ニューノーマル時代に見直される「五感で味わう旅」のリアル

本コラムは、文化資源学会「文化資源学 第19号(2020年度)」(2021年6月30日発行)に掲載された原稿を、許可を得て再掲するものです。

河野 まゆ子

河野 まゆ子 執行役員 地域交流共創部長

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目次

新型コロナウイルスの影響によって、世界中の多くの人が、経済的な負担、生活の変化などに伴う大きなストレスを1年以上に渡り受け続けている。旅行の動機として、「非日常体験」や「リフレッシュ」が必ず上位に挙がるが、気晴らしのためにお出掛けすることも叶わない。そのような状況下で様々なサービスが生まれ、新たなニーズが生まれた。とはいえ、「新たなニーズ」は、衛生管理側面のことを除き、緩やかな市場ニーズの変化をコロナ禍が激的なスピードで後押ししたために顕在化してきたものであるという側面が強い。

1.若年層と熟高年層に支えられた2020年の国内旅行

JTB総合研究所は、2020年2月から2021年1月にかけて、国内消費者を対象としたインターネットアンケート調査を実施し、新型コロナウイルスに対する意識や、旅行に対するニーズを定点的に追いかけた。
 最初の緊急事態宣が発出された昨年4月から12月までの旅行実施率は36.0%で、20代、30代の比率が高い。60歳以上のシニアの実施率も高く、特に女性60代は32.4%と、10~12月の期間に復調に転じた。要因には、60歳以上の多くが既に定年退職を迎え、新型コロナウイルスによる所得減の影響をあまり受けていないこと、10月からGoToトラベルキャンペーンに東京都が加わり対象も全国に広がり、金銭的なお得感と旅行ができる“お墨付き”が得られたことがあると考えられ、そこに秋の旅行シーズンが重なったということだろう。
 一方、女性40代の4~12月の旅行実施率は26.5%と性年代別で最も低く、男性40代も10~12月の旅行実施率が前期から減少している。子育てや仕事で多忙なうえ、教育費などで出費がかさむ時期であることや、女性40代は非正規雇用の割合が高く、コロナ禍による雇用環境悪化の影響が大きいことも理由と考えられる。

2.「衛生対応」へのニーズは一般化し、防災と同様の基礎的対策になるか

施設の感染防止対策への具体的な意向は、ほぼすべての項目で6月・9月調査よりも12月調査における比率が高い。「使い捨てアメニティの提供」や「個室での食事・部屋食」、「露天風呂付き客室・貸切風呂」へのニーズの高まりが顕著で、他者との接触を避けたい意向が強まっている。一方で「感染症対策において第三者機関の認定を得ていること」の伸びは殆どなく、消費者は「第三者による認定」よりも、自身の目で見て具体的に確認できる項目を重視していると考えられる。今後、衛生への対策は、防災対策と同様に、基礎的なものとして認識される可能性が高い。
 近年の宿泊市場の潮流として、ゲストハウスや月額制で泊まれるサブスクリプション型住居サービス、農林漁家民泊など、様々な宿泊形態が生まれている。これらの小規模宿泊施設では、家主や他の施設利用者との動線・接触分離が困難な施設も多く、対策の徹底に頭を悩ませている事業者が多いこともまた現状である。

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性年代別 2020年4~12月までの旅行実施率
出所:「新型コロナウイルス感染拡大による暮らしや心の変化と旅行に関する意識調査」株式会社JTB総合研究所(2020年2月~2021年1月)



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国内の宿泊施設を選ぶ際に、より重視するようになったこと(複数回答)
* 20年6月調査の回答者は「2020年内に国内または海外旅行を予定・検討している」人、9月調査は「2021年6月までに国内旅行を予定・検討している」人、
21年1月調査は「2021年内に国内旅行を予定・検討している」人。
出所:「 新型コロナウイルス感染拡大による暮らしや心の変化と旅行に関する意識調査」株式会社JTB総合研究所(2020年2月~2021年1月)

