クロス・ツーリズム ロゴ 【特別寄稿】“Tourism×博物館” ~博物館が持つ、地域の自然・文化遺産に根差した観光への可能性

大山 晃司

大山 晃司 JICAペトラ観光開発マスタープラン策定プロジェクト・ペトラ博物館 考古学・博物館専門家
JTB総合研究所 戦略アドバイザー

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目次

1.博物館が持つ観光への可能性:中東・ヨルダンでの日本の取り組み

博物館が持つ観光への可能性とはどのようなものであるのか。博物館と観光という場合、例えば大英博物館やルーヴル美術館など、著名な美術品等を展示し、多くの観光客が訪れる観光スポットや集客施設となっている博物館がまず思い浮かぶ方も多いと思われる。しかし本稿で注目したいのは、いわゆる地域博物館(*1)(ある特定の地域を対象として、その地域が持つ自然・文化遺産を収集、調査研究、保存し、展示すると共に、教育普及活動でその価値を伝える役割を担う博物館)が持つ観光への可能性である(*2)。
 その事例として、日本が長らく支援してきて、現在もJTB総合研究所が受託しているJICAの「ペトラにおける観光開発マスタープラン策定プロジェクト」(*3)にて支援が進められており、筆者も支援に関わってきた中東・ヨルダンのペトラ博物館を考察していきたい。

文明の交差点として多様な歴史文化を反映した考古遺跡等が残る中東のヨルダンにおいて、自然・文化遺産を活用した観光業は国の経済や地域社会を支える主要産業となっている。ヨルダンの社会経済にとって重要な観光部門を日本の開発援助の一環で支援するに際して、ひとつの方向性として進められてきたのが、観光資源となる地域の自然・文化遺産を調査研究、保存すると共に、展示を通じて観光客に紹介することで地域観光の導入口となる博物館を通じた観光支援であった。2000年代初頭より、ヨルダン全体の歴史文化を扱う、首都アンマンに新設された「ヨルダン博物館」や、アンマン近郊で石造伝統建築が多く残り、2021年に世界遺産登録されたサルト旧市街地(*4)にて、歴史的邸宅を改修して旧市街地の近現代史や民俗を紹介する「サルト歴史民俗博物館」および、同博物館を核として、町全体を博物館とみなして各地の文化遺産をネットワーク化していく「サルトエコミュージアム」、また十字軍とイスラームの激戦地となったヨルダン南部の歴史的城塞都市カラクの地域博物館である「カラク考古博物館」、死海地域の自然・文化遺産を紹介する「死海博物館」等、複数の博物館の新設や改修が、自然・文化遺産に根差した観光振興の観点から、JICA通じた日本の支援で進められてきた(*5)。こうした博物館と観光に関する取り組みを踏まえて、ペトラ博物館建設プロジェクトも文化無償資金協力を通じて2013年より始められた(*6)。

2.ペトラ博物館が伝える地域のストーリー:ナバテア王国の歴史文化を基軸に(*7)

