クロス・ツーリズム ロゴ “Tourism×ウェルビーイング(well-being)” ~ヘルスツーリズムの進化~

複雑化する現代において、広く社会に蔓延するストレスが問題となっている。こうした中で「幸福」とは何かを求める動きにより「ウェルビーイング(well-being)」というキーワードが注目されている。応用健康科学を専門としヘルスツーリズムに係る調査・研究や社会実装に取り組んできた筆者が、「ウェルビーイング(well-being)」におけるツーリズムでの社会課題解決策について実例を踏まえながら考察する。

髙橋 伸佳

髙橋 伸佳 JTB総合研究所 客員研究員
兵庫県公立大学法人芸術文化観光専門職大学 准教授

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目次

1.ウェルビーイングという価値観の台頭

最近、「ウェルビーイング(well-being)」という言葉が一般的によく聞かれるようになってきた。このウェルビーイングは、1946年のWHO(世界保健機関)憲章における健康の定義で言及された「幸福」「健康」を意図する古くからある概念である。ウェルビーイングは多様な学問、分野で活用されているだけに定義や解釈も様々なものが存在する。前述した「幸福」「健康」を意図して広く活用されるものの、大別すると(1)心身の機能に関する「医学的ウェルビーイング」、(2)一時的・主観的な感情に関する「快楽主義的ウェルビーイング」、そして(3)心身の潜在能力を発揮し、周囲との関係の中でイキイキとした状態を指す「持続的ウェルビーイング」があるとされる。現在は3番目の概念のように持続的、包括的にウェルビーイングを捉えようという動きが世界中の潮流となっていて、ポジティブ心理学におけるPERMAという理論に基づく定義が広く知られている。具体的には、楽しみ、恍惚感、心地よさ、温かさなどで構成される「ポジティブ感情」、他のことを全て忘れ集中している状態(没頭・没入・熱中)である「エンゲージメント」、他者とのつながりや関係性が人生に意味や目的を与える「意味・意義」、自分のことを気にかけてくれる人がいるなど他者との「関係性」、そのものの良さのために追求される「達成感」によって、「本当に幸せにしてくれるもの」を問うというものである。このウェルビーイングは、2000年頃から急速に研究が進み国際的には複数の研究分野の鍵概念となってきたが、新型コロナウイルス感染症の拡大と長期化により、このような新たな価値観に対する議論に拍車をかけることになったといえる。

2.ヘルスケア、ウェルネスからウェルビーイングの社会実装

近年ではウェルネスの概念が前述のようにアップデートされる形で新たな社会実装がみられるようになってきた。例えば、国連サミットで採択された持続可能な開発目標(SDGs: Sustainable Development Goals)における「3.すべての人に健康と福祉を」という目標は、原文では「GOOD HEALTH AND WELL-BEING」である。一方、国内の自治体でもウェルビーイング政策が始まっている。筆者が関わった「ウェルネス拠点」として新たなまちづくりを計画していた熊本県荒尾市では、「スマートシティの取組みと合わせ『幸福』の要素も包含した『ウェルビーイング(心身ともに健康で幸せな状態)』の概念に進化させ、さらに、人間中心の Society5.0 の概念も掛け合わせることで、人と人との交流とテクノロジーを通じて時代を先駆ける価値を共創しながら、住民や訪問者など、誰もが安全に幸せを感じて心身ともに良好な状態を持続できる都市を目指す。」と定義し、2019年に『荒尾ウェルビーイングスマートシティ』という名称になるに至った。当初は、「ウェルネス拠点」という限定された領域での議論であったが、行政や市民と本当の幸福な状態を追求していくことに合わせ、スマート化を検討する中でウェルビーイングの構想へとつながったものである。また、富山県では2022年2月に発表した「富山県成長戦略」の中で、「真の幸せ(ウェルビーイング)戦略」を打ち出し、知事政策局成長戦略室に「ウェルビーイング推進課」が設置された。
 他方、2022年6月に発表された全国どこでも誰もが便利で快適に暮らせる社会を目指す「デジタル田園都市国家構想基本方針(内閣官房デジタル田園都市国家構想実現会議事務局)」において、「構想の実現に向けた価値観の共有」の部分にウェルビーイングの概念が据えられるとともに、「Well-being指標」による政策・評価を実行していくこととなっている。

