BCPとしての観光危機管理(第1回)

これから5回にわたり、観光分野での危機管理について、その基本的な考え方、課題、先行事例、危機管理計画の策定と実行のポイントなどを紹介し、観光危機管理に対する理解を深めていただきたいと願っている。 第1回目は、観光危機管理の必要性および防災と危機管理について、読者の皆様とともに考えてみたい。

高松 正人

高松 正人 常務取締役 観光危機管理研究室長

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目次

1. 観光危機管理の必要性

(1)地域経済を支える観光

「観光立国」ということばに象徴されるように、観光は地域にとって、さらには国全体にとって重要な産業となっている。旅行・観光の経済効果は、GDPの5%弱を占めるまでになった。沖縄などの自治体では観光が地域の最大の産業となっており、観光の浮沈が地域全体の経済や雇用に大きな影響を及ぼすに至っている。

(2)「安全・安心な観光地」

観光地(観光デスティネーション)にとって、「安全・安心」に休暇を過ごせる場所であることは、きわめて重要である。特に日本はこれまであらゆる面で「安全・安心」であることが、アジアの観光競合国の中で優位な点であり、日本のブランドともなっていた。まちがきれいで、犯罪が少なく、伝染病のリスクも低く、食の管理も徹底しているので安心して食事が楽しめる。店で売っている商品も厳しい品質管理を経てきているので、粗悪品を買う心配もない。公共交通機関も便利で、道路での交通マナーも良いから、一人で観光するのにも心配はいらない。

このような評価を得てきた日本の「安全・安心」神話が、今年3月の東日本大震災でもろくも崩れ始めた。日本がいつ地震や津波が襲うかわからない国であることは、地震をほとんど経験したことのない国の人々にとってとてつもない恐怖であるようだ。それに輪をかけたのが、福島第一発電所の原子炉事故とそれによる放射能汚染の広がりであった。野菜や茶、海産物、牛乳、そして牛肉と日本の「食の安全性」神話ががらがらと音をたてて崩れていきつつある。

政府は、さまざまなコミュニケーションメディアを用いて、福島原発から30km以内の一部の地域を除けば、日本はすでに安全・安心な状況に戻っていることを世界に伝える努力をしているが、本年の7月現在で、海外からの訪日客は前年同月比-36.1%と震災以前の勢いを取り戻すには至っていない。世界の多くの地域で、まだ日本は安全と言い切れない状況であると認識されていることが、訪日外国人観光客減少の大きな原因の一つとなっている。

今後、東日本大震災と同じような危機が日本のどこかを襲う可能性は否定できない。それよりも規模の小さい危機場面は、毎年のように日本のどこかで発生している。つまり、日本のいずれの地域も、なんらかの危機に直面する可能性があるのだ。そのような危機に遭遇したとき、日本のどの地域であろうとも、その土地を訪れている観光客や旅行者の安全を確保し、被災した観光客を救護し、無事に自宅に戻れるように支援することができれば、危機に際しても安心できる日本として、ブランドイメージを高めることができよう。また、被災後、いち早く観光の復活に向けたアクションを取り、観光に従事する地域の人々の雇用と生活を守ることができれば、その地域全体の危機からの回復を促すことになるだろう。

それを可能にするのが、観光危機管理である。

2. 防災と危機管理

(1)起こることが想定されうる災害・危機

日本は台風、豪雨、地震、噴火など自然災害の多い国である。さらにさまざまな人的災害も起こりうる。以下に、起こることが想定されうる観光にかかわりのある災害や危機を記してみた。

■自然災害

  • 台風、大雨、洪水、土砂崩れ、雹害、竜巻
  • 干ばつ、異常高温、渇水
  • 大雪、異常低温、冷害
  • 地震、津波
  • 噴火、降灰、土石流、黄砂

■人的災害・危機

  • 大火災、ホテル・旅館火災、山火事
  • 大規模交通事故、列車事故
  • 航空機事故、ハイジャック
  • 船舶事故、重油等による海洋汚染
  • 伝染病、大規模食中毒、食物汚染
  • 大規模ストライキ、デモ、騒乱
  • テロ、銃火器・刃物等による凶悪犯罪、組織的犯罪
  • 急激な為替変動、経済危機
  • 放射能事故(原発、再処理工場、核兵器、原子力船鑑)
  • 大規模停電
  • 他国との政治的軋轢、紛争

これらは、いつ、どこで起こっても不思議はない危機である。既存の防災計画、リスク対応マニュアルなどでは、これらの危機のうちどれが想定されていただろうか?

