BCPとしての観光危機管理(第2回)

前回は、観光危機管理の必要性および防災と危機管理について紹介したが、今回は、それをもう一歩進めて、観光危機管理の特徴と観光危機管理計画を策定し実行する際の課題について考えてみたい。

髙松 正人

髙松 正人 客員研究員
観光レジリエンス研究所 代表

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目次

3. 観光危機管理の特徴

(1)観光客・旅行者が対象

「行政の防災計画と観光危機管理計画には大きな違いがある。行政の地域防災計画の主な対象は、その地域に住む住民とその財産である。他方、観光危機管理の対象は、その地域を訪れる旅行者・観光客である。

住民と旅行者・観光客のもっとも大きな差は、たまたまその地域を訪れた旅行者や観光客は、その地域の土地勘がほとんどないうえに、その地域が過去にどのような災害や危機に見舞われ、そうした場合にどのように対処したり避難したらいいか知らないことにある。たとえば、過去に津波に襲われた経験のある地域の住民であれば、地震の後には津波が来ることがあるということ、そして、その時には何をおいても高台に逃げるべきであることを知っている。ところが、その土地を初めて訪れた観光客は、地震の後には津波が来る、という連想が働かない。地域の人から、「津波が来るかもしれないから、早く逃げろ」と言われても、どのくらい時間がたったら津波が来るのか、津波が襲う速度がどのくらいなのかもピンとこないだろう。また、「逃げろ」と言われても、どこへ向かって逃げたらよいのか、土地勘のない観光客には皆目見当がつかない。

東日本大震災の際、東北の小学校で英語を教えていた外国人講師が、地震後に子どもたちを校庭に避難させ、怖がる子どもたちを慰めて、危機的な状況下で教師としてなすべきことをきちんとやっていたにもかかわらず、子どもたちの安全を確認した後、自転車で自宅に戻る途中で津波に巻き込まれて亡くなったという悲しいできごとがあった。回りの人々は、彼女に「津波が来るかもしれないからすぐに避難しろ」と言ったようだが、この外国人の先生は、’tsunami’という日本語は知っていたものの、その地域で「津波」がどれだけ恐ろしく破壊的なものであるかを知らなかったので、津波が来る前に自宅にある大事なものを取りに行こうとして被災してしまったものと思われる。

その土地にしばらく生活をして土地勘もあり、学校の先生や児童とも交わりのあるこの教師でさえ、津波が来ることを聞かされていながら判断を誤ってしまったのだから、初めてその土地を訪れた日本語のわからない外国人観光客であればなおさらである。周囲の状況も把握できず、避難誘導の指示も理解できず、わからないことを尋ねることもできないまま、危機に翻弄されてしまうだろう。

このように、観光客が対象となる観光危機管理においては、状況もわからず、土地勘もない遠来の観光客の生命を守るという、住民に対する以上の配慮が求められるのである。

観光客を対象とした観光危機管理と、住民を対象とした地域防災とのもうひとつの違いは、帰宅支援の必要性の有無である。地域住民を対象とする防災計画では、津波や土石流などで土地そのものが居住できなくなる場合を除き、その土地で生活を復興することが基本となる。ところが、危機に遭遇した観光客は、最も危機的な状況を脱したら、次に考えることは家族・知人への安否連絡と自宅・自国へ一日でも早く戻ることである。被災した観光客の安全な帰宅を支援することが観光危機管理の重要な要素となる。

事故や災害発生後の帰宅には、さまざまな困難が予想される。帰宅するための交通機関が通常通り運行していないことが多い。着の身着のままで避難を余儀なくされた観光客は、身の回りのものを入れた旅行かばんはもちろん、お金やクレジットカード、身分証明書やパスポートも持ち出せないことがあるだろう。今回の震災では、持病を持つ人が常に服用しなければならない薬を失ったために、病状が悪化したり、生命の危機に瀕したりしたケースが多々あった。さらに外国人であれば、それに言語コミュニケーションの壁が立ちはだかる。

