遺産群。日本初の「古代遺跡」の登録に向けて注目が集まる
2009年1月 九州・山口の近代化産業遺産群 鉄、炭鉱、造船をフックに、重工業を基軸とした産業遺産と文化交流にフォーカスし、富岡制市場との差別化を行う
2009年1月 宗像・沖ノ島と関連遺産群 アジアとの結節地点の特性を生かし、一時代を代表する遺産ではなく、500年に渡る「祭祀の変遷」にフォーカスした珍しい事例
2010年11月 百舌鳥・古市古墳群 仁徳天皇陵を核とした膨大なる古墳群を通じて、古墳時代の文化価値を提案。保存に関する宮内庁との協働体制も画期的
2010年11月 金を中心とする佐渡鉱山の遺産群 金山技術の先進性・アジアへの技術移転・国際経済への影響等、現代にも繋がるスケールの大きなテーマを切り口とした産業遺産

暫定リストの物件がめでたく登録に至ったとしても、殆どの世界遺産において、観光という側面で見た場合の“世界遺産登録ブーム”は一過性のものである。
例えば「日光の社寺」のように、登録翌年の観光客数は約35%の伸びをみせたが、その翌年には登録年の観光客数と同程度となり、ブームが僅か1年で終了したケースもある。観光地が世界遺産の看板を得ることは、認知度の低かった観光地の知名度を高める一方で、観光客の増減に伴ってもたらされる功罪にさらされることでもある。とりわけ、その文化財が人の生活と密着した性質のものであるほど、「罪」の側面にスポットが当てられるケースが多い。
中国の麗江旧市街の危機が顕著な例だ。この街は少数民族ナシ族の築いた生活文化が価値の核であるのだが、世界遺産観光地を「金のなる木」と見做した漢族が流入した結果、地域経済(物価)は混乱し、水環境や景観は破壊され、価値を底支えするナシ族の暮らしや文化の維持そのものが危うくなっている。世界遺産に登録されれば色々と安泰、というわけには決していかないのだ。

※地方自治体発表数値をもとに株式会社JTB総合研究所が算出

■登録の翌年を100とした際の世界遺産観光地入込数の推移

※地方自治体発表数値をもとに株式会社JTB総合研究所が算出

そこで、これからの世界遺産登録推進に向けての課題となるのが、世界遺産登録推進運動を通じて、地元における文化財保護の意識を高めることと、文化財の保護体制と親和性の高い観光地としてのインフラおよび仕組みの整備を整えることである。現在、世界遺産登録を積極的に推進している暫定リスト掲載物件の中から、いくつかの事例を紹介する。

1)百舌鳥古市古墳群

課題:

  1. 点在する古墳群を繋ぐ交通網が未整備
  2. 古墳の中に入って見学することができない
  3. 古墳に関する知識は広く知られているわけではなく、価値・意味がわかりにくい

世界遺産の本来の意義は、その価値を人類で共有し、「みんなで保存する」機運を高めることにある。堺市・羽曳野市・藤井寺市および大阪府は、百舌鳥古市古墳群の課題である入場見学ができないことや、それに伴い古墳に関する知識や文化的価値の伝達が困難であることに対して、積極的な取り組みを開始しようとしている。

現在、堺市の公式ホームページに掲載されている空から古墳群を見たCG動画をさらにパワーアップし、「現実以上に臨場感のあるフィクション」を活用した価値伝達の仕組みを検討している。同時に、広範囲にわたる古墳群エリアに複数のキーステーションを設け、旬の情報発信やインタープリターの手配などが可能な体制の構築を推進中である。百舌鳥古市古墳群は、文化財の特性上の“見えにくさ”“わかりにくさ”を逆手にとり、現実に目に見える風景に頼らない新しい魅せ方を提案できる可能性が極めて大きい物件であると言える。そして、紀伊山地の霊場と参詣道、および石見銀山で推進している「地域住民によるインタープリテーション」の体制づくりを通じ、地域と来訪者それぞれに物件のファンを生み出していって欲しいと考える。

2)長崎の教会群とキリスト教関連遺産

課題:

  1. 人口減少等により、教会を管轄する神父の数が極めて少ない
  2. 観光資源となり得る教会は、地域信者にとっては日々の信仰生活の場である
  3. 文化財としての価値と、巡礼地としての価値が必ずしも一致しない

長崎のとくに島嶼地区においては、住民の人口減少および高齢化に伴い信者数が減少傾向にある。聖職者の数も少なく、一人の神父が島内の複数の教会を掛け持ちで担当している。つまりは、日や時間帯によっては無人となる教会が多く存在する。管理者が常駐しなくとも聖堂の中に自由に入館できる教会もあり、自然災害・人的災害に関わるリスク管理という面では非常に脆弱な環境に置かれている。また、神父や管理者が不在ということは、教会の価値や意義を来訪者に伝達できる人材がいないということでもある。この状況では、来訪者の文化理解を助けることも、インタープリテーションを通じて地域住民が自らの文化に誇りを持つことも促進できない。長崎県はこれらの課題解決に向けて、教会に常駐し施設管理するとともに、来訪者にインタープリテーションを行う「教会守」の設置検討を進めている。

長崎のキリスト教遺産は巡礼地としての認知も高く、海外からも巡礼者が訪れる。しかし、文化財保護法に準拠する世界遺産としての価値と、聖地・巡礼地としての価値は全く異なる。文化財観光を目的に訪れる観光客と、巡礼者それぞれを対象としたプロモーションツールや諸注意を含めた伝達事項、および行程について官民の協働で検証をすすめている。地域信者の信仰生活が乱されることなく、且つ巡礼者と地域信者の交流を促進し、地域信者の信仰や誇りを高めることができる仕組みが構築されることを期待している。

これらの事例にみるように、近年の世界遺産登録推進事業においては、地域の文化財を守るのは地域住民とそこを訪れる人の双方であることの認識に立った仕組みづくりを推奨している。従来のように、「見る人」「見せる人」の役割が分断されていると、地域は文化財を重要な資本として捉えることはできるが、地域の精神的なアイデンティティの核として実感することが困難になる。文化財が地域の人々の気持ちを繋ぎ、文化財とそこを訪れた来訪者とを地域の人々が繋ぐ。そして、その価値や魅力を知った来訪者が、他者にその体験をシェアしていく。「人」に力点を置いた文化財観光の仕組みづくりの活性化が、ひいては地域の文化財を後世に継承していくための鍵となる。