3.ウェルビーイング発想によるヘルスツーリズムの進化

わが国のツーリズム業界をみてみるとウェルビーイングというキーワードが使われることはあっても、従来からのヘルスツーリズム(ウェルネスツーリズムを含む)と同じようなヘルスケアの概念やウェルネスプログラムで時々活用される程度というのが現状である。そこには、真の幸福を追求する包括的な概念やサービスは見つけにくい。
 筆者はスポーツ健康科学の知見をベースに「ヘルスツーリズム」の研究や事業・商品開発に長年携わってきた。当初は、ツーリズム分野を起点に健康要素を組み込む形で研究や開発に取組むのが活動の中心であったが、次第にヘルスツーリズムを「健康まちづくり」に応用することを地域から求められるようになった。こうした要請は、人口減少と高齢化が進む中、交流を含めた健康増進活動が地域の課題解決にもつながるという認識が広がってきていることを示しているといえよう。一方、ヘルスツーリズムのサービスで結果(ビジネスとしての実績、体験者への効果)を追求していくにあたり、単なるツーリズム分野からのアプローチでは限界があり、様々なサービス分野との連携が必要になってきた経緯がある。加えて、サービス提供のターゲットは市民、来訪者などと区別するのではなく、その交流の中から関係性を構築していくことこそがサービスの中核であるということがわかってきた。
 時代の変化とともに、持続的ウェルビーイングのように人々の健康観も本当の幸せを持続的に追求するものへと変化してきている。そこで、ウェルビーイングの尺度や内容をヘルスツーリズムに採り入れる可能性について言及してみたい。ヘルスツーリズムの尺度とウェルビーイングの尺度を比較してみると以下のような違いが存在する(図表1)。
ヘルスツーリズムは、「旅行という楽しみの中で、健康の回復や健康増進を図る活動、そして旅をきっかけに健康へのリスクを軽減する活動」であるのに対し、ウェルビーイングは「健康・幸福の状態」を指すものである。単純に比較できるものではないが、直接的な健康行動以外のコンテンツやウェルビーイングの尺度にあるような手法もヘルスツーリズムに採用できる余地があると言えるのかもしれない。

図表1 ヘルスツーリズムとウェルビーイングの尺度・目標
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出所:JTB総合研究所「ヘルスツーリズムの分類」、荒川雅志(2017)
マーティン・セリグマン「ポジティブ心理学の挑戦」ディスカバートウエンティワンを参考に引用・改変

ツーリズム分野においてのウェルビーイングでは、興味深い分析がある。マーケティング研究者であるサラ・ヴァーダら研究チームの「Positive psychology and tourist well-being: A systematic literature review」によると、国際的な先行研究を分析した結果「観光客が『幸福』を体験することのメリットは観光客の健康を促進することにある」としている。また、幸福を追求することは観光客の再訪意向にも通じ、目的地への愛着も生まれるとするなどマーケティング上の妙味にも言及している。すなわち、ヘルスツーリズムにウェルビーイング的な視点を採り入れることで、ヘルスツーリズムに取組む意義や機能に変化が生まれる可能性が想定できるのである。

4.ウェルビーイング要素を反映したプログラムへの挑戦 ~兵庫県豊岡市の事例から~

兵庫県豊岡市(以下、同市)は、兵庫県の北東部に位置する1市5町(豊岡市、城崎町、竹野町、日高町、出石町、但東町)の合併でできた人口77,489人(令和2年国勢調査)のまちである。約8割が森林であり、豊富な自然環境に恵まれ農林水産業、観光業が盛んである。ただ、少子高齢化、独居世帯、核家族化が進行しているほか、高校卒業時に約8割の若者が同市を離れたのち20代での回復率は4割程度にとどまるなど、全国の地域同様の課題が存在している。
 同市では「豊岡市大交流ビジョン」として、中心的な産業の一つである「観光」を「交流」と捉え直し、対話とコミュニケーションを生み出すことを観光政策として打ち出している。その一環として、共感や交流を軸に旅先を選び・楽しむ旅行形態「豊岡コミュニティ・ツーリズム事業」を展開する中で2021年に「ヘルス&スポーツツーリズム事業」の検討に乗り出した。コロナ後を見据えた持続可能なヘルスツーリズムの応用領域として、「アウトドア&スポーツ」、「リトリート&ビューティー」、「ワーケーション&ブレジャー」の分野を想定し、事業者、市民とともにこの世界観について議論を重ねてきた。その結果、健康やスポーツなどの表記が全くない「ネオカルTOYOOKA カラダと話し、ココロに聞いて、出会うまち。」という新たなライフスタイルとしてのサービスカテゴリーが開発された。そのサービスカテゴリーは以下の通りである。

  • アウトドア&スポーツ:自己改革や成長体験を意図する「挑戦と成長」
  • リトリート&ビューティー:自然の恵みとアートの聖地としての機能を活用したセラピーを意図する「癒しと健康」
  • ワーケーション&ブレジャー:様々なアーティストたちが集まり、滞在するコミュニティとしての機能を活かした「芸術と創造」

これらの取組みは、ウェルビーイングの発想を起点に、参加者やサービス提供者がどのような形で幸福な状態が創出できるのかという観点を意識している。この結果、単なるツーリズム事業でもなく、健康増進活動でも、文化・スポーツ活動だけでもない領域を超えた体験カルチャーを市民、来訪者に提供していく点が特徴となっている。また、地域の視点でみると、市民はサービスの受益者にもなり得る半面、自分の得意分野を活かしたサービス提供者になる可能性を有しており、豊岡の取組みはそのような機会づくりに配慮している。