古代都市ペトラの遺跡は、ヨルダン南部、アンマンから約240キロの場所に位置している。ヨルダンを代表する文化遺産で観光地であるペトラには、年間およそ100万人以上の観光客が訪れている(*8)。1985 年にユネスコ世界遺産に登録されたこの遺跡は、映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」に遺跡の一部である「宝物殿(エル=ハズネ)」が登場することでも有名である。ペトラ博物館は、このペトラ遺跡公園の玄関口に新たに建設された博物館であり、2019年に開館した。ペトラ遺跡と周辺地域から出土した考古資料を主体に展示する同博物館は、ペトラ遺跡公園に付随する遺跡博物館であると共に、ペトラ周辺地域全体の歴史文化を対象とした地域博物館である。常設展示で扱うのは、ペトラ地域の歴史の始まりから今日に至るまでの、数万年に及ぶ歴史であるが、中核となるのは、約二千年前に古代都市ペトラを築いたナバテア王国の歴史と文化である。
 もともと遊牧民であったナバテア人は、アラビア半島南部から地中海へと至る隊商路を経由しての、乳香や没薬などの香や、死海から産出する瀝青などの交易への従事により繁栄し、ナバテア王国を築いた。紀元前1世紀から紀元後1世紀頃にかけて最盛期を迎えたこの王国の中心都市であったのが、交易路の中継点にあり、ナバテア人が「ラクム」と呼んだ、古代都市ペトラである。
 ペトラ博物館常設展示における地域史のストーリー、それはまず卓越した水利技術を持っていたナバテアと、その水利技術の賜物といえるペトラの都市における、水と人々の関わりをひもとくことから始まる。ナバテア人は、ペトラ周辺に点在する泉の水を都市内部へと引き込んだ、無数の土器製の水道管を繋いだ数キロの水道や、ダムや転流トンネルによる洪水対策、雨水を貯める貯水槽の利用などにより、ペトラの都市の繁栄を支えた。水から始まるペトラのナバテアのストーリーは、交易を通じて、古代ギリシア・ローマ世界やエジプト世界と、アラビア半島の信仰体系が融合したナバテアの宗教文化や、岩窟墓に見る死生観、ナバテア王国の王権、インドから地中海世界までに広がっていた交易と交易品、アラビア語の起源となったナバテア文字、またナバテアの住空間と生活様式、洗練した技術で作られたナバテア式土器など、古代のペトラとナバテア王国の全貌を語る様々なストーリーへと展開していく。それぞれの物語に対応したペトラ地域の遺跡から出土した考古資料を、タッチパネルやグラフィックパネルによる説明、遺跡の過去の姿の復元3DCGなどを取り入れた映像、原寸大模型による古代の葬送儀礼や邸宅の復元等と組み合わせる形で、展示は構成されている。
 常設展示では、ナバテア王国のペトラをストーリーの中心に据えながら、ナバテア王国とペトラが築かれるよりも遡ること数千年前、人類がムギの栽培化やヤギの家畜化により、狩猟採集から農耕へと移行した頃の痕跡が見られるペトラ近郊の新石器時代の集落や、約三千年前にペトラ周辺地域に栄えた、旧約聖書に登場するエドム王国など、ナバテア王国以前の歴史に関する様々なストーリーも語られている。また2世紀前半に、ナバテア王国がローマ帝国に併合されて以降、ビザンツ帝国、イスラーム、十字軍の到来等を経る中で、徐々にペトラが世界的な交易の中心地から地方の農村集落へと変貌していくまでの、ナバテア王国以降の歴史に関するストーリーも描き出している。さらに、ナバテアの文化遺産の一部を引き継ぎ、ユネスコ無形文化遺産に「ペトラとワディラムのベドゥの文化的空間」(*9)として指定されているペトラ地域の民俗文化についても語っている。展示全体で語られているのは、ペトラ地域に生きた人々と、地域の自然環境との相互作用によって形成された、地域生態系の生成発展の歴史の全体であり、その中に、様々なストーリーが展開している形である。
 ペトラは、宝物殿の壮麗な姿が視覚的に多くの人に知られているが、その歴史文化については、あまり知られていないのが実情である。ペトラの都市を築き上げた古代のナバテア王国についても、広く一般に知られているとは言いがたく、欧米等の博物館展示でも、古代エジプトや古代メソポタミアと比べて、取り扱われることが少ない。ペトラ博物館はこうした知られざるペトラの姿に光を当てている。

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 写真1 ペトラ遺跡(宝物殿)

