観光立国に「人流の地図」が必要な理由
第5次観光立国推進基本計画の価値を「地域の実感」へと繋げるために

訪日外国人旅行者数4,268万人、消費額9.5兆円——日本の観光はかつてない追い風の中にあります。しかし地方への人流は依然として構造的な課題を抱えており、第5次観光立国推進基本計画が閣議決定された今、どう設計するかという視点。本コラムでは「人流の地図」という概念を提唱し、観光立国の実効性を問い直します。

山下 真輝

山下 真輝 フェロー

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目次

1.観光は、日本を動かす「統合型産業」である

2026年3月27日、日本の観光政策の新たな羅針盤となる「第5次観光立国推進基本計画」が閣議決定されました。この計画の意義を深く理解するために、まずは私たちが立脚すべき「観光」という営みの本質を再定義しておきたいと思います。

観光とは、単なるレジャーやサービス業の一分野ではありません。訪日外国人による「外貨獲得」を担い、消費の循環を通じて「地方創生」を加速させ、サービス価値の向上により「賃上げ」を実現し、さらには草の根の「国際交流」を通じて日本のファンを世界中に増やす——。現代日本が直面する最重要課題を、同時に、かつ相乗的に解決し得るポテンシャルを持った「統合型産業」です。

この多機能でパワフルな産業を、いかにして国家の成長戦略の真の主役に据え、その恩恵を全国に行き渡らせるか。第5次計画が掲げる野心的な目標を、単なる数字の達成に終わらせず、地域が豊かさを実感できる「実効性」へと昇華させるために、今こそ議論すべき概念があります。それが、本稿で提唱する「人流の地図」です。

2.好調の裏にある構造的課題

現在の日本の観光は、かつてない追い風の中にあります。2025年、外国人延べ宿泊者数は1億7,787万人泊と過去最高を更新しました。第5次計画では、2030年に訪日外国人旅行者数6,000万人・旅行消費額15兆円という高みを目指しています。住民生活との調和や宿泊業の付加価値向上といった「質の目標」が明確に打ち出されたことは、政策の大きな進化といえます。

しかし、その輝かしい数字の背後で、私たちは依然として構造的な課題と向き合っています。訪日外国人の三大都市圏における宿泊比率は、2019年の62.7%から、2023年には72.1%へと上昇しました。2024年の確定値でも、三大都市圏への宿泊比率は約69%と高止まりしています。2025年に入り地方部での宿泊者数が月次ベースで前年比10〜15%増と伸長し分散の兆しが見え始めたものの、構成比では依然として三大都市圏への集中が続いています。

この10年以上、国は「地方誘客」を最優先課題に掲げ、DMOの育成や広域周遊ルートの認定など、官民を挙げて膨大なエネルギーを投じてきました。それにもかかわらず、都市集中の割合がコロナ禍前の水準に戻りきらないのはなぜでしょうか。

施策が足りなかった、とは思いません。問題は施策の量ではなく、どう設計するかという視点にあります。計画策定のプロセスを見ると、各省庁・各地方が施策を積み上げ、最後にそれを束ねるという構造になっています。旅行者の動線は都道府県境も省庁の管轄も越えますが、計画はその境界の内側で作られます。さらに、地方誘客の「成果」は宿泊者数や消費額という点の集積で測られ、旅行者が「どのような経路でそこへたどり着いたか」という動線の変化は問われません。個別の「点」としての魅力が増した一方で、旅行者が日本という国土をどう動くかという「面としての設計」が未完成なのです。

3.「人流の地図」——施策を線で繋ぐ設計図

第5次計画には、観光地を磨き、情報発信を強化し、旅行者の受入環境を整えるための、具体的かつ多種多様な施策が盛り込まれています。これら一つ一つの施策は、地域にとって極めて重要な武器です。私たちが今、次に踏み出すべきステップは、これらの優れた施策を「線」で繋ぎ、旅行者の動線として視覚化することです。それが「人流の地図」です。

なぜゴールデンルート(東京〜富士山〜京都〜大阪)に人が集まるのでしょうか。背景には、交通インフラ・情報の密度・宿泊の選択肢がこのルート上で相対的に整っており、旅行者にとって選びやすい状態になっていることがあります。現在の日本では、このルートが合理的で快適な選択肢として機能しやすい構造になっているといえます。

この構造を前提としたまま、各地域が個別にコンテンツを磨いても、大きな流れを変えることは容易ではありません。求められているのは、国が「何を支援するか」というメニューの提示に加え、旅行者が「どう動くことが可能か」、そして国として「どのような新しい流れを創り出したいか」という空間的な意思を宿した設計図を描くことです。