そうした観光客の安全を確保し、家族や関係者、外国人であればその国の大使館・領事館との連絡が取れるよう支援する。帰宅のために利用可能な交通機関を案内したり、手持ち金のない観光客が自宅まで帰れるように特別の手配をしたりすることも必要だろう。日本人が海外で大規模な事故や災害に巻き込まれ、通常の手段では早期の帰国が難しい場合には、被害者救援のためのチャーター機を飛ばすことがあるが、日本で多くの外国人観光客が被災した場合には、現場に近い空港に母国からの救援機を受け入れるための迅速な対応も求められる。

(2)民間事業者と地域・行政の連携の重要性

自治体など行政機関の作成する防災計画では、災害発生時に公的な組織・機関がどのような体制を作り、どの公的施設を避難所に利用するかなどが詳細に記されているが、民間企業や民間団体との連携、民間施設の利用についてはあまり具体的に記載されていないのが一般的である。

観光危機管理においては、民間事業者と地域・行政の連携がより重要になる。たとえば、住民対象とした災害対応であれば、住民基本台帳や警察等の資料に、誰が、どこに、どんな家族構成で住んでいるかが記録されているうえ、地域住民がお互いに顔見知りなので、それにもとづいて避難誘導や行方不明者の捜索活動などができる。

ところが観光客の場合、災害・事故発生時に、だれが、どこの宿泊施設に泊まっていたか、事故に巻き込まれた観光バスに誰が乗車していたか、どのナンバーのレンタカーには誰が運転していたかなどは、民間の観光関連事業者の持つ情報の提供を受ければ、いち早く確認ができる。

また、地域の公民館や学校の体育館よりも、ホテルや企業のオフィスビルなどの高い建物の方が、津波の際の第一次避難所としては安全性が高いということもあるだろう。そうであるならば、観光危機管理計画の中に、「大津波警報が発令された場合、海岸付近にいる観光客・住民を○○ホテルの5階以上に避難させる」という具体的な指示を盛り込み、そのホテルの上層階に数百名が数日間しのげるだけの水と食糧を公費で備蓄しておくこともできよう。

さらに、外国人観光客が災害等により負傷し、医療ケアが必要になった場合、地域内のどの病院(公立、民間を問わず)であれば、どの言語での対応が可能かなどを確認して、観光危機管理マニュアルに明記しておけば、旅行先で不幸にも災難にあった外国人観光客にとっても、その観光客を受け入れる地域にとっても不安を軽減することができる。

(3)観光危機管理の成否が回復の決め手

いざというときに観光危機管理計画とそれにもとづく明確なマニュアルやハンドブックがあり、それらにもとづいて地域の観光関係者や行政が観光客の安全確保や救護をすばやく的確に実施し、さらに必要な情報をタイムリーに発信することが、危機状況が解消した後、被災地の観光の早期の回復につながる。

危機に際して、観光客にどのような対応ができたか、できなかったかは、その観光地の評価を大きく左右するものとなる。それは、地域単位でも個別の事業者でも同様である。インターネットを通じたコミュニケーションが普及した今日、災害や事故の被害にあった観光客は、その現場から国内外にむけて「つぶやく」こともさえもあるだろう。危機の場面で、地域の観光関係者や住民が観光客に提供した支援や心遣いは、ツイッターやブログを通じて瞬く間に広まり、その観光地の評価を高めるだろうし、その逆のケースもありうる。

また、危機後すぐに観光の回復に向けた「打ち手」を準備できた観光地と、危機が去って後、ゼロから観光の復興策を検討始めた観光地とでは、その回復の足取りに大きな差ができるだろう。

「危機」ということばは、「危=危険」と「機=チャンス」という字が組み合わされてできている。観光危機管理の発想が地域に根付いていれば、危機状況を逆手にとって利用し、回復後の地域全体の観光サービスレベルを向上したり、それまで無秩序な観光開発に手が付けられなかったものを、復興の過程で環境に配慮した「持続型」の観光地に造り替えていくなど、チャンスに変えていくことも可能になる。

