生きた建築の文化価値を再発見する時代へ ~モダニズム建築を観光資源に育てていくために~

2016年、文化庁は「文化芸術資源を活用した経済活性化」(文化GDPの拡大)を掲げた。『文化』を広い概念で捉え、観光や他産業への波及を視野に入れた経済活性化に取り組み、文化GDPを日本の総GDPの3%にまで拡大することを目指すものだ。いま、日本モダニズム建築は「保存か活用か?」という議論の俎上に載せられている。なぜ保存すべきなのか、どのように保存することが好ましいのか、どうすれば保存したくなるのか。観光の視点から、建築という文化資源をどのように捉え、活用することができるか考察していく。

河野 まゆ子

河野 まゆ子 主任研究員

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目次

神社仏閣や遺跡はかねてより日本を象徴する人文観光資源であるが、人々が今も日常的に使っている建築はこれまで文化財として鑑賞する対象として捉えられてはいなかった。東京駅をはじめとする戦前の建築は保存の動きがあるが、戦後に建築され、今も利活用されている「日本モダニズム建築」はこの5~10年でその多くが姿を消した。ホテル・オークラ東京本館の解体はひとつの象徴として注目され、主に欧米諸国の文化人から保全を呼びかける活動がなされた。取り壊しに繋がる理由として、建築は人々の日常の舞台であり、安全快適にそれが活用されるべきことが大前提であることが大きい。特に地震の多い日本においては、耐震性等に不安のある老朽化した戦後建築はある一時点で寿命を終えることが一般的だった。とはいえ、建築は時代の世相や文化、当時の最先端の技術を反映し、今に伝える証拠品でもある。

1. モダニズム建築とは

モダン・ムーブメント(近代建築運動)は、20世紀における建築の主要な潮流で、産業革命以降の社会に対応する建築を目指す動きである。この運動は、各国の都市構造が急速に変貌していく都市化の流れを受けて、国際的な広がりをみせていった。

モダン・ムーブメントの旗手のひとりが、ル・コルビュジエだ。「ル・コルビュジエの建築作品」が世界遺産登録されたことは記憶に新しい。これが世界遺産として認められた理由は、単体としてコルビュジエの作品が素晴らしいということだけではなく、ある一時代を切り取ってみたときに、3大陸7か国にわたって地球上に広く伝播した特定の文化の顕現であり、その潮流の先駆けであった、ということによる。つまりは、「ある時代の文化のありようを証明する証拠品」「特定の価値観が世界中に広がることができる時代の幕開け」を示すものであった。日本も例外なく、ル・コルビュジエの3人の弟子と呼ばれる3建築家がコルビュジエに学び、国内においてモダニズム建築を花開かせた。その3人の弟子を経て、モダニズム建築の考え方や様式が広く日本国内に浸透していった。先に挙げたホテル・オークラ以外にも、東京上野の杜でル・コルビュジエによる国立西洋美術館の対面に兄弟のように建つ前川國男による東京文化会館(1961年竣工)や、丹下健三の傑作とも言われる広島平和記念資料館(1955年竣工)など、美術館やホール、庁舎等に多くみられる。

弘前市民会館

弘前市民会館(前川國男)

筆者撮影

2. モダニズム建築の認知度と保存への動き

モダニズム建築は、正直に言ってわかりにくい。近代から現代の移行期における社会基盤を創りあげる一助となった、洗練されたモダニズム建築は、懐古的なロマンチックさも、装飾的な派手さもない。言い換えれば、その建築で働き、暮らす人々が主役となるために設計された人間本位の建築である。この視覚的な価値のわかりにくさが、戦後建築を文化資源として見ることを難しくしているのは事実である。

実際、日本国内で近代以降の建築家の認知度を訊くと、以下のような状況だ。
認知度が高い順に、黒川紀章(65%)、安藤忠雄(54%)、丹下健三(46%)と並ぶ。黒川紀章(東京都知事選への立候補時)や安藤忠雄はメディア露出が比較的多いこと、丹下健三は次期東京五輪に向けて代々木体育館に関する報道が多かったことや、現東京都庁を手掛けたことなどから認知が高いものと想像できる。彼らに次いで認知度の高い建築家は、隈研吾、ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、辰野金吾でいずれも30%弱程度。ル・コルビュジエの3人の弟子、前川國男や坂倉順三の認知度は10%前後にとどまる。(図1)

図1:近代以降の建築家の認知度
出所:近代建築ツーリズムネットワーク

これまで、文化遺産としての地位が希薄であったモダニズム建築はその多くが今も取り壊しの危機に瀕しており、役目を終えた建物が記録も残されずに壊されるケースが多くあった。これらのモダン・ムーブメント建築(MOMO建築)に対して、文化遺産としての人々の関心を高めることを目的に、その記録と保存を目的とする国際学術組織「DOCOMOMO(International Working Party for Documentation and Conservation of buildings, sites and neighborhoods of the Modern Movement)」がオランダを核として立ち上がったのが1988年のことである。そして日本でも、DOCOMOMO Japan が2000年に設立された。