図表2 ネオカルTOYOOKAのブランドロゴと領域(ライフスタイル)の関係性
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以下は本プログラムにおける「アウトドア&スポーツ」における一例である。「(仮称)TOYOOKAチャレンジライド&リトリート」と名付けられた本プログラムは、豊岡市内を横断する60キロに及ぶ挑戦的なサイクリングプログラムとなっている。サイクリストではない者にとっては挑戦的な距離を用いてウェルビーイングにおける「達成」を意識している点に加え、スポーツの本格的なプログラム前にヨガやメディテーションを行うところにも特徴がある。これらにより、参加者の集中力を引き出し、思いもよらない能力を引き出していく可能性を意図している。これは、ウェルビーイングにおける「エンゲージメント」につながる手法であり、競技スポーツ等でしばしば用いられるようになってきている。今後は、参加者共通のハッシュタグを設定するなど、本プログラムにチャレンジした人たちが、写真や記録をシェアすることなどによるコミュニティづくりを通じた「関係性」構築への応用も検討されている。

図表3 ウェルビーイング視点を用いたプログラム開発例(仮称:TOYOOKAチャレンジライド&リトリート)
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本事例は、ヘルス&スポーツツーリズム事業を突き詰めていった結果、ウェルビーイングという視点に結びついた例である。ただ、体験カルチャーだけでウェルビーイングが実現できる訳ではない。領域を限定せず、関係性や達成感を創出する仕組みも必要となる。同市では本事業を推進する観光部署(大交流課)だけではなく、健康増進課、文化・スポーツ振興課まで巻き込み一体となって施策を推進する体制にまで発展してきており、領域を超えた取組みによる相乗効果が期待できる。

図表4 ネオカルTOYOOKAのおける豊岡市としての体制
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事業の推進においても特徴がある。事業に参加したい事業者や市民に対してオープンソース型のような形で「ブランドマネジメント方針」、「プログラム開発基準」を公開し、誰でも自由にプログラムを企画・開発できる環境が構築された。プログラムについては、一定基準を満たせば自由に情報・販売プラットフォーム(ネオカルLP)に情報を掲示したり、販売することができたりするなど持続的にプログラムが生まれる仕組みが採用される予定になっている。
 本稿で取り上げた世界観や取組みは緒についたばかりである。研究は進みつつあるとはいえ、幸福の形はそれぞれであり、ツーリズム分野における仕組みづくりやプログラムの有効性の検証もこれからの課題である。しかしながら、ウェルビーイング発想によるツーリズムプログラムは前述したようにマーケティング上のメリットが検証されつつある。加えて、ウェルビーイングによる明確な仕組み化やプログラム化は、生きがいの機会創出や健康で幸福な生き方のモデルになるばかりでなく、地域の限りある資源を有効に活用することにもつながることが期待される。この点、ウェルビーイングという概念は、ツーリズム分野においても新たなサービス基準やサービス開発の視点として大きく寄与していくことになるとみている。

【参考文献】
Ed Diener, Martin E. P. Seligman(2018).“Beyond Money: Progress on an Economy of Well-Being” Perspectives on Psychological Science 2018 Mar;13(2):171-175.
Ed Diener, Martin E. P. Seligman, Hyewon Choi, Shigehiro Oishi(2018). “Happiest People Revisited” Perspectives on Psychological Science 2018 Mar;13(2):176-184.
小林正弥「ポジティブ心理学科学的メンタル・ウェルネス入門」 講談社選書メチエ
豊岡市「豊岡市の概要」
https://www.city.toyooka.lg.jp/shisei/shinoshokai/1004513/1002323.html 2022.08.13閲覧
豊岡市「豊岡市大交流ビジョン 小さな世界都市の実現に向けて」
Sera Vada, Gatherine Prentice, Noel Scott, Aaron Hsiao(2020).”Positive psychology and tourist well-being: A systematic literature review” Tourism Management Perspectives 33
内閣官房デジタル田園都市国家構想実現会議事務局「デジタル田園都市国家構想基本方針」
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/digital_denen/pdf/20220607_honbun.pdf  2022.08.09閲覧
マーティン・セリグマン「ポジティブ心理学の挑戦“幸福”から持続的幸福“へ」(宇野カオリ監訳) ディスカヴァー・トゥエンティワン
前野隆司「実践ポジティブ心理学 幸せのサイエンス」PHP新書
前野隆司、前野マドカ「ウェルビーイング」日経文庫
渡邊淳司、ドミニク・チェン、安藤英由樹、板倉杏介、村田藍子「わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために―その思想、実践、技術」ビー・エヌ・エヌ