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 写真2 ペトラ博物館

3.地域観光の多様なストーリーを伝える博物館展示

博物館において展示は顔であるといわれるが、地域博物館が展示を通じて表象するのは、地域に住む人々と地域の自然との長年に亘る相互作用により形成された、地域の歴史文化の持つ独自の顔であると言えよう。それはひとつの表情を持つ顔ではなく、多様な表情を持つ、多面体のような顔である。こうした地域独自の歴史文化に見る多様な顔を展示で伝えていくことは、地域の観光ストーリーの多様化につながるものと考えられる。
 ペトラ博物館では、ナバテアの卓越した水利や、王国を支えた交易、またアラビア語の起源となったナバテアの文字文化、さらにナバテア以前の新石器時代や、聖書に登場する王国、ナバテア以降のローマ帝国や十字軍など、様々なストーリーが展示で伝えられている。そして、各ストーリーに対応したペトラ地域に点在する遺跡や、博物館が展示する資料などの文化遺産がある。このような、ペトラ地域の歴史文化に見る多様なストーリーを博物館が展示で伝えていくことは、ペトラ地域の観光の多様化につながっていくと思われる。
 現在ペトラ遺跡公園が抱える大きな課題の一つとして、遺跡のいわば導入路部分にあたる「シーク」と呼ばれる峡谷から、映画で著名な宝物殿までの遊歩道など、遺跡の一部に観光客が過度に集中しており、遺跡への負荷が懸念されているという問題がある。宝物殿のような、遺跡の一部だけが視覚的に多くの人々に知られ、そうした有名な観光スポットに観光客が集中するという状況から、ペトラ地域の歴史文化の持つ多様なストーリーを観光客が知り、ペトラ遺跡と周辺に点在する観光地を訪れるようになり、遺跡への負荷も軽減すると共に、観光による裨益の域内各地への分散も図られる。これが現在ペトラの観光で目指すべき姿のひとつとして検討されている。ペトラ博物館の展示が地域の多様なストーリーを提示することは、こうした方向性に観光が向かうことに貢献するものと期待されよう。

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 写真3 ペトラ博物館常設展示

4.地域観光の中核としての博物館:地域の自然・文化遺産とのネットワーク化

地域の歴史文化の多様なストーリーに基づく観光を進めるにあたり、地域の自然・文化遺産と博物館を、ストーリーに基づきネットワーク化していくことで、博物館や各遺産がそれぞれ「点」としての観光スポットである形から、地域全体の「面」としての観光を展開するようになることが重要である。日本や世界各地で試みられきた、面としてネットワーク化する手法として代表的なのが「エコミュージアム」である。歴史文化的に、有機的に結ばれた地域全体を「博物館」とみなすエコミュージアムにおいては、地域資源を調査研究、保存し、展示していく「コア(核)」としての博物館、地域全体に点在する「サテライト」としての自然・文化遺産、またコアとサテライトをテーマに即してネットワーク化していき、実際の観光ルートにもなる「ディスカバリートレイル」が、エコミュージアムの要素となる(*10)。また近年文化庁の主導により日本各地で展開されている日本遺産も同様の手法である(*11)。日本遺産においては、歴史文化に関するストーリーを設定して、地域の内外で共通のストーリーに関連する様々な遺産を構成要素としてネットワーク化していく。そこでは博物館の資料が、構成要素の一部として加えられている事例(*12)や、博物館が日本遺産の中核的なセンターとして機能している事例(*13)も見られる。
 ヨルダンで日本が支援してきた博物館では、これまでエコミュージアムの手法を用いて、博物館を核として、周辺の文化遺産をトレイルによりネットワーク化して、「面」としての観光を目指す試みが行われてきた。例えばサルト旧市街地では、観光開発において、「町まるごと博物館」(サルトエコミュージアム)の計画を打ち出し、旧市街中心地の歴史的建造物を改修したサルト歴史民俗博物館を核として、点在する伝統建築群などの文化遺産を結ぶトレイルを設け、ローカルガイドのツアーで巡る形を導入した。
 ペトラ博物館では、エコミュージアムや日本遺産を参考としながら、ペトラ博物館を中核として、周辺に点在する遺跡をはじめとする文化遺産を、図1のような形で、様々なストーリーに則したトレイルとして結んでいくような試みを検討している。例えば「ナバテアと水」というストーリーで、博物館でのペトラと水に関する展示と、ペトラ遺跡内や周辺に残るナバテア時代の貯水槽や水路などの遺構、また水源となった泉や、泉の水を使った伝統的な農地などの文化的景観をネットワーク化していくというトレイルや、「ナバテアの交易」というストーリーで、ペトラ博物館における交易関係の展示や展示品と、隊商の交易拠点となった遺跡、またペトラを通る古代の交易路の一部等をつなげていくトレイルなどを検討している。トレイルを通じて、ペトラ博物館と地域の遺産が、博物館で紹介している様々なストーリーで結ばれ、「面」としての観光につながっていくような形を考えている。