「施策の地図」は、国が何をするかを書き込んだ地図です。
「人流の地図」は、旅行者をどこへ、なぜ動かすかを書き込んだ地図です。

観光を統合型産業として推進するとは、この「人流の地図」を描き、それに基づいて交通・産業・生活基盤といった他の政策と足並みを揃えていくプロセスそのものです。

4.世界に見る、国家による「意図的な設計」

観光先進国に目を向けると、彼らがいかに「人流の地図」の構造設計に自覚的であるかがわかります。

フランス——鉄道と法規制で人流の経路を設計する

フランスは2021年、大統領マクロン自らが主宰したサミットで「Destination France」プランを発表しました。19億ユーロ(約3,000億円)の10年計画の核心は、28,000キロメートルの鉄道ネットワークを軸とした地域分散の構造設計にあります。2023年には、一定条件を満たす国内路線について鉄道代替を義務づける法律を施行し、まずパリ・オルリー発の3路線で実施しました。重要なのは、フランスが環境への配慮や補助・誘導だけでなく、交通と制度を通じて人流の経路そのものを設計対象としている点です。

スペイン——首相が34億ユーロの投資を「宣言」する

スペインでは、首相自らが観光を国家の根幹と位置づけ、EU復興基金も活用した34億ユーロを超える投資をセットで公言しました。首相が「観光は変革のエンジンである」と言明し財源を語ることで、観光政策は単なる産業支援から国土全体の構造改革へと格上げされています。重要なのは、国家の最高指導者が観光を「設計の対象」として宣言し、財源のコミットメントを公言している点です。

ニュージーランド——「より積極的・意図的な政府の役割」を明文化する

ニュージーランドの政府観光戦略は、「観光における政府のより積極的で意図的な役割(a more deliberate and active role)」を戦略の中心に置いています。マーケットの流れを追うのではなく、政府が「意図的」に介入し、観光が環境や社会にプラスの影響を与える構造をデザインするという意志の表明です。Tourism Growth Roadmapは短期のマーケティング投資から中期のインフラ・人材育成へという段階的シナリオを持ち、「いつ何に投資するか」という時間軸付きの設計が国家意思の具体的な表れとなっています。

三カ国に共通する「国家の自己定義」——そして日本の構造的制約

三ヵ国に共通するのは、国家が「促進する主体」から「創る主体」へと自己定義を変えていることです。日本の計画の動詞群——「推進する・支援する・促進する」——と並べてみると、設計思想の違いがより鮮明に見えてきます。

ではなぜ、日本ではこの転換が起きにくいのでしょうか。一つの要因は財源の構造にあります。日本が持つ国際観光旅客税(年間約550億円)という貴重な財源は、その多くが個別施策の補助金として広く分散しています。フランス・スペインが国家予算で観光インフラに大規模集中投資するのに対し、日本では「ここに集中投資する」という国家意思を財源が支えない構造になっています。必然的に「設計」より「分配」になります。人流の地図が描かれにくい背景には、財源の集中投資を制度的に正当化するグランドデザインそのものが存在していないという問題があります。

5.国土政策に刻まれた観光立国の青写真

人流の地図を描くための青写真は、実は日本の国土政策の中に存在しています。2014年、国土交通省が策定した「国土のグランドデザイン2050〜対流促進型国土の形成〜」がそれにあたります。日本の国土政策が1998年以来継承してきた「北東国土軸・日本海国土軸・太平洋新国土軸・西日本国土軸」という4本の国土軸、「5,000か所の小さな拠点」(観光文脈では、旅行者が実際に泊まりその土地ならではの体験をする地域滞在拠点と重なります)、そして「国の光を観せる観光立国の実現」という明示的な戦略目標——設計の素材はすでに揃っていました。

しかしこのグランドデザインは国土形成計画へと継承されましたが、観光立国推進基本計画には、まだ十分に反映されているとは言えません。同じ国土交通省の中にあっても、国土の空間設計を担う国土政策局と、観光施策を推進する観光庁という二つの軸が存在し、計画の文書を見る限りでは、両者の知見が観光の人流設計という共通の目標に向けて統合されてはいないのです。

国土形成計画が「新幹線をここに整備する」という国家意思を空間的に表現できるように、観光立国推進基本計画もまた「この軸に観光の人流を創り出す」という空間的な意思を持ち得るはずです。それがまだ実現されていないとすれば、「国家が観光の人流を創る主体である」という視点を、計画の設計思想にさらに深く組み込む余地が残されているということではないでしょうか。この余地を埋めることが、人流の地図を描く最初の一手となります。

6.「人流の地図」を形作る3つのレイヤー

筆者がAIで作成

①三層の観光拠点ネットワークの再構築

旅行者の動線は、自然に三層を辿ります。第一層は「国際ゲートウェイ」(成田・羽田・関空・福岡等)、第二層は「広域中継拠点」(ゲートウェイから地方へ向かう際の結節点となる地方中核都市)、第三層は「地域滞在拠点」(旅行者が実際に泊まり、その土地ならではの体験をする目的地)です。

