「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」、世界遺産登録の評価と今後への期待

7月9日、ポーランドのクラクフで開催された世界遺産委員会において、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の登録が決定された。これを受けて、これまでの世界遺産と同様に、宗像三社を中心とした一層の観光活用や地域活性化への効果が期待されている。一般人が上陸できない特異な世界遺産である沖ノ島の価値の示し方と、観光活用に向けた留意点や期待について整理提言する。

河野 まゆ子

河野 まゆ子 主任研究員

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目次

宗像三社の位置関係

宗像三社の位置関係(画像提供:宗像大社)

1.「沖ノ島と関連遺産群」の価値

(1) 何が評価されたか

7月9日、ポーランドのクラクフで開催された世界遺産委員会において、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の登録が決定された。5月のイコモスによる勧告では、大島(中津宮など)と九州本土(辺津宮など)の構成資産は登録にそぐわないという意見が出されたが、日本側の主張が全面的に支持され、一転して8つの全構成資産を含む逆転登録となった。

当該遺産が評価された最大のポイントは、沖ノ島が、4世紀から1,600年の長きにわたり聖地として有り続けることによって、奉献品(お供え物的なもの)そのものや、それがどのように拝まれてきたかを示す「原型」と「変遷」が手つかずの形でそのまま遺されてきたことだ。

映画、インディー・ジョーンズのシリーズでロケ地になった、ヨルダンのぺトラ遺跡は紀元前1世紀~紀元後4世紀頃の遺跡であるが、12世紀に十字軍が入ったあと、19世紀初頭までその存在も場所も忘れられ、伝承にのみ残る伝説の地となっていた。19世紀に初めて西洋の探検家ブルクハルトによってペトラが「再発見」されたが、あの遺跡が地域に住む方々にとって極めて重要な場所として、代々ひっそりと隠され続けてきたために、オリジナルの状態で町全体が残されていたことと通ずるものがある。

奉献品の例

奉献品の例(写真提供:宗像大社)

(2) 他の国内世界遺産との比較で際立つポイントとは

「宗像・沖ノ島と関連遺産群」の特徴について、神社という日本ならではの信仰形態を示すものが対象になっているという点では京都や奈良に類似する。しかし、それが建築物や構造物ではなく、古来の自然信仰に紐づくものであり、海を渡る人々にとって、千年以上にもわたり心のよりどころになってきたという面においては、むしろ富士山や「紀伊山地の霊場と参詣道」に含まれる大峯などの山岳信仰のありようが評価された理由に近いものと言えよう。これらと比較し、「特定の1日を除き、一般の人が全くその中に入れない」という沖ノ島は、その信仰の純粋性において特に際立つものと言える。

宗像大社は上陸制限の方針を継続する意向であるが、それは至極当然のことであろう。世界遺産に登録されるということは、各国・地域の自然的・文化的な価値があるものを、国際的な基準でリスティングする行為にすぎない。高野山は、1872(明治5)年以降に女性の入山が可能になったが、これは近代化の流れの中でより広い参詣のスタイルが定着していったという社会的要請に沿ったものであり、今回の上陸制限を継続すべきか否かという議論と同じ文脈で語られてはならない。一方で、修行の道である大峯奥駆道は現在も女人禁制であり、それはとても自然なこととして受け止められている。

2.世界遺産の「活用」に向けたあり方 ~期待される効果と留意すべき課題~

(1) 期待される効果

まず、地域の観光活性という側面からいえば、福岡の観光スタイルは現状では都市観光、つまりショッピングや夜の食べ歩きなどが主流となっている。福岡市から近い人文資源には、柳川や太宰府などが挙げられるが、これに宗像が加わることで、これまで注目度が薄かった新たな地域性が市場に伝わり、多角的な福岡の魅力を来訪者が楽しむ機会が広がることが期待できる。

次に、神社が観光地として市場に認知されるという側面からも大きな効果が見込まれよう。福岡県は近隣アジアからのクルーズ客が多く来訪し、九州における外国人観光客は今後も増えていくことが予想されている。外国人の訪日目的は、四季の景観を楽しむこと、ユネスコ無形文化遺産にも登録された「日本食」を食べること、ショッピングなど多岐にわたるが、日本の歴史文化を体験したいというニーズも高い。この傾向は、文化差異の大きな欧米市場において特に顕著だ。