3.オンライン観光とリアル観光は相互補完の関係になる

旅行に行けない人々との関係性をつなぎとめるために、「オンライン観光プログラム」や「オンライン観覧」などのサービスが拡大した。2021年3月26日、フランス・パリのルーブル美術館は所蔵する全作品の画像やデータをウェブサイト上で無料公開すると発表した。日本でも、青森県のIターン女性グループ「The Ringomafia(リンゴマフィア)」が実施した津軽りんごの食べ比べオンラインツアーのように、産品の購入と現地ガイドの案内を組み合わせたプログラムが数多く販売され、大手旅行会社も参入している。
 これらのプログラムは、実際の旅行を代替するものではない。「旅の目玉」しか載っていない旅行ガイドブックやパンフレットでは味わえない道中の風景や空気、音を感じ、オンラインとはいえリアルタイムで説明してくれる人との触れ合いを経て、その地域との縁を結び(あるいは途切れさせず)、いつか足を運んで頂く機会を創出するものとして期待されている。プログラムの多くは、利用者が自宅にいて、ガイドが現地を動き、あるいはカメラを切り替えて説明するものだが、市場回復後には、現地観光中の利用者に対し、自宅にいるガイドがオンラインで案内する仕組みに展開できる可能性があり、現地のガイド不足に対応する手法として別途検討することで地域の受入体制に係る課題解決につなげていくこともできる。
 一方で、ミュージアムで浸透してきた「ハンズオン展示(触って学べる展示手法)」は軒並み休止に追い込まれている。「さわる」「嗅ぐ」など、視覚以外の五感を刺激して理解や実感に繋げていくという体験は、デジタル技術では代替が利かないものとして位置付けられている。

4.マイクロツーリズムと「高単価観光体験」の共通項

マイクロツーリズムとは、自宅からおよそ1時間圏内の地元や近隣への短距離観光のことを指す。打撃を受けた観光業界を救う手段の一つとして、株式会社星野リゾートの代表である星野佳路氏が提唱した。マイクロツーリズムの意義は、「ご近所を再発見すること」と「そこで経済活動をすること」である。言い換えれば、目指すべきは「旅行体験の一層のパーソナル化(自分だけの発見・体験の創出)」と、「ローカル経済圏の形成」であり、近隣観光の話に収まらないことがわかる。
 地方部の観光地は、従来、都市圏との流通や都市圏居住者の来訪という“外貨”によって成立してきた。そのバランスがコロナ禍によって崩れたことを受けて、ローカル経済圏の重要性が浮き彫りとなった。
 コロナ以前から、あらゆる情報がオンラインで容易に、且つ無料で入手できる環境下で、旅行者は“自分だけのパーソナルな体験”に高い価値を感じるようになっている。自分の蓄積経験に照らしたフィルターにかけて地域資源を見たときの“自分だけの発見”や、他の多くの人がそうそう容易には経験できないことをするといった価値を旅行に対しても希求することから、「1泊100万円の城泊」や「1日1組限定の無人島貸し切り」などのプログラムが近年生み出されている。いずれも、「旅行体験のパーソナル化」という共通したニーズに基づく現象と言えよう。

5.おわりに

コロナ禍を受けて、消費者は人と接触しない受入体制を希望しながらも、旅の本来の意義であるパーソナルな体験をより強く求めるようになってきている。しかし、旅行者が現地でパーソナルな体験や発見をするためには、地域の誰かによるきめ細やかな準備が不可欠で、そこには必ず、接触したくないはずの「知らない他人」が介在する。消費者自身がまだポストコロナ期の旅行体験を経ていないことから、旅に求める不変のニーズと、不安解消のための手法に対するニーズが混在し、矛盾をはらむ。その矛盾こそが、観光産業・市場双方が変化のさなかに今あることの証拠でもある。
 グローバル社会とは、究極のローカル性が際立ち、相互にそれを尊重し合うことで成立するものだ。各地域が独自に存する価値はそのローカル性にこそあり、技術や情報が世界中で均質化されていくからこそ、均質化されたものとのギャップが地域個々の魅力や価値となって立ち上がる。そしてその価値を体感するためには、旅に出るほかないのだ。

出典:文化資源学会「文化資源学 第19号(2020年度)」(2021年6月30日発行)