(2)防災計画はあっても観光危機管理計画はない

東日本大震災に際して、国、地域の防災計画が実行され、またそのさまざまな課題も指摘され、見直しが行われつつあるが、その議論の中で、観光危機管理が論じられることは極めて稀であった。

震災後、内閣府で中央防災会議が繰り返し開かれ、地震・津波への防災対策が話し合われているが、会議の17名のメンバーは防災に関する工学系の大学教授や、震災を経験した自治体の首長が中心で、観光にかかわる専門家はいない。一方、観光を主管する観光庁では、やっと観光分野での危機管理についての委託調査を検討しはじめた段階であり、ここにも観光分野の危機管理専門家は見当たらない。

一方、海外に目を転じると、オーストラリアでは「全国規模の観光事件への対応計画(The National Tourism Incident Response Plan = NTIRP )」が中央政府省庁・関係政府機関および州政府の横断的な危機対応の枠組みとして制定され、定期的に更新されている。その目的は、「国の観光産業に大きな影響を及ぼすと思われる事件・事故を、政府を挙げて組織的にコントロールすることで、観光産業に対する負の経済効果を最小限に食い止める」ことであると定めている。

また、タイ国では、観光関連の危機的な状況が発生した場合、タイ国政府観光庁(Tourism Authority of Thailand = TAT)が緊急対応体制を敷き、関係省庁とも連携して国を挙げて観光の危機管理を行うしくみが整えられており、2004年のインド洋津波や2008年の大規模デモ等の際にも、これが有効に機能して、その後の観光分野の回復を大いに支援した。

このように、観光先進国では観光危機管理の仕組みが国レベルで整っているのに対し、わが国においては、防災や被災地域の復興に関しては、高いレベルでの検討が行われ、国および地域の防災計画で具体化されているが、こと観光面での危機管理になると、具体化された計画を持つ地域は数少ないのが現状である。

(3)リスク管理と危機管理

危機管理と並んで、リスク管理ということばをしばしば耳にするが、危機管理(Crisis Management)とリスク管理(Risk Management)とはどのような点で共通し、どのような点で異なっているのだろうか?

リスク管理の基本は、想定されるリスクが起こらないように、その防止策を検討・実行することである。リスク管理では、まず想定されるあらゆるリスクを徹底的に洗い出し、そのリスクが発生したらどのような影響があるかを分析する。そして、それぞれのリスクについて発生を抑止するための方策を検討し、影響度の大きさに従ってプライオリティをつけて、リスク防止策を実行する。つまり、究極のリスク管理は、想定されるリスクを予め抑え込んでしまうことである。

一方、危機管理は、危機が発生した場合に、その負の影響を最小限にするとともに、いち早く危機状態からの脱出・回復を図ることが基本となる。もちろん防げる危機を防ぐに越したことはないが、自然災害や外部要因による人的災害や事故などは、自助努力で防ぎえないものであることが多い。危機管理においても起こりうる危機をリストアップするが、リスク管理との違いは、危機の発生を防止するよりも、危機が発生したときに何をすればその災害や影響を最小化できるか(減災)、危機からの早期回復のためには何をすればよいかが、検討の中心になる。

近年、事業継続計画(Business Continuity Plan = BCP)を導入する企業や組織が増えているが、BCPは危機管理計画を構成するひとつの中心的な要素である。

次回は、観光危機管理の特徴と観光危機管理計画策定の課題について触れてみたい。