彼らは、日本の文化習慣、日本人の美意識などを端的に理解できる場として、お寺や神社を訪れることを好む。2015年には、ナショナル・ジオグラフィックの「訪れるべき場所世界20選」に高野山がノミネートした。また、旅行口コミサイトのトリップアドバイザーが毎年実施している調査では、日本における「外国人に人気の観光スポット」第1位は、3年連続で伏見稲荷大社であった。山梨県富士吉田市にある新倉山浅間公園は、富士山をバックに、手前には五重塔と桜がある。外国人が想像する“日本の象徴”が詰め込まれた景観で、タイ人を中心に外国人の間で人気が沸騰し、「世界中のカメラマンが死ぬ前に訪れなければならない21の場所」に選出されている(日本からは京都と当地のみ)。

宗像大社についても同様に、福岡をゲートウェイとして九州に来訪する人が、日本の文化や歴史、日本人らしい自然を畏敬する考え方などを知る場所のひとつとして宗像大社を訪れる機会が増えるだろう。現在は、太宰府に集中しているこれらの文化観光ニーズを分散させ、観光地の混雑や渋滞緩和などのコントロールがしやすくなることも期待される。神社もお寺も、「なぜそこにそれがあるか」が日本の信仰形態においては極めて重要だ。宗像大社に行って満足するのではなく、そこを来訪し、海と一体化している神社の存在を知ることによって、地理的な特性に紐づいた信仰のありかた、生活との密着のしかたなどの日本らしさを国内外の人々が知る機会ともなるだろう。特に沖ノ島信仰については、建築などの「うわもの」がなく、現地に入れないからこそ、日本人の信仰のかたちをよりプリミティブで本質的な部分から理解するのにうってつけの場所であるとも言える。

(2) 留意すべき課題

世界遺産登録を経た全ての地域が懸念するのは、登録が一過性の「ブーム」になってしまうことだ。神社に限ったことではないが、世界遺産に登録された場所は、自然遺産などの行きにくい場所でない限り、必ずといっていいほど「ブーム」によって来訪者が殺到する。宗像大社は大都市から近いことから、多くの人が訪れることは避けられない。「ブーム」は5~10年程度で収束することが多いが、この期間に地域としての受入体制のキャパシティを超える来訪者が訪れた場合、来訪者満足度が下がったり、SNSで不満が発信されるということが起こりやすく、観光地としての地域の評価を下げる原因にもなってしまう。受入体制の整備や来訪者数のコントロールが課題となるであろう。

「神社」というスポット単位でみると、ポケモンGOが公開されたときに多くの神社やお寺がポケストップやジムになり、昼夜問わず参拝目的でない人が多く来訪し、ゴミが増えたり、禁足地に立ち入るなどの事例が頻発し、多くの社寺が「ポケモンGOは控えてください」の看板を掲出したことは記憶に新しい。宗像大社を“観光地”として認識する国内外の方が殺到し、来訪マナーが悪化することで、神社や地域の崇敬者の方々の日々の営みに何らかの影響や負担が発生する可能性があり、そうなることは避けなければならない。来年の登録を目指している「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」についても、信仰の場が登録の対象になるという面では同様の課題を抱えており、地域集落に負担がかかることが懸念されている。

辺津宮

辺津宮(写真提供:宗像大社)

沖津宮

沖津宮(写真提供:宗像大社)

3. 観光活用にあたっての具体策

沖ノ島信仰がこの登録資産の価値の核になっているが、その核には立ち入ることができないという現状が、観光活用を考えるうえでの鍵となる。これを障壁として捉えるのではなく、「入れないという価値」をどのように利用するかという考え方が必要だろう。

軍艦島は、軍艦島クルーズによって島の一部に上陸することはできるが、波が高い場所であるため接岸できなければぐるりと島の周囲をまわって帰るだけだ。しかし、事前に上陸を保証できるものではないことを丁寧に周知しており、クルーズは非常に人気が高い。