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図1 博物館と遺産のネットワーク

5.おわりに

以上、ペトラ博物館に関わり、試行錯誤しながら筆者が考えてきた、博物館と観光のあり方を本稿で概観してきた。博物館が観光の核になるのは、単に地域にある自然・文化遺産を紹介するということに留まらない。地域の歴史文化に関わるストーリーを構築していく軸足となるような、自然・文化遺産の調査研究と保存が先ずは博物館の中心的な役割であり、そのためには、学芸員と、学芸業務を支える運営体制が重要となってくると思われる。また教育普及活動等を通じての地域社会との連携強化や地域住民、とりわけ社会の未来を担う若年層の地域の歴史文化に対する意識啓発や、観光関係者と博物館の連携構築も重要となるであろう。こうした点を博物館と観光の関係を考えていく中で、改めて認識しつつある。
 
<参考>
*1 地域博物館の可能性については、JTB総合研究所のコラムでこれまでも論じられている。
河野まゆ子 2014「地域博物館の価値再考 ~「住民参加」から次のステップへ~」JTB総合研究所 コラム(2023年3月10日閲覧)
https://www.tourism.jp/tourism-database/column/2014/05/local-museum/
*2 博物館と観光の可能性を考えるにあたり、以下を参照した。
中村浩・青木豊 編著 2016『観光資源としての博物館』芙蓉書房出版
青木豊・中村浩・前川公秀・落合知子 編著 2018『博物館と観光 社会資源としての博物館論』雄山閣
*3 「ペトラにおける観光開発マスタープラン策定プロジェクト」(JICA ODA見える化サイト 2023年3月10日閲覧)
https://www.jica.go.jp/oda/project/1903794/index.html
*4 ユネスコ世界遺産「サルト:寛容と都市の歓待の場」(2023年3月10日閲覧)
https://whc.unesco.org/en/list/689/
*5 大山晃司 2008「ヨルダンにおける博物館設立のための支援活動」日高真吾・園田直子 編 『博物館への挑戦―何がどこまでできたのか』三好企画
*6 ペトラ博物館建設計画(JICA ODA見える化サイト 2023年3月10日閲覧)
https://www.jica.go.jp/oda/project/1360900/index.html
*7 ペトラ博物館については、筆者監修「ペトラ博物館ガイドブック 日本語版」(JICA・ペトラ開発観光庁・ペトラ博物館 2021)、および以下のペトラ博物館公式ウェブサイト(2023年3月10日閲覧)を参照した。
https://www.petramuseum.jo/ja-jp
*8 ペトラ観光開発庁発表の統計データ(以下リンク先「Visit Petraウェブサイト 2023年3月10日閲覧)によると、新型コロナウィルス感染症流行により観光客数が落ち込む前の2019年には、年間で1,135,300人がペトラ遺跡公園を訪れた。
https://visitpetra.jo/DetailsPage/VisitPetra/StatisticsDetailsEn.aspx?PID=5
*9 2008年にユネスコ「人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣言」一覧に登録(2023年3月10日閲覧)
https://ich.unesco.org/en/RL/cultural-space-of-the-bedu-in-petra-and-wadi-rum-00122
*10 文部科学省HP内「エコミュージアムについて」(2023年3月10日閲覧)
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shougai/014/shiryo/07082703/002.htm#top
*11 文化庁HP内「日本遺産について」(2023年3月10日閲覧)
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/nihon_isan/
*12 例えば日本遺産「「なんだ、コレは!」 信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化」においては、十日町市博物館が所蔵する縄文土器資料等が構成文化財に含まれている。
日本遺産「なんだ、コレは!」 信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化」HP(2023年3月10日閲覧)
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story026/culturalproperties/
*13 日本遺産「霊気満山 高尾山 ~人々の祈りが紡ぐ桑都物語~」における「桑都日本遺産センター 八王子博物館」の事例など。
桑都日本遺産センター 八王子博物館(日本遺産ポータルサイト内 2023年3月10日閲覧)
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/special/18/