現在取り組まれている高付加価値モデル観光地などの施策は、いわば第三層の魅力を高めるものとして正しい方向性を持っています。しかし重要なのは「第一層から第二層、第二層から第三層」へ至る動線の快適さと情報の繋がりです。この三層がスムーズに連携するネットワークとして設計されて初めて、地方への人流が構造化されます。

②「国土軸」と「観光人流」の同期

日本の国土政策が長年にわたって設定してきた4本の国土軸に、観光人流の設計を明示的に重ね合わせます。各軸において「現在の人流実態」「目指す人流の姿」「そのために整備すべき拠点」を示すことで、交通・宿泊・担い手育成の優先順位が空間的な論理で決まるようになります。新幹線延伸や高速道路網といったハードの投資と、プロモーションやDMO支援といったソフトの投資を同じ軸の上で同期させることで、投資の相乗効果は最大化されます。

③変化を織り込んだ「動的なシナリオ」

地図は一度描いて終わりではありません。リニア中央新幹線の開業・北陸新幹線延伸・北海道新幹線札幌延伸という大規模インフラ変化が今後10〜20年で起きます。これらは日本の観光人流を構造的に変える可能性を持っています。国がこの変化に対応した段階的なシナリオを提示することで、民間事業者は安心して宿泊施設や観光コンテンツへの長期的な投資を行えるようになります。人流の地図は静的な設計図ではなく、時間軸を持つシナリオでなければなりません。

7.行政の枠組みを超えた「共創」のプラットフォームへ

「人流の地図」を実装していくための仕組みは、実はすでに存在しています。観光立国推進閣僚会議をはじめ、関係府省庁横断的な推進体制はすでに整備されており、第5次計画でも「観光と交通・まちづくりとの連携強化」が新たな施策の方向性として明示されました。これは重要な一歩です。

ただ、問いを一つ立てたいと思います。これらの場で議論されているのは、主に「何をするか(施策)」です。「どの地域に、どの軸に沿って、どのような人流を創り出すか(空間設計)」は、まだ正面からの議題になっていないようにも思います。

既存の連携の枠組みの中で、国土形成計画の広域地方計画と観光立国推進基本計画を同一の設計図の上で議論する場を設けること。農林水産省・文部科学省(文化庁)・環境省とも連携しながら「どの軸のどの拠点に、いつ、どれだけの国家資源を集中させるか」というアジェンダを正面から扱うこと。これは新たな組織を作ることではなく、すでにある会議の議題を一段深めることです。「人流の地図」は、その議論から生まれるはずです。

8.地域の現場こそが、地図の「主役」である

「人流の地図」は、国が設計図を持つことと、地域が自らの座標を持つことの、両輪で成り立ちます。

国が「この軸に人流を創り出す」という設計図を持てば、地域は初めて「私たちはその設計図のどこにいるのか」を問えるようになります。DMOや観光事業者が「自分たちの地域は三層のどこに位置するか」「どの国土軸上にあるか」「現状の旅行者はどこから来てどこへ向かうか」を問うこと——それは、「誰でもいいから来てほしい」という漠然とした集客から、「このゲートウェイからこの拠点を経由してくる層を、私たちの地域で最高の体験に繋げる」という、解像度の高い戦略への転換を意味します。

この座標を持つことで初めて、何を整備すべきか・どの市場に向けて発信すべきか・どの隣接地域と連携すべきかが見えてきます。国の描く大きな地図と、地域が積み上げるボトムアップの設計が重なり合ったとき、第5次計画の各施策は地域に本物の豊かさをもたらす強力なエンジンへと変わります。

「人流の地図を描く」とは、国だけの仕事でも、地域だけの仕事でもありません。国が意思を持ち、地域が座標を持つ——その協働が、旅行者が自然と日本の奥へ動いていく構造を生み出します。

おわりに——その地図は、誰が描くのか

「人流の地図」とは、旅行者がどこへ動くかを予測する地図ではありません。国家として、どこに人流を創り出すかを宣言する地図です。

第5次観光立国推進基本計画は、観光を「戦略産業」と位置づけた意欲的な計画です。その方向性は正しく、その質と量は評価に値します。だからこそ問いたいのです——戦略産業を動かす「地図」は、この計画の中にありますか、と。

観光が日本の誇りを支え、地方の活力を生み出し、世界との架け橋となる。そんな未来は、施策の積み上げではなく、人流の設計から始まります。その地図を誰が、いつ、どう描くのか——第5次計画の発表は、その問いに向き合う最良の機会です。

筆者がAIで作成