沖ノ島に距離として物理的に近づくことは、必ずしも沖ノ島信仰の本質に近づくこととイコールではないが、近づきたいという市場のニーズは確実に存在するだろう。『市場のニーズを汲みつつ、本来の信仰のありかたを追体験できる見学のルート』をつくることが、宗像三社観光の望ましいあり方と考える。謂わばマーケティングの視点が不可欠で、近隣アジアからのクルーズ客と欧米の個人客では、興味関心の方向性も異なるため、見せ方や伝え方も変わる。ターゲットに合わせ、丁寧に情報や体験、ルートの設計をすることが、来訪の価値を高めていくことに繋がる。

宗像信仰は、「拝まれるもの」と「拝む場所」が異なる、日本の信仰のかたちのひとつである“拝む立ち位置”が明確であることを端的に理解できる象徴的な場所と言ってもいい。この場所で、プリミティブな、そして多様な日本の神社のありかたを来訪者が知り、そのあとで日本中のほかの神社を訪れた時に、個々の差異に気付き、楽しんでいただけるようなきっかけを与えられる仕掛けが構築されていくことを期待したい。

沖ノ島

沖ノ島(写真提供:宗像大社)

4. 資産価値の伝達手法

今回の登録箇所は、沖ノ島のみならず、宗像信仰を形作る全ての構成資産が含められる最善の結果となったが、審議直前まで、九州本土側は登録から外れるのではないか、大島の遥拝所は外れるのではないかという推測が主流を占めていたことは事実だ。しかし、世界遺産になるかならないかで、その場所に価値があるかないかを判断できるものではないことを改めて強調しておきたい。

登録された場所とそうでない場所を区別して捉えるのではなく、地域においては、これまで通りに「宗像三社とそれに関連するたいせつな場所」全体を価値あるものとして認識頂き、世界に対して発信し続けていって欲しいと心から願う。価値の本質を今後永続的に継承していくためには、これまで1,600年間に渡り地域の方々によって大切にされ続けてきたものを、変わらずに大切にし続けることが肝要だ。

京都を訪れる人々が、世界遺産の構成資産だけ観光するかといえば、決してそうではない。京都らしい風景やかつてのみやこの価値を示す寺社仏閣が世界遺産以外にも多く点在し、その全体で京都というまちが構成されている。それと同じで、宗像という土地を語るためには、今回登録されたすべての構成資産やそれに関連する海洋景観、玄界灘の厳しい荒波と海上交易の歴史など、宗像をとりまく歴史や生活・地理的な環境への理解が不可欠である。よって、国内外から来訪する方に対し、「世界遺産の宗像大社を知って下さい」ではなく、「宗像という土地だからこそ生まれた価値を知って下さい」というストーリーで伝達していくことが重要だ。

その資産価値を市場に伝達するためには、情報を補完するためのハードの整備、ならびに、旅行商品の開発や、ガイドなどのひとによるインタープリテーションを促進するソフト整備の両面が必要となることは言うまでもない。しかし、ガイドを充実させていくうえで重要なことは、観光客は「詳しくなりたくて来ている」のではなく、「楽しみたくて来ている」ということだ。情報を詳細に与えることが最善のサービスであるとは限らないし、日本人と外国人で、神社に対する基礎的な知識量も異なり、滞在に掛けられる時間はひとりひとり違う。誰に、どのような情報と体験を伝え、そのことにより来訪者がどんな気持ちになれる必要があるか、が丁寧にデザインされたインタープリテーションが提供されることが望ましい。

ハード面の仕掛けとしては、「レプリカの活用」と、「ARやVRの活用」が判りやすく効果的だ。仮に沖ノ島に上陸できたとしても、ほんとうに重要な聖地、禁足地は見ることができない。しかし、レプリカを展示したり、VRで当時の様子を再現することで、本来なら見られない・触れないものを感覚的に理解することができる。

かつて国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)で展示されていた沖ノ島のレプリカ(施設リニューアルのため現在は撤去)は、禁足地にどのように奉献品が置かれていたかを原寸大で再現したもので、圧倒的な説得力をもってズシンとその価値の本質が迫ってきたことを鮮烈に覚えている。奈良の高松塚古墳も、カビの発生を抑えるために本物の古墳の中には入れないが、隣接した場所に極めて精巧な原寸大のレプリカを作り、入って見学することができる。最も重要なことは、レプリカとは「にせもの」ではないということだ。現在残っている本物を見せることが、必ずしもその資産の価値の本質的理解に繋がるとは限らない。レプリカだからこそ、見られないものを見て、触れて、体感できる。どんなものがあの島の奥にあるのか。そこでどんな風に捧げものを置いたのか。見るだけではなく、行動を伴った疑似体験をさせたりして、価値に近づく工夫をすることも、レプリカを使うことで可能になる。