3. モダニズム建築を「見て、入って、楽しむ」べきものへ

2016年11月、国内で「近代建築ツーリズムネットワーク」が設立された。ル・コルビュジエを起点として、その直弟子である前川國男を足掛かりに、村野や丹下などの手によるモダニズム建築の価値を市場に浸透させるとともに、観光資源として活用していくことにより、『みるべきもの』として意識転換させることで、保存へと繋げる活動を推進している。
とはいえ、建築物への市場の興味関心度をみると、20世紀の建築への興味はやはり薄い。興味のある建築物は「国内の歴史的建造物」がトップで87%。以下、「国内の集落・街並み」62%、「海外の歴史的建造物」58%と続く。一方、「国内の近代以降の建築物」への興味関心は、歴史的建造物と比べて相対的に低く40%にとどまる。興味関心の高い世代をみると、20代男性で60%近くを占めるほか、40代男性、40~50代女性で45%を超え、比較的男性に対しての訴求力が強いと言えるだろう。通常、人文資源への興味関心は、年代の高さと相関する傾向にあるが、近代建築に関しては20代、40~50代男性のほうが高年齢層よりも興味関心度が高いことが特徴的だ。高年齢層にとっては、自身の生活の中で身近に接してきた建築物であるからこそ、「見るべき文化財」として認識しにくいものと推測される。(図2)

興味のある建築物

図2:興味のある建築物(性年代別)
出所:近代建築ツーリズムネットワーク

 1900年代以降の建築物への訪問意向が生じない理由については、「建築物自体に興味がない」(44%)が最多、「良さがわからない」、「知識がない」が20%台で続く。20代男性は「同行者が興味を持たない」、20代女性は「知識がない」が全体平均より10%以上高い。潤沢な知識がなくても気軽に楽しめる場であることを訴求することで鑑賞者の裾野を広げる取組は不可欠であると言える。(図3)

「1900年代以降の、著名な建築家による建築物を訪れたくない」と回答した理由

図3:「1900年代以降の、著名な建築家による建築物を訪れたくない」と回答した理由(性年代・居住地別)
出所:近代建築ツーリズムネットワーク

建築物を楽しむために、あると良いこと・ものについては、「通常は入れない場所に入れる」の42%が最多。次いで「スタッフによる見どころ説明」(33%)、「通常は入れない時間帯に入れる」(27%)、「レストラン、カフェ等の空間がある」(25%)の順となった。「スタッフによる見どころの説明」は50~60代男女、「レストラン、カフェ」は40~50代女性で高い。「スタンプラリー等のイベント」(8%)は、20~30代の男女で高い。「設計した建築家の情報」は50~60代男性と40代以上女性で20%を超えるが若年層には求められていない。旅程に余裕のある50~60代を対象としたインタープリテーションの重要性はもちろんのこと、建築の良さを活かした滞留空間としての快適性も不可欠であり、ターゲットに合わせて建築の楽しみ方を多角的に表現していく工夫が求められる。(図4)

建築物を楽しむために、あると良いこと・もの

図4:建築物を楽しむために、あると良いこと・もの(性年代・居住地域別)
出所:近代建築ツーリズムネットワーク

4. 具体的な取組の事例

建築物のあるべき姿は、生きて活用されていることであり、その“使われかた”自体に触れ、あるいは保存することに参画することを促進する取組を通じて建築の価値を浸透させ、凍結保存ではない資源の継承へと繋げていくことが期待されている。モダニズム建築の保存・活用の動きは欧米から始まったが、近年は国内でも積極的な取組が実施されている。

(1) ユニテ・ダビタシオン(フランス、マルセイユ他)

写真は、1914年に竣工されたル・コルビュジエの建築。当時石積みが主流だった西洋建築において、鉄筋コンクリートと柱で構造を支えるドミノシステムを考案。人口が密集する都市に住まうあり方のひとつとして、都市空間を垂直に設計する「縦型のまち」として設計された。マルセイユのユニテは集合住宅(337戸、1600人が居住可)と一部ホテルを有する。各階の機能は1階が道路を表現しており、ロビーには郵便受けや公衆電話、郵便ポストなどがある。2階以降が住宅として設計され、3、4階はホテル、レストラン、パン屋、不動産屋など。屋上は学校や広場として設計されている。(*ユニテ・ダビタシオンはコルビュジエが設計した一連の集合住宅の総称(通称:ユニテ)。マルセイユのユニテは世界遺産の構成資産)
2017年5月現在、館内共用部(廊下、ロビー、屋上など)は日中誰でも自由に見学でき、撮影も可能。毎週火曜日と土曜日の各日2回、10ユーロで90分の住宅ガイドツアーを実施しており、ツアー時は住民の承認のもと、住宅も見学することが可能。

ユニテ・ダビタシオン

マルセイユのユニテ・ダビタシオン
出所:www.emprendewiki.com

(2) 生きた建築ミュージアム(通称:イケフェス 大阪市)