4. 観光危機管理の課題

国内における観光危機管理は、まだ緒に就いたばかりといっても過言ではない。安全・安心な観光地域づくりに有効な観光危機管理計画の策定とその実践に向けて、次のような課題が考えられる。

(1)限定的な防災計画のみ

地域や事業所、観光施設独自の防災計画はある。主に地震や火災を想定したもので、その他の危機への対応は含まれていない。地域内の住民や自施設内のお客様の避難誘導・安全確保は計画されているが、地域を訪問中の観光客や自施設の利用客以外の旅行者への対応は計画の対象外である。

このような地域や事業所、観光施設が多いのではないだろうか? 発生しうるさまざまな危機に対する、観光客を対象とした危機管理計画を最初から検討する必要がある。

(2)危機管理計画はあるが…

観光客を対象とした観光危機管理計画や災害・事故対応マニュアルはある。しかし、そこに書かれている内容を地域の関係者や観光施設の従業員全員が知っているとはいえない。あるいは、その計画やマニュアルがどこにあるかさえわからないスタッフもいる。

(3)必要なツールが不足

危機管理計画やマニュアルはあるが、避難誘導の際に必要なツールや、非常用キットなどが揃っていないので、実際に避難誘導を行おうとしてもうまくいかない。特に外国人旅行者が多い地域や施設では、外国語のサインボードなど、外国語の話せないスタッフでも安全に避難誘導できるしくみを準備しておくことが、危機管理計画の確実な実践のために重要である。

数日間の避難生活が想定されるのに、食糧や水の備蓄が不足している。備蓄不足の理由が、備蓄食糧を補充するための予算がないからというケースもある。

(4)訓練が不十分

国内のある県で、観光危機管理セミナーの出席者にアンケート調査を行ったところ、「災害・事故対応マニュアルの内容は、職員・従業員全員が理解し実行できると思う」と答えたのは、全体の7%であった。「半数以上の職員・従業員が実行できる」を合わせても40%であり、せっかく策定してあるマニュアルが、いざという時に生かされない事態が予想される。

実行できるスタッフが少ない理由のひとつは、危機への対応訓練が十分でないことにある。宿泊施設などでは24時間、365日宿泊客がいるので、なかなか施設全体での訓練をしにくいという事情があるため、消防から指導される最小限の避難訓練を実施する程度にしているところが多い。また、アルバイトや派遣社員の多い事業所等では、これらの比較的短期で入れ替わる「非正規従業員」に対する訓練がしっかりなされていないケースもある。

訓練の内容も、自社の事業所・施設の範囲に限定されたものがほとんどで、地域内の他の事業者や行政等と連携した訓練を実施しているところは、きわめて少ない。危機が実際に発生すれば、地域内の行政や各事業所、施設が緊密な連携のもとに、それぞれ役割を分担しながら観光客と住民の避難誘導、救護にあたらなければならないことを考えると、訓練の頻度を高めるとともに、地域内の観光関連事業者と行政機関等が共同で防災、危機管理の訓練を実施することが望まれる。

(5)災害対応の次の打ち手

危機状況がひとまず収束し、災害に対する緊急対応が終わったら、すぐにでも観光の復興に向けた「次の打ち手」を始められるかどうかが、被災した地域の観光面での復興のスピードや効果を大きく左右する。前掲のオーストラリアのNTIRPでは、観光の早期復興に向けて、政府および州のどの組織・団体が、どのタイミングで、何を実施する責任があるかが一表に明記されている。まさに、国としての観光面でのBCPである。

日本の政府や自治体の防災計画書には、危機解消後に、だれが、どのような市場分析を行い、それにもとづいて観光復興戦略を策定し、観光マーケティングを行うかについて触れたものはないだろう。今後、我が国が本当に観光立国をめざすのであれば、ここまで踏み込んだ観光危機管理計画とするのが理想であろう。

観光危機管理計画策定と実行の課題を自分の地域や事業・施設に当てはめてみると、思い当ることがいくつかあるのではないだろうか?
次回は、観光危機管理が実際に有効に機能した海外・国内の事例を紹介しよう。