都市構造が変わったり、埋蔵文化財になってしまった場合には、その場所が当時どのようであったかを想像することは難しい。「明治日本の産業遺産」の構成資産のひとつ、佐賀県の三重津海軍所跡は、遺産保護の目的で埋め戻しているために現在はただの公園にすぎない。当地は「見えない世界遺産」としてプロモーションムービーを作っているくらいだ。ここではVRスコープを貸出し、指定された場所に立ってそれを覗けば、往時の土地構造や風景が再現されるようにしている。同様の試みが、平泉の毛越寺無量光院跡でも進められている。文字情報で価値を理解させるだけではなく、五感を使って楽しみながら感覚的に価値の理解に近づける工夫が必要だろう。

宗像については、「そこに残っているもの」ではなく「そこに人の想いが集約していった意味」を伝える、ということを見誤らなければ、ドローンの空撮写真を活用したり、拝む立ち位置と拝まれる場所との関係性をVRで示したり、航海のときに航海者にとって沖ノ島がどのように見えていたのかを体感させたりと、価値の伝え方は多様な広がりを見せるはずだ。

5. 開発と保護のバランス

軍艦島は隔絶された島であるが、宗像の場合は、背後に集落・まちを抱えているという面で大きく異なり、凍結保存を進めることはできない。神社は、本来そこに参道があって商店で賑わい、その周辺にまちがあった。観光開発という視点で考えるならば、伊勢神宮のおはらい町やおかげ横丁、または太宰府のように“最盛期にはあったはずのにぎわい”を取り戻していくための開発であれば歓迎できるものだ。この21世紀のいま時点の景観を保護するのではなく、神社が本来生き生きとそこにあったであろう形を、参道などの周辺のにぎわいを通じて取り戻していくことは、日本の文化習慣に照らしても、至極自然な開発のありかたであろうかと思う。

その際に、景観・環境の保全という面では大きな配慮が必要であることは付け加えておきたい。宗像大社は海とともにあった神社であるために、海の環境保全に関する活動を積極的に推し進めている。大島の港についても、海との近さ・親しみやすさを構造的に表すとともに、天然の岩礁や磯場をそのまま残し、周辺景観や環境に配慮したデザインになっている。神社周辺の街並みのみならず、観光動線上にある様々な場所において、観光客やそこで暮らす方々の双方にとって、遺産を核とした地域の価値や印象を損ねない景観・環境の維持や新たなデザインに心を配る必要がある。

6. まとめ

今回の世界遺産登録は紆余曲折あった(近年はスムーズに登録に至るケースが少なくなっているが)。
かつては、式年遷宮というものでさえ西欧には理解されず、世界遺産登録にあたって神社の価値説明には多大な時間を要した。数十年しかたっていない「うわもの」が、「オリジナル」であるということが石造りの建築文化である西欧には理解しがたいものだったからだ。しかし、このハードルはすでに超えた。今回も、日本人ならではの、自然信仰と古事記日本書紀に由来する神道との自然でゆるやかなリンクが、唯一絶対の神が天上にいるとする西欧目線からは理解しにくく、それゆえに、5月のイコモス勧告時には中津宮と辺津宮の価値が評価されないという結果になったと推測する。

日本の地理的特性と信仰のありようや生活文化には密接な関係があり、その独自性を世界に向けて発信し続けることで、グローバル社会のなかにおいて日本の文化が理解されていくことに繋がり、我々日本人にとっても、鏡のように再確認できるものとなると考える。今回は、ロビー活動等を通じた丁寧な価値説明によって、神社のありかたや日本ならではの信仰形態を国際社会がまた一歩理解する結果に繋がったことは喜ばしいことであると感じている。

今回の世界遺産登録を契機に、日本各地にある多種多様な魅力・特性をもつ神社にスポットが当たり、これまでそれらを気にもとめていなかった国内外の人々に、今一度その意義や価値が再発見されていくことを期待する。