2013年度から、大阪市はまちを1つの大きなミュージアムと捉え、そこに存在する「生きた建築」の魅力を創造・発信する取組が実施されてきた。都市魅力創造戦略の重点エリアの一つである御堂筋エリアを対象とした「生きた建築ミュージアム事業」の中で、「大阪セレクション」を70件選定し、特別公開やまち歩き等の実証実験を行ってきた。建物所有者をはじめとする民間企業、大学等との協力・連携のもと、2014、2015年度に開催した「生きた建築ミュージアム フェスティバル大阪(イケフェス大阪)」は、大阪発・日本最大級の建築イベントとして定着。2016年は延べ3万7千人が参加する日本最大級の建築公開イベントとなった。普段はまず中に入ることができない“生きた建築”を、建物所有者等の協力により2日間限定で公開する。実際に建築を利用している企業の従業員が当日はガイドとなって建築の面白さや特徴を解説してくれるなど、建築利用者との協力体制の強固さが継続要因の重要なポイントであることは言うまでもない。現在は、生きた建築ミュージアム大阪実行委員会による自主事業として自走化している。

(3) アーキウォーク広島(広島市)

広島は、村野藤吾設計の平和記念聖堂や、丹下健三の影響が色濃い広島県庁舎など多くの名建築が残る土地だ。アーキウォーク広島は、建築好きな市民で構成された市民組織で、広島市のシティプロモーション戦略の一環として、建築公開イベント開催や建築ガイドブック発行などの活動を通じ、建築をまちの観光資源のひとつとして捉えなおす活動を推進している。
通常は入れない建物の特別公開イベントでは、建物オーナーや建築家の生の声を聞く、詳細な解説を加える、音楽やアートを加えるなど、付加価値や交流が生まれるような工夫を盛り込んでいる。また、ガイドなしでも広島の建築まち歩きが楽しめるよう、2010年にガイドブック「HIROSHIMA ARCHITECTURE」を7,000部制作、広島市内各所で無償配布した。同ガイドブックは2011年度に8,000部を追加印刷。ウェブサイトでのダウンロード数も5,000を超え、大きな反響を呼んだ。その後、同ガイドブックを拡張して書籍化した「アーキマップ広島」を2012年に出版。近年は、広島市内に限らず、「瀬戸内海プロジェクト」として、せとうち地域に点在する名建築に対象の幅を広げ、地域間連携の促進を目指している。

5. 建築を文化価値のある観光資源に育てていくために

過去5年間で続々と、戦後建築に価値を見出し、それを都市のアイデンティティとして位置づけ、観光資源として活用する動きが国内各地で活発化している。近代建築を文化価値のある観光資源として確立させるためには、前述の「わかりにくさ」が最大の障壁だ。この壁を乗り越えるためには、建築のインタープリテーションを行う人のスキルが極めて重要になる。建築や建築家に関する詳細な知識を伝達するのではなく、「建築の見かた・面白がりかた」そのものを伝えることがポイントだ。我々が当たり前に使っている現代建築の祖とも言えるモダニズム建築を身近に感じさせながら、今はできない(誰もやろうとしない)技術的な粋、そのカッコよさに気付かせ、建築との距離を縮めさせるための手法を検討しなくてはならない。

建築は「触れる」ことができる利点があり、「中に入る」こともできる。ガラスケースの向こう側に鎮座する文化財では到底試すことができない、建築だからこそ可能な文化との触れあい方・向き合い方を体験させる場としても機能させることができるだろう。モダニズム建築が、その内外で活動する人々のためにつくられたものであるという根源に立ち返り、居心地の快適性をきちんと実感させることもポイントになろう。光の入り方、色彩、音の響き、重厚な安心感など、施設ごとに快適ポイントは異なるだろうが、それぞれの「最大の価値(建築家の意図)」を引き出すために、必要であればリノベーションを加えながら、快適な滞在空間を創出していくことが求められる。建築の場合は、オリジナルのまま凍結保存することがその価値を最大化するとは限らないことに留意すべきだ。余談だが、古建築を資料館化している施設において、「この部屋に入るな」という鎖や「この椅子に座るな」という標識ばかりが目につくと、何のための保存と公開か、という点を考えたときに非常に冷めた気持ちになるものだ。

観光資源という視点でさらに付け加えるなら、建築単体を楽しむだけでなく、『なぜそこにあるか』(この土地に存在し、この機能を担うからこそこのかたちである)という必然性を伝達することで、その土地の地理的な特性、土地の人々の思想、その土地がどのような1世紀を過ごしてきたのか、をひととき遡って想いを馳せることができるはずだ。建築も、神社、お寺、自然景観と等しく、地域の風土・文化を理解するために有効な文化価値をもつ資源のひとつであることに変わりはない。が、特筆すべきは、そこに20世紀ならではの(自然資源や社寺にはない)『建築家』という強烈な個人の才能や想い、熱情まで感じ取れることだ。地域の観光資源でありながら、一個人による作品でもある。さらに、その作品は、絵画や彫刻のように凍結しているものでなく、使う人がそこで蠢き、日々の空気や光が巡っている。公と個、歴史と日常。その危ういバランスこそが、モダニズム建築の最大の魅力であろうかと筆